コンテンツへスキップ
サポーターになる

教師の働き方改革は授業から始まる

Share

教師の働き方における3大悩み——持ち帰り仕事・授業がうまくいかない・やりがいが感じられない——の根本には、1時間ごとの授業ネタを積み重ねていく「単線型の授業」への依存があります。解決の方向は手を抜くことではなく、子どもが自分で学び進む「複線型の教室」を作り、教師の力点を放課後の作り込みから授業中の見取り・判断・関わりへ移すことにあります。けテぶれ・QNKSで学ぶ力そのものを子どもに手渡し、自由度が上がるほど「現在地」を見失わない枠組みを整えていく。この転換によって、3つの悩みは同時に変わり始めます。

🎧 この記事を聴く

今、教師を苦しめている3つの問題

教師の働き方に関するアンケートで、困っていることのワースト3として次の3点が挙がっていました。

1. 持ち帰り仕事が多く、勤務時間内に収まらない 2. 授業がうまくいかない・授業の勉強が足りない 3. 仕事にやりがいを感じない

この3つは一見すると別々の問題に見えます。しかし実は、同じ根っこから来ています。「なぜそうなるのか」という原因を丁寧に分析しないまま、努力の方向を変えても事態はよくなりません。——けテぶれで言えば、テストの結果が出たとき、分析なしにいきなり練習へ向かってしまうのと同じことです。

「授業ネタ1000個集め」という発想の罠

多くの教師が、働き方の苦しさに対して「もっとよい授業技術を身につけよう」「よい授業パッケージをもっと集めよう」という方向で努力します。1時間の授業を丁寧に設計し、整ったワークシートを手に入れ、それを積み重ねていく。この努力自体は決して間違いではありません。

しかし考えてみてください。1時間1本の授業ネタを集めていく方向で努力するならば、1年間の授業を埋めるだけで最低1000本は必要になります。 しかもそれぞれが異なる単元、異なる教科、異なる学年の文脈を持っています。「ゴンギツネの1時間目・2時間目・3時間目」「ひょうとグラフの1時間目・2時間目・3時間目」——全部が違う授業であり、個別のネタを並べ続けることで1年間の授業という「1000時間の構造」に対応しようとしても、それは終わりのない仕事です。

このやり方を続ける限り、持ち帰り仕事はなくなりません。放課後も週末も、次の1時間の準備に追われ続けるからです。これが「単線型の授業」の授業観——教師がシナリオを書き、子どもたちをそのレール上で走らせる発想——の帰結です。

力点を移す:放課後の作り込みから授業中へ

では、どこに力点を置けばよいのでしょうか。

放課後の準備を減らし、授業中の見取り・判断・関わりに全力を注ぐ。 これが、働き方を根本から変える転換点です。

ただし、このことは「授業の前に何も考えない」という話ではありません。子どもたちがどんな反応をしてどんな思考を展開するかは、授業を始めてみないとわかりません。事前に作り込んでも、それは子どもの多様な思考を「ワークシート1枚の中に収め切る」ことにしかならない。教師が1本のシナリオレールを用意して子どもたちを走らせる授業は、子どもの無限の思考の可能性を狭め、教師一人のレール上で満足してしまう姿になりかねないのです。

授業中に頭をフル回転させること。足が棒になるほど歩き回ること。そこでこそ、教師としての専門性が発揮されます。「授業準備はそこそこのところで終わっていい。でも授業中は頭から皮膚ぐらい考える」——このバランスへの転換が、働き方改革の本質です。

子どもが自分で動く教室を作る

この転換を実現するために必要なのが、子どもたちが自分で動ける環境を整えた複線型の教室 です。

子どもたちが自立した学習者として動き始めれば、教師の役割は「次の素敵な演技を披露する役者」から「子どもの思考の半歩先を見取り、必要な言葉を投げかける伴走者」へと変わります。そして子どもたちが自立的に学び始めれば、放課後の授業準備はほとんど必要なくなります。学ぶのは子どもたちであり、教師はそれに伴走する存在だからです。

そのためには、学ぶこと・考えることそのものを抽象的なスキルとして手渡す必要があります。これが「学び方の見方・考え方」の実装であり、けテぶれ・QNKSが担う役割です。

学びのコントローラー
学びのコントローラー

けテぶれは「学ぶ力」を、QNKSは「考える力」を子どもの手に渡す学びのコントローラーです。このコントローラーを使いこなせる子どもが育つことで、教師は「1時間何を教えるか」という問いではなく、「今この子はどこにいて、何が必要か」という問いで授業に臨めるようになります。

自由度を上げるほど、「現在地」の設計が必要になる

子どもに自由を与えることで、授業空間に多様な学びが生まれます。実践を積み重ねていくと、国語の授業中に「習字の学びのコントローラーを出してきていい」「絵の具セットを出してきていい」というレベルの自由を教室に実現できるようになります。

