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教科指導と生徒指導を一体化させる授業づくり

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生徒指導提要2.2「教科指導と生徒指導」を入口に、授業そのものを発達支持的生徒指導の場として設計する考え方を解説します。教師が子ども一人ひとりをすべて把握して支えようとする発想から、子ども自身が自分を理解し、子ども同士が互いを理解し合う環境を教師が設計するという発想への転換が核心です。けテぶれ・自由進度学習・心マトリクス・学級アンケートといった実践が、この転換をどう支えるかを示します。

授業こそ、生徒指導の主戦場

生徒指導といえば、問題行動への個別対応や放課後の生活指導を思い浮かべる先生は少なくないでしょう。しかし生徒指導提要2.2が示すのは、まったく別の視点です。

教科は教育課程の大部分を占めている。だからこそ、生徒指導との接続は授業から考えなければならない。

週数回しかない学活や道徳の時間に生徒指導的な機能を集中させようとしても、指導効果として薄いのは当然のことです。毎日毎時間おこなわれる教科の授業に、自己存在感の感受・共感的な人間関係の育成・自己決定の場の提供・安心安全な風土の形成を埋め込んでいく。それが「授業と生徒指導を一体化させる」ということの意味です。

提要にはこう書かれています。「授業は全ての児童生徒を対象とした発達支持的生徒指導の場となります。教科の指導と生徒指導を一体化させた授業づくりは、生徒指導の実践の視点にある自己存在感の感受・共感的な人間関係の育成・自己決定の場の提供・安心安全な風土の形成を意識した実践に他なりません」。

言葉としてはその通りです。しかし問題はその実現に向けての発想の向きにあります。

把握の主体を、教師から子どもへ

「子に応じた指導の充実」として提要に書かれている内容には、「学習内容の習熟度の程度を把握するだけでなく、興味・関心・学習意欲や授業への参加状況、学習上のつまずきの原因の把握など、児童生徒一人一人の学習状況のきめ細かな把握に努めることが求められる」とあります。

現場の先生から「そんなこと全員に対してできるわけがない」という声が上がるのは、もっともな話です。しかしできないと感じる理由はどこにあるでしょうか。主体が教師にしかないからです。

教師がすべてを把握して、教師がすべてに対応してあげようとする発想のままでは、どこまでいっても無理に決まっています。大切なのは、子どもたち自身が自分のことを理解しようとする環境をどれだけつくれるかです。子どもが自分の現在地を自覚し、自分で進もうとする歩みに教師が関わり続けることで、はじめて両輪になります。教師も子どもたちも一人ひとりの状況についての理解が同時に深まっていく授業の構造が必要なのです。

さらに踏み込めば、子ども同士のほうがむしろ鋭くお互いの状況を把握しています。「最近あの子ちょっとおかしいな」と気づくのは、その子と親しい友達です。先生が聞いてもなかなか出てこない情報が、同じ空間で毎日過ごしている子どもたちの間には流れています。

教師が全員を見切ることは不可能です。だから、子どもたちが自分たちに対して、自分たち同士でそういうことをやれるような環境をつくっていくことが大事なのです。この発想を教科の授業に持ち込めるかどうかが問われています。

学級の状態を、子どもと一緒に改善する

学級の実態を把握するためのアンケートを取ること自体は、多くの先生がすでにやっています。しかし問題はそのあとです。結果を教師だけが握って、教師だけが頭を悩ます。これでは構造が変わりません。

学級アンケートの結果は、全部子どもたちに返すのです。

「この状況をどう改善していけるかな」と子どもたちと一緒に考える。そういう関係性に持っていかなければなりません。

心マトリクス
心マトリクス

ここで効果を発揮するのが心マトリクスです。月軸(自分に厳しく一生懸命取り組む・ルールを守る)と太陽軸(人に親切にし、思いやりを持って関わる)という二つの軸に対応する質問をそれぞれ10項目ずつ5件法で聞き、子どもたちの回答を集計してクラス全体の座標を心マトリクス上に打つことができます。

毎月末にこれをおこなうと、1月・2月・3月と点が積み重なっていきます。それが学級の歩みになります。「悪口が横行している」という課題があれば、それを解決するための係活動・会社活動を子どもたちが起業し、翌月のアンケートでその成果を測る。数値のフィードバックとともに、具体的な活動が進行していく構造です。これが、生徒指導を教師だけのものにしない授業づくりの核心の一つです。

ばらけた現在地が、共感的な関係をつくる

「互いに認め、励まし、支え合う集団づくり」という文言も提要には出てきます。しかし全員が同じ進度で同じ内容を一斉にやっている授業では、この認め合い・励まし合いは構造上発生しません。

認め合い・支え合うとは、それぞれの現在地がばらけているから意味を持つのです。

それぞれの現在地がそれぞれにばらけていないと、励まし合い支え合うことは不可能です。認め合うことも不可能です。全員同じ進度で、ということになったらどうやって認め合うのかという話です。だから、バラバラにしなければならない。グラデーションを生まなければならない。

