学習指導要領の改訂論議において「学びに向かう力・人間性」と「見方・考え方」という二つのテーマが改めて俎上に乗っています。これらは長らく「大切だとは言われているが、実践現場では扱いにくい」概念として残ってきました。今回の放送では、この二つをめぐる論点資料を読み解きながら、葛原実践の文脈からどのように整理できるかを論じています。結論からいえば、「学びに向かう力」は方向性(ハンドル)だけでなく、駆動するエンジンと具体的な学び方という車輪を含めて構造化されなければならず、「見方・考え方」は中核的な概念・資質能力との関係性の中で初めて意味をなすということです。
今回の二つの論点
論点は二つです。一つは「学びに向かう力・人間性などについて、資質能力の柱の一つとして明確化を図る点はないか」というもの。もう一つは「見方・考え方と中核的な概念・資質能力との関係をどう整理するか」というものです。
どちらも、実践者の多くが「大事だとは分かっているが、実際の授業改善につなげにくい」と感じてきた領域です。今回の論点資料はその構造的な見直しを図ろうとしているわけですが、葛原実践の文脈から読むと、すでにかなりの部分が具体的な実践構造として実装されていることが見えてきます。
学びに向かう力:ハンドルだけでは動かない
現状の定義とその限界
学習指導要領では、学びに向かう力・人間性は「知識・技能と思考・判断・表現力という2つの柱を、どのような方向で働かせるかを決定づけるもの」と位置づけられています。つまり、他の2つの柱を「どこに向けるか」を担う役割です。
この定義はハンドルの役割を語っているといえます。どの方向に進むかを決める、という意味では確かにそうです。その方向性を具体的なイメージとして示すのが心マトリクスです。 ニコニコ・キラキラの方向に向けるのか、イライラや自己中の方向に向けるのか——心マトリクスはその方向性を図として可視化しています。

ところが、方向性が示されるだけでは学びは動きません。これが現状の定義に対する根本的な問いかけです。学びに向かう力を「どの方向で働かせるかを決定づけるもの」としか定義しないとき、エンジンと車輪の問いが丸ごと抜け落ちてしまうのです。
エンジンと車輪が必要
ハンドルだけでは車は進みません。そもそもエンジンが動いていなければ、いくらハンドルを切っても前には進まないのです。
今回のPISAをはじめとする各種調査が示すデータは、この「エンジンの不足」をはっきりと映しています。「自律的に学ぶ自信がない」「自己啓発を行えない社会人の割合が高い」——これらは、「どこに向かうか」の問いよりも前に「そもそも動こうとする力があるか」という問いに関係しています。
さらにもう一つあります。エンジンが動き、方向が定まっても、具体的な学び方という車輪がなければ前に進めません。 課題を立てて情報を収集し発表する学習がいまだ4割に満たない、自分の考えを書くことが苦手——これらのデータは、思考・表現の具体的な方法が身についていないことを示しています。これは車輪の問題です。
けテぶれとQNKSは、その車輪にあたります。 知識・技能をけテぶれとして身体化し、思考・判断・表現をQNKSとして形式化していく——この両輪があってこそ、エンジンを吹かせて方向性に向かって前進することができます。