しかし、自由度を上げれば自然にうまくいくという楽観論は成立しません。 自由を上げるほど、スカスカな学びの時間が生まれる確率も上がります。そこで教師に問われるのが、「いかに子どもが学びの空間の中で、自分の思考を展開していくだけの余地=余白を残してあげられるか」という設計力です。

ワークシート1枚で子どもの思考を収束させるのとは逆の方向——余白——を教室にどれだけ作れるかが、教師の専門性の成長の方向性です。そしてその余白の中で子どもが迷子にならないために、抽象的な枠組みを渡すことが重要になります。大計画シートのような「今自分はどこにいて、何をしようとしているか」を把握できる枠組みを与えることで、子どもたちは現在地を見失わずに、自由な学びの世界で自分の思考を展開していけます。

大分析の視点
大分析の視点

授業中の見取りとは、「この子だけの勘違いなのか、グループ全体の課題なのか、クラス全体に広げるべきことなのか」を常に判断し続けることです。クラス全体に必要だと判断したとき、全員に注目を集めて語りかければいい。一斉授業のスキルは全面的に捨てるものではなく、子どもの学びの必要に応じて使うものです。まず子どもたちが動いているという前提のうえで、教師の語りと一斉説明が活きてきます。

子どもの失敗を止める前に:空間の設計

子どもが意外な選択をしたとき——たとえば授業中に絵の具セットを持ち出した瞬間——教師の頭をよぎるのは「遊びになってしまうかも」という懸念です。その懸念によって子どもの選択を止めることは、子どもを信じていないことと同じではないでしょうか。

もちろん予想が的中して、遊び始めることもあるかもしれません。しかしそのとき問うべきは「誰がその結果を受け取るのか」という問いです。「自分がやった行動の結果を自分で受け取る仕組みが、その学習空間の中にちゃんとデザインされているか」——ここに教師の設計力が問われます。

そういう構造ができていれば、一度の失敗はそのまま次へ進むための一過程になります。信じて、任せて、認める姿勢は、感情的な放任ではなく、「行動の結果を自分で受け取れる空間」という設計と一体になって初めて機能します。その構造があるとき、子どもの失敗はクッパ城に向かうための1-1をクリアしたようなものであり、「次の1-2に進めばいい」というだけの話になっていきます。

過去の研究を「捨てる」のではなく「子どもに開く」

ここまでの話を聞いて、「昭和の指導法はもう古い、全て切り替えよ」という話に聞こえた方がいるかもしれません。しかし、過去の教育研究を捨て去ることが答えではありません。

教育界が150年かけて積み上げてきた知識の集積は、教科書に結晶化しています。現代の教師は、この「巨人の肩の上に立って」前へ進むことができます。今までの知識の集積を捨て去るのではなく、その上に立って次の一歩を踏む——これが今の教育のフェーズです。

変えるべきは、知識の「置き場」です。これまでは教師が知識を持ち、それを子どもに授けるという構造でした。しかしこれからは、知識の集積を子どもたちに開いていくことが求められます。たとえば、逆上がりが苦手な子が、指導法を自分で読んで試してみられる環境を作ること。教師が蓄えてきた知見も、実践者コミュニティが積み上げてきた知識も、「教師が持つもの」から「子どもが使えるもの」へと転換することで、その価値は何倍にも広がります。これは葛原学習研究所が目指す公教育のボトムアップ改革の方向性でもあります。

3つの悩みは同時に変わる

最初に挙げた3つの悩みに戻りましょう。

持ち帰り仕事については、子どもが学び行く教室が成立すれば、授業準備に使う放課後の時間はほぼなくなります。次の日、学校に来て1時間目が始まった——そこからスイッチオン。子どもたちが何を展開するかに意識を集中させるのが、新しい働き方です。

授業がうまくいかないという問題は、2つに分けて考える必要があります。教科内容の理解が足りないなら、それは自己研鑽として勉強するしかありません。泳げない先生に水泳を習いたい子はいません。ただ、教科内容がある程度あるならば、1時間の授業ネタを積み重ねる方向ではなく、「子どもが自分で学び進むシステム」を作る方向に力を注いでください。1時間のネタを1000個集めようとする努力と、子どもが自分で動ける仕組みを作る努力では、長期的な結果がまるで違います。

仕事にやりがいを感じないという問題は、子どもとの関係が変わることで変わります。子どもが「学ぶことが楽しい」と言い始め、授業のたびに手応えを感じるとき、教師のやりがいも戻ってきます。それは楽観論ではなく、実践を変えた教師が実際に経験していることです。心のエネルギーが戻り、次の日もう一度豊かに子どもたちと向き合えるサイクルが始まります。

この転換は最初、確かに苦しいものです。今まで踏み込んでいた場所から足を引き抜き、正しいかどうかわからない新しい一歩を踏み出す勇気が必要です。最初からうまくいく保証はどこにもありません。

それでも、現状のまま進めばどうなるかを一生分の教室生活の長さで考えるならば、変化は避けられないはずです。子どもたちが自立した学習者として学び始める教室は、教師にとっても豊かで前向きな仕事の場になっていきます。

この記事が参考になったらシェア

Share