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心マトリクスは、ネガティブな自分を否定しないための地図である

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心マトリクスは、月・太陽・沼・ブラックホールなどの状態を「よい」「悪い」で裁くための図ではありません。ドロドロした思いも、動けない自分も、全てあなたに必要な場面がある心の状態として扱う、自己理解の地図です。子どもに心マトリクスを手渡す前提として、「自分は自分でいい」という崩れない土台が教室に保証されていること、そして教師自身が同じルールで動く人間として自己開示し、語ることが不可欠です。

学ぶとは、自分を壊す行為である

心マトリクスを子どもたちに手渡す時、最初に押さえておきたいことがあります。それは、学ぶこと自体が、今までの認識や過去の自分を壊していく行為だという事実です。

「勉強ができるようになる行為っていうのは徹底的に自己破壊なんですよ。学ぶっていうことは今までのものの認識を壊していく行為でありますし、心マトリクスの自分になろうとするってことは過去の自分を壊すっていうことなんですね」

このように語られるように、成長とは変化であり、変化とは今の自分を手放すことです。だからこそ、学びの現場には怖さが伴います。そしてその怖さを抱えたまま「さあ自分で学びなさい」と言うためには、「自分は自分でいい」という本当の土台が教室で保証されている必要があります。

自己肯定の土台なしに主体的な学びを求めると、動けなかった自分と向き合うことは、全人格を否定されることと等しくなってしまいます。崩れない安心感があってはじめて、子どもは壊れることを恐れずに一歩踏み出せます。

心マトリクス
心マトリクス

「あなたはあなたでいいんだよ、自分は自分でいいんだよ」という感覚が、ゆるアツとして教室全体に張り巡らされていること。これが心マトリクスを機能させる最初の条件です。

ネガティブ領域も、あなたに必要な場面がある

心マトリクスを初めて使う先生ほど、月や星など「望ましい状態」だけを子どもに目指させようとしがちです。しかし、あらゆる心マトリクスの領域は、あなたにとって必要な場面があるという視点がなければ、この地図は善悪判定の道具になってしまいます。

左下に位置するブラックホールゾーンについて、放送の中でこんな場面が語られています。仲間うちで集まった時に誰かへの愚痴をこぼしたり、モヤモヤした思いを吐き出したりすること。それがあるからこそ、冷静に社会生活に戻れたり、自分の態度を改められたりする。「適切に扱えば全然いい」という言葉が、ここでの核心です。

心マトリクスを使った時に子どもたちが安心すると言ってくれるのも、この点にあります。「そういうネガティブなゾーンっていうものが自分の中で今まで言語化もできなかったし、ましてやそれが肯定されるなんてもう夢にも思ってない」というドロドロした思いが、初めて構造として言語化され、肯定される。そこに安心感が生まれます。

ネガティブな感情を単純に「悪いもの」として扱うのではなく、その気持ちが今自分の中にあること、それに対応する構造があることを知ることが、心の現在地を観察する最初の一歩になるのです。

心の成立過程を見取るということ

では、ネガティブな状態にある子をどう扱えばよいのでしょうか。大切なのは、その状態を善悪で裁くのではなく、どのようにしてそこへ入ったのかという成立過程を一緒に見取ることです。

「ニコニコにいたはずがなぜここにいたのかっていうことを分析する時に、あそこで自分の中に疑いの気持ちが起こって、それが自分の中で渦巻いて、自分ばっかりっていう発想になって、それを行動として表してしまったからイライラゾーンに入っちゃったんだな」

こうして、心の動きをベクトルとして言語化することが、現在地の理解につながります。そのドロドロした思いが、どこから来て、どういう流れでここへ辿り着いたのかが少しでも見えると、ひとまず安心できる。それが次の一歩を選ぶための支えになります。