エンジン・ハンドル・車輪という分け方が見えてくると、「学びに向かう力」という一つの言葉に収まっていたものが、実は複数の異なる層を持つことが分かります。この層を区別せずに授業改善を語ると、どこに手を打てばいいのかが見えにくくなります。
PISAデータを構造的に読む
論点資料に並ぶ課題データは、一括りに「日本の子どもたちの学びへの向かい方が弱い」という危機感として提示されています。しかし、それぞれを見ていくと、エンジン・ハンドル・車輪のどれに対応しているかが異なります。
- 「自律的に学ぶ自信がない」→ エンジンの問題
- 「課題を立てて探究に取り組む学習が少ない」→ QNKSの車輪の問題
- 「うまくいくかわからないことに意欲的に取り組めない」「失敗を恐れる児童が多い」→ けテぶれの車輪の問題
- 「社会参画への意識が低い」「従業員エンゲージメントが世界最低水準」→ 方向性・心マトリクスの問題
これらを「学びへの向かい方が弱い」というひとつの括りにしてしまうと、対策もあいまいになります。問題の種類を見分けることが、授業改善の出発点になります。 データそのものを羅列して危機感を煽るのではなく、どの層の問題として読むかが問われているのです。
「粘り強さと学習の調整」への問いかけ
もう一点触れておきたいのは、「主体的に学びに向かう態度」という評価観点が「粘り強さと学習の調整」の二軸で整理されていることについてです。
この二軸は学びに向かう力・人間性の一側面を取り出したものではありますが、エンジン・ハンドル・車輪という多層的な構造全体からすれば、それだけで十分かどうかは問い直す余地があります。評価の枠組みに合わせて「学びに向かう力」の解像度が下がり、実践上の理解が歪んでいくという指摘は、定義の問題が現場の理解に影響する構造を示しています。学びに向かう力の根本をもっと丁寧に整理しなければ、評価軸を変えても同じことの繰り返しになる——というのが、この論点が立っている問いです。
見方・考え方:二つの側面と新しい整理
混乱の構造
「見方・考え方を大切に」という言葉は頻繁に聞かれます。しかし、その意味を「中核的な概念」や「資質能力の育成」との関係で説明できるかというと、なかなか難しいのが現状です。
見方・考え方には、実は二つの異なる側面があります。一つは、「見方・考え方を働かせることで深い学びが実現される」という側面です。これは、見方・考え方を学びを深めるための手段として捉えています。もう一つは、「資質能力が育成されることで見方・考え方が更新される」という側面です。こちらは、見方・考え方を学びの深まりによって変容する結果として捉えています。
どちらを念頭に置いているかによって、「見方・考え方は最初に示すべきか否か」という議論の立場が変わります。最初に示す立場は前者を、示さない立場は後者を見ているといえます。どちらが正しいというより、この二重性を整理しないまま語ることが混乱を呼んでいるのです。
中核的な概念の導入
今回の整理で重要な位置を占めるのが「中核的な概念」です。
学びの深まりとは、各教科の中核的な概念を獲得できているかどうかによって示されます。そしてその獲得とは、「説明できる・作る・使う」という形で実際に言語化・活用できる状態のことです。葛原実践の文脈でいえば、QNKSのプロセスで「知る→やってみる→説明できる」という流れを経て、中核的な概念が自分のものになるということです。

この整理によって、見方・考え方の位置づけは「中核的な概念を獲得し、資質能力が育成された結果として更新されるもの」に統一されます。「見方・考え方を先に示すのではなく、学びを深めた結果として深まるものだ」という立場が、構造的な根拠を持つことになります。そして授業設計の問いも変わります。「見方・考え方をどう教えるか」ではなく、「中核的な概念を獲得するためにどのような学びの過程を設計するか」が問いの中心になります。
中核的な概念を軸に置くことの意味
中核的な概念の獲得を軸に置けば、「すべての内容を均等に扱わなければならない」という圧力から距離を置けます。「何を理解すれば本質が分かるか」に絞った授業設計が可能になり、これは教育内容の過負荷問題への一つの応答でもあります。
また、「見方・考え方を先に示してはいけない」という指導上の戸惑いも、この整理によって整理されます。最初に提示されるものは、見方・考え方そのものではなく、中核的な概念に向かうための学びの過程です。結果として見方・考え方が豊かになる——という流れが見えていれば、授業者は自分が何を向いて学びをデザインしているのかを落ち着いて問い直せます。
授業者への接続として
今回の論点資料が示しているのは、抽象的な概念語を実践可能な構造として再整理しようとする試みです。その方向性は、葛原実践がすでに具体化している内容と多くの点で重なります。
重要なのは、批評の中心が公的な資料への反論ではなく、「抽象語を実践可能な構造へ落とす補助線の提示」にあるという点です。学びに向かう力をエンジン・ハンドル・車輪に分けて捉える見立て、見方・考え方を中核的な概念および資質能力との関係で整理する枠組み——これらは、授業者が「今日の学びで子どもたちのどこに働きかけているのか」を問い直すための視点になります。
「見方・考え方を育てる授業」「学びに向かう力を高める」という言葉が思考の終点になっていないかを振り返るとき、エンジン・ハンドル・車輪という分け方は、その問いを具体的に立て直す手がかりになります。抽象語を抽象語のまま受け取るのではなく、実践の構造に落として考えること——そこから授業改善の次の一手が見えてきます。