「心マトリクス」の原点は、著者が初任時代に掲げた心を知り心に勝つという学級通信のタイトルにあります。それは子どもたちとの日々の実践の中で自然発生的に生まれ、教室における思考の共通言語として機能していきました。理論からではなく、現場での対話と試行錯誤を通じて体系化された、極めて実践的なツールなのです。
はじまりは学級通信のタイトル「心を知り心に勝つ」 心マトリクスの着想は、私が教員として初任校に赴任して4年目、高学年を担任した時にさかのぼります。当時、学級通信のタイトルを考えていた私は、子どもたちに伝えたいメッセージとして心を知り心に勝つという言葉を選びました。
この言葉が、後の心マトリクスの原型となる考え方のまさに原点です。「心に勝つ」という理想の姿と、その反対にある「心に負ける」という姿。この2つの軸で物事を捉えることから、すべては始まりました。
「信」じることから見えてきた世界 翌年、5年生から6年生へと持ち上がった際には、学級通信のタイトルを信という一文字に変えました。これには、子どもたち同士の信頼関係はもちろん、私自身が子どもたちの可能性を心から信じて、任せて、認めるという強い思いが込められています。
この頃には、学習ツールとして「けテぶれ」も開発しており、授業の多くを子どもたちに任せるスタイルを確立していました。教室には、土台としての「学び合い」があり、その上で「けテぶれ」と「NKS(後のQNKS)」が両輪となって子どもたちの夢を支える、という構造が見え始めていました。
しかし、この時点ではまだ「心マトリクス」のような図式化はされておらず、あくまで言葉として子どもたちに投げかけている段階でした。
「原初の心マトリクス」の誕生 転機が訪れたのは、2校目の学校で4年生を担任した時です。子どもたちに学びを任せる空間を作る中で、「これは必要だろう」という直感から、自然発生的に一つの図を作り始めました。それが原初の心マトリクスです。
当時はまだ名前もなく、子どもたちからは「心の交差点」といったアイデアが出たほどです。厚紙と折り紙を使い、以下の4つの方向を示す矢印を作りました。
- 上: 心に勝つ
- 下: 心に負ける
- 右: 誰かのために
- 左: 自分さえよければ
そして、右上の理想の方向には、子どもにもらった金色の折り紙で星を貼り、「ここを目指していこう」と語りかけました。
この図を教室に掲示したところ、子どもたちは驚くほど興味を示し、自分は今どこにいるのかを考えるためのツールとして自然に使い始めたのです。この時、子どもたちの心の状態を可視化する「心の地図」が、非常に優れた教材になり得るという手応えを感じました。
学びのツールをマトリクスで意味づける これまで実践してきた「けテぶれ」や「QNKS」が、このマトリクスの中でどのような意味を持つのかを子どもたちに示すことも重要だと考えました。4年生の終業式の日、私は子どもたちに次のような話をしました。
「みんながこれまで取り組んできた『学び合い』や『けテぶれ』、『QNKS』は、この図の右側の誰かのためにという世界で、心に勝つ努力を積み重ねるための道具なんだ。みんながピラミッドを登るように努力を続けてきたからこそ、右上の黄金の星が心の中で輝いているんだよ」
この語りによって、日々の学習活動と心の成長が、マトリクスの上で一つにつながりました。
保護者と共に深めた理解 この取り組みは、保護者懇談会でも説明しました。特に、目指すべき姿である右上の領域と、避けるべき姿である左下の領域について、具体例を挙げてお話ししました。
左下の「心に負けて、自分さえよければよい」という状態は、当時牢屋ゾーンと呼び、万引きを例に説明しました。「欲しい」という心に負け、お店の人や家族の悲しみを考えずに自分の利益だけを追求する行為は、社会では認められにくいという話です。
保護者の方からは「左上(心に勝つ × 自分さえよければ)は何ですか?」という質問も出て、「悪の科学者のように、努力する力を自分のためだけに使う姿かもしれませんね」と一緒に考えを深めたことを覚えています。
一気に体系化、そして「心マトリクス」へ 子どもたちとの対話を重ね、様々な気づきが蓄積されていった2018年3月7日。それまでの学びを黒板に書き出し、一気に構造化を試みました。この時、「信じる・思いやる」といった言葉や、「月・太陽・地球」といった概念も生まれ、現在の心マトリクスの骨格がほぼ完成しました。
そして2日後の3月9日、その図を改めて清書し、心マトリクスと名付けました。これが、心マトリクスが正式に誕生した瞬間です。
実践から生まれたツールの強み 心マトリクスの成立過程を振り返ると、それは決して理論から演繹的に作られたものではなく、子どもたちとの日々のやり取りの中から帰納的に生まれたものであることがわかります。
具体的な事実や子どもたちの姿を元に作り上げてきたからこそ、このツールはブレることがなく、多様な状況を説明できる強さを持っています。このアプローチは、後に開発した「学びの木」にも通じる、私の実践の核となるものです。
この成立過程を知っていただくことで、心マトリクスへの理解がさらに深まれば幸いです。次回は、心マトリクスを導入する際におすすめしている「ドラえもんの語り」について、実際の講演会の音声をお届けする予定です。どうぞお楽しみに。