フィードバックもこの文脈で機能します。「あなたの心の動きというものも、あなたがあなたらしく生きるためにはものすごく大切なことで、そういうエネルギーを正しく発散させて正しく処理するということができるようになれば、そっちの世界で自分を休ませたりとかいうことすらもあなたの人生の選択として入ってくる」という語りかけは、ネガティブな状態そのものを肯定しながら、扱い方を教えるものです。

月と太陽を往復できる教室をつくる

月(考えて・動く)と太陽(信じて・休む)のどちらが正解ということはありません。この二つを往復できることが大切であり、どちらかに偏り続けることが問題になります。

月から太陽へ。「疑って、考えて、動いて」という左側のサイクルはイライラや不安を伴いますが、そこを経て一旦信じる側に切り替える。「ここまでやってきたから大丈夫」と自分に言えるようになること、休んでいい場所に戻ること。そしてふわふわしてきたら、また考えて動くパワーを出していく。この往復が、無限に学び続けることの具体的な姿です。

一方で、月に偏り固まった集団には、具体的な手立てが必要です。「自由に動いていいよ」と言っても静かなままの教室では、誰かがコソコソと喋り始めた瞬間を取り上げて「そうやって隣と喋るっていうこともこの場の選択肢にありますよね」と言う。すると、わーっと喋り始める。安心するのは、自分と同じ立場の誰かがそれをしているのを見た時です。先生が「喋っていいよ」と言うより、クラスメイトが実際にしている姿を認められる方が、ずっと大きな許可になります。

それでも動けない場合には、「今日は月禁止、太陽体験会」として、全員でそちらの世界に飛び込む手立てを打つこともあります。一度経験すれば、「やっていいんだ」と身体で理解できる。次からは自分で動けるようになります。

教師の語りと自己開示が、地図を手渡す入口になる

心マトリクスを子どもに伝えようとする時、先生自身がどう動くかがとても重要です。ある先生が実践として報告していたエピソードが印象的です。子どもにこうなってほしいと強く願うからこそ、そうならない子たちにイライラしていた。その本心を打ち明けた上で、「でもそれも自分であって、そんな自分を否定する必要はない」と語った、というものです。

「先生もそうやってやってるんだ、先生も同じルールで動いてるんだ、同じ人間なんだ」

この自己開示は、感情の吐露ではありません。先生も心マトリクスの上で動く一人の人間として子どもの前に立つことで、「これは人間共通のルールだ」と手渡す実践的な一手です。先生が率先してそれを生きて見せることで、心マトリクスが紙の上の図ではなく、人と人として向き合う場の言葉になります。

語りやフィードバックは、この文脈の中でこそ機能します。先生が100%ロジックを持って「そこも必要な場所だよ」と言えるとき、その言葉は子どもに届きます。

ドロドロゾーンに入った時こそ、練習の機会として位置づける

「ぜひダラダラゾーン、ドロドロゾーンに入ってみてください」という言葉は、乱暴に聞こえるかもしれません。しかしこれは、ネガティブな状態を目指せということではなく、入ってしまった時にこそ「あっ」と気づき、観察し、扱う練習をする機会として位置づけましょう、という意味です。

感情が揺さぶられているその瞬間に自分を客観視するのは、一人では、しかも小学生や中学生ではほぼ無理です。だからこそ先生がいる。けテぶれシートがある。言語化する道具と場がある。「全ては、あなたがあなたらしく生きるために必要な機会と道具と人間が揃っている場だ」という言葉が示すように、学校という場自体が、心の住み心地を学ぶための最良の練習場になりえます。

パニックになって動けなくなったら先生を呼ぶことも、ちゃんと選択肢として伝えておく。そこにいる自分を自分が肯定できるようになることが、コントロールの第一歩だからこそ、先生がまずその肯定を全力で示す。それが、心マトリクスを手渡す教師の役割の根幹です。

心マトリクスは、よい状態だけを目指す地図ではありません。動けない自分、ドロドロした思い、疑って壊れそうな瞬間も含めて、全てを観察し、扱えるようにするための地図です。その地図を子どもに渡せるのは、自分もその上に立って生きていると示せる教師だけではないでしょうか。

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