授業の中で進度の差・深さの差・感情の現在地の差が生まれることで、子どもたちがつながる自然なきっかけが生まれます。同じところで悩んでいる子同士がつながったり、できた子がまだできていない子に声をかけたりする。こういった関わりは、休み時間の自由な遊びではなかなか生まれません。算数や国語の授業という共通の目的があることで、違いが関わりの入口になるのです。

自覚〜協働
自覚〜協働

進度がばらけた授業を続けていると、男女の壁がなくなっていったり、特定の仲良しグループへのべったりした依存が少しずつほぐれていったりします。「今日は一人でやる」という選択ができるようになる。「この人と関わるハードルが下がった」という状態が積み重なっていく。これが協働的な学びの本来の姿です。

感情面でも同じことが言えます。「ダラダラしている気持ち、分かるよ」という共感の眼差しが教室の中を流れている状態を目指すことが大切です。共感とは、感情に巻き込まれることではありません。「その状況になった時に難しいよね」と自分と距離を置いて理解するシンパシーと、相手が感じていることを深く想像するエンパシー。この両方を使いながら、温かくつながり、そして豊かにほったらかすという両輪が教室の中で動き始めることが目標です。

今まさに一生懸命格闘している友達を見て、「今はほっといてあげようか」と判断できる。共感した結果としてほっておくことができる。この温かさが教室に根付いていくことが、共感的な人間関係の具体的な姿です。

こうした授業が成立するための言語化として、「今の位置から一歩進むということを全員の目標にする」という枠組みが教室にあることが重要です。全員の目標が「現在地からの一歩を踏み出すこと」であれば、速い・遅い・深い・浅いという違いはそのまま価値になります。違いがあるから支え合いが成立し、自己決定も意味を持つのです。

全時間が、仮説検証のフィールドになる

自己決定の場について、提要には「観察・実験・調べ学習において自己の仮説を検証し、レポートにまとめたりすることを通して、自ら考え、選択・決定する力が育つ」と書かれています。これを読んで「理科の授業でやればいい」と受け取ると、週に数回しか時間がとれません。

自己決定の場を提供する授業づくりとは、特定の教科だけの話ではないのです。

これが全授業でおこなわれていなければならない、というのがこの文脈のはずです。仮説と検証を何について回すかは本質ではありません。「より良い学び方を自分で獲得していく」という探究のテーマを通年にわたって設定し、それを探究し続けることが授業づくりの核になります。

このテーマ設定の構造的な意味は大きいです。1年間・約200日・1000時間を超える全ての授業時間が、仮説検証のフィールドになるからです。毎時間、自分なりの学び方を試し、その結果を振り返り、次の時間へ持ち越す。この連続が子どもたちの中に積み重なっていきます。

けテぶれ図
けテぶれ図

けテぶれ(計画・テスト・分析・練習)はその構造を授業に持ち込む最もわかりやすい形です。自由進度学習も同様に、子どもが自己決定しながら学習を構成化していく場をつくります。けテぶれ的な授業づくりが生徒指導的に理にかなっているのは、自己決定・現在地把握・他者との関わり・学級改善という生徒指導の実践視点が、授業の構造の中から自然に生まれてくるからです。

こうした授業を続けていると、学年が進む中でひとりひとりの学び方が本当にそれぞれに個別化・個性化してきます。自分の歩み方を確立した子に「この歩き方こうだよ」と言われても「ふーん」で終わります。歩き方のコツやバリエーションへのニーズが高いのは、まだ自分の歩き方を探している段階の子たちです。それぞれが自分の歩み方を始めているとき、学び方のシェアという活動がそれ自体の必要性を失っていく。これが、指導が個別化され、学習が個性化しているひとつの目安です。

安心安全な居場所は、方法とあり方の両輪で

「ホームルーム自体が、児童生徒の心の居場所になることが望まれる」という文言も提要にあります。こういう学級を実現してきた先生たちが確かにいます。しかしそれらの多くは、職人技として属人的に成立してきた部分が大きかった。

生活けテぶれは、そのような学級をつくれる先生たちがやっていたことを構造化し、方法論として使えるようにしようとするものです。安心安全な居場所づくりは「これをやれば完成する」というものではありませんが、方法論として入口を持っていることは確かに大切です。

大事なのは、やり方とあり方の両輪です。

生活けテぶれをやりながら、教師自身がどういうあり方でいるかを探究し続けることが求められます。心理的安全性のある教室は、技法だけでは作れません。子どもを信じ、子どもに任せ、子どもの現在地を認める。その教師の姿勢が、方法論の土台を支えます。

日々の授業の中で、子どもたちが安心して「今日は全然わからなかった」と言えるか。「イライラしながら頑張っている」というその状態を、クラスのみんなが受け止められるか。こうした場の質は、教科の授業を通じて毎日少しずつ積み重ねられていくものです。

まとめ

生徒指導は、授業の外側にある特別な対応ではありません。日々の教科の授業の中で、子どもが自分の現在地を知り、自分で選び、他者と関わりながら一歩を踏み出す環境を設計すること。それが、発達支持的生徒指導の本来の姿です。

主体をどこに置くか。教師がすべてを把握して解決しようとするのではなく、子ども自身が自分を理解し、子ども同士が互いを理解し合う環境を授業の構造としてつくっていく。この転換が、教科指導と生徒指導を一体化させる授業づくりの出発点です。

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