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右の次は左へ進む:子どもの自立を支える両輪の思考

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教育において「教えること」と「任せること」は、一見矛盾するように見えます。しかし葛原祥太は、これを対立として捉えるのではなく、右足と左足を交互に出して歩くように、相反する働きかけが互いに前進を生み出す構造だと語ります。重要なのは、どちらか一方が「正しい」のではなく、子どもの現在地に応じて適切な方向に力を加えることです。そして、任せた後に詰め込みへ戻るのではなく、何を教えるかを「学び方・考え方・生き方」へとアップグレードしていくこと——それがけテぶれ・QNKS・心マトリクスを届ける理由です。

右足と左足——矛盾ではなく、前進の構造

歩くとはどういうことでしょうか。右足を出しましょう、と言った次には、左足を出しましょう、と言います。どちらが正しいのかではなく、どちらも出すから前に進めるのです。

教育における「教えること」と「任せること」も、これと同じ構造を持っています。子どもたちの主体性を大切にしましょう、と言ったすぐ後に、自分で自分をコントロールしましょう、と言う。傍から見れば矛盾しているように映るかもしれません。でも実際には、右足を出した後に左足を出すのと何も変わりません。どちらも前進するための力です。

こうした「一面矛盾するような、反対のことを交互に出す」働きかけは、太陽と月、みんなで学ぶことと一人で学ぶことのように、個人の子どもへの関わりでも、学校教育の大きな流れの中でも、同じように求められます。そして、両方の力が交互に回るからこそ、子どもというものが前に進んでいくのです。

戻ることではなく、アップグレードすること

教育の場では、「詰め込む時代」の次に「子どもに任せる時代」が来て、うまくいかないから「また教える時代」に戻る、というサイクルが繰り返されてきました。しかしここに大きな落とし穴があります。

「詰め込みましょう」という左足を出した。次に「任せましょう」という右足を出した。任せた結果、子どもたちが十分に学べなかった。だから「また詰め込みましょう」に戻る——これは後退です。一歩前に進んだはずの足が、元の地点に引き戻されてしまっています。

「教えることへ戻る」のではなく、「何を教えるかをアップグレードする」必要があるのです。

右足を出した後に次の左足が来るとき、それはより前の地点に着地します。任せてみた結果を踏まえて、では次の「教える」フェーズで問われるべきことは何か。それは「自由な世界において、子どもが自分で自分の学習をコントロールできるようになるために、何をしっかり教えればよいか」という問いに立つことです。

学び方をしっかり教えるという提案

その「何を」に対する葛原の答えが、学び方・考え方・生き方です。

学びのコントローラー
学びのコントローラー

けテぶれ・QNKS・心マトリクスは、子どもが自由な学びの場に出ても自分で学習を回せるようになるための、学び方の中身として位置づけられます。単なる教具や活動の名前ではありません。子ども自身が自分の学習をコントロールするための「見方・考え方」を、しっかりと届けるべき内容として捉えています。

こう考えると、「教える」フェーズの目的が変わります。知識を詰め込むためではなく、子どもが自分で回転し始めるための型を渡すために、教えるのです。「しっかり教えましょう」という足を次のステージへ踏み出すとは、教える行為そのものの意味を更新することでもあります。

けテぶれとQNKSが担う役割

けテぶれとQNKSは、「やってみること」と「考えること」を両輪として駆動させる道具です。

けテぶれ×QNKS
けテぶれ×QNKS

けテぶれは、計画して試し、結果を分析し、練習を重ねることで学びを身体化する方向に働きます。QNKSはその逆に、問いを立て、気づきを言語化し、内側の理解を外に引き出す方向に働きます。この両輪が交互に動くことで、子ども自身の「学びの回転数」が上がっていきます。

量と質の往還も、同じ構造です。量を増やしてきたなら、その学習効果を保ったまま質へ転化していく。質が上がってきたなら、今度は質の高い量をこなすことでさらに深まる。右足と左足の交互の動きは、あらゆる局面でこのように機能します。大切なのは、反対の足を出すことが「後退」ではなく「前進」であるという感覚を、子どもたちと共有しておくことです。

現在地を見取ること——昨日と今日で言うことが違う理由

教師がその子その子に対して、また日によって言うことが変わるのは、当然のことです。

長い棒を立たせることを教師の仕事として考えてみましょう。棒が右に倒れているときには左から圧力をかける。左に倒れているときには右から圧力をかける。その子その子で言うことが違うのは、倒れている方向が違うからです。昨日と今日で言うことが違うのは、昨日かけた圧力によって今日の傾きが変わっているからです。

心マトリクス
心マトリクス

心マトリクスは、「あなたの棒の位置はここだよ」と子どもが自分の現在地を知るための地図として機能します。教師が一方的に診断して圧力をかけるためのツールではなく、子ども自身が自分の状態を把握し、次にどこへ向かうかを考えるための見方・考え方です。自分の現在地が分かってこそ、次にどちらへ進めばよいかが見えてきます。

子どもは棒ではなく、自分で回転する存在

棒の比喩を使って説明してきましたが、実際の子どもはただの棒ではありません。

子どもはちゃんと自立し、自由意志を持ち、自分で動ける存在です。 これを前提に置くことが、この思考全体の土台になっています。

ただの棒であれば、教師が常に手を添えて支えるしかありません。しかし子どもには、自分で考え、自分で動く力があります。「考える・動く」という回転を子ども自身がぐるぐると回せる状態になったとき、何が起きるか——回転する棒には、ジャイロ効果が生まれます。コマが高速で回るほど安定するように、学びの回転数が上がるほど、子どもは自立に向かっていきます。

教師が右に倒れた・左に倒れたと手を添え続けなければならない状況は、その棒の回転が足りていないからです。回転数さえ上がれば、教師は少しずつ手を離せるようになります。逆に言えば、教師がいつまでも手を離せないのは、子どもの問題ではなく、子どもの回転を止めてしまっていることにあるのかもしれません。

教師の役割——回転数を上げて、手を離せるようにすること

子どもが自分で回転し始めるまでの最初のきっかけを作ることが、教師の仕事です。

けテぶれで試行の型を渡し、QNKSで思考の見方を渡し、心マトリクスで自分の状態の捉え方を渡す。これらは、子どもが回転を始めるための最初の推力です。そもそも子どもは回れる存在です。もっと言えば、もともと回っている存在です。学校という場に入ることで、その回転が止まってしまうことがある——それを防ぎ、むしろ回転数を高めていくことが、学校の本来の役割です。

学校に来る意味の一つは、高速に回れる子の姿を見ることであり、自分とは違う回し方を知ることでもあります。自分一人では気づかなかった回し方を、仲間と教師との関係の中で見つけていく。そうやって確実に回転数を上げていった先に、教師が手を離しても倒れない子どもが育っていきます。

両輪の思考とは、矛盾を乗り越えることではありません。反対方向の力を前進として使い、子ども自身が自分の学びを回し続けられる状態をつくるための考え方です。教師はその過程で、現在地を見取りながら力の方向を調整し続けます。そしてその調整は、いつか手を離すための準備でもあります。

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