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体育が苦手な子を動かす、けテぶれの一歩目

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体育では、教科の深い見方・考え方へ向かう前に、まず「できるかできないか」という現在地から一歩を踏み出す支援が必要です。けテぶれは、テストと練習の目的を明確に分け、分析によって焦点化された練習へ進む仕組みをつくることで、苦手な子にも「できないことは怖くない」というマインドセットを育てます。見方・考え方を働かせられるから任せる、ではなく、任せて試す一歩の先に、見方・考え方も挑戦する心も育っていきます。

見方・考え方は「目的地」であって、現在地ではない

体育の研究や教科指導を深めていくと、「教科の見方・考え方を働かせる」という視点が非常に重要になってきます。それは確かにそうです。ただ、そこで一度立ち止まって考えたいのは、見方・考え方は「目指すべき姿=目的地」であって、子どもたちの「今いる場所=現在地」ではない、という点です。

これはけテぶれにおける「自立した学習者」に似た構図です。自分で学べるようになってほしいからけテぶれを使う——それはよく分かります。でも「自分でまだ学べないから、けテぶれは渡せない」という発想になってしまったら本末転倒です。それと同じように、「見方・考え方をまだ働かせられないから、学びを任せられない」という論理も成り立ちません。

学びを任せてみる。その先で、自分ごとに取り組む経験を重ねる。そのプロセスの中に、少しずつ見方・考え方が育っていく余地があります。働かせられるようになってから任せるのでは、そうした経験自体が生まれません。

算数が苦手な子が「繰り上がりがいつも間違える」という困りを抱えているとき、「今日の算数的な見方、どれを使いましたか?」と問われても、その子にとっては学習を否定された感覚になりかねません。求める姿と一歩目を混同しないこと。その子なりの一歩目をちゃんと認める場所に、けテぶれは作用します。

けテぶれは「もっと手前」に作用する

QNKS(問い・抜き出し・組み立て・整理)は、教科の思考を精緻に分解して「分かるように、できるように」なるプロセスを深く支えます。一方、けテぶれが最も力を発揮するのは、もっと手前の局面です。

できるかできないか。それだけが問題になっているような場面。計画・テスト・分析・練習というサイクルで、まず「自分の学習を自分が動かす」ことを支援するのがけテぶれです。

けテぶれ図
けテぶれ図

体育においてこれは特に顕著です。運動や技術の習得を前に、高度な教科専門的思考よりも前に、「やってみるかどうか」という入り口の問題がまず立ちはだかります。苦手な子にとっては、「できないこと」そのものがブロックになっているからです。

その子なりの一歩は、教科専門的な視点から見れば「頼りない学び」かもしれません。それでも、その一歩の中に確かに主体性の芽が育っています。その芽を見取ること、そしてその次の一歩を示すことが、教師に求められる役割です。

教師として単元ごとに「本質的に求められる学びの姿」を持っておくことは不可欠です。ただしそれは、教師が持つべきもの。子どもの一歩目を評価するものさしにしてしまうと、その子の現在地が見えなくなります。教師が見方・考え方を持つのは、子どもの一歩を受け取り、次の2歩目を示すためです。「あなたの一歩はとても素晴らしい。次にこの方向へ踏み出すといいよ」と言えるためです。その2歩目を指し示せるかどうかが、教師の教科専門性の問われどころです。

テストと練習を分ける — 体育での核心

体育でけテぶれを使うとき、最も注意が必要なのはテストと練習の目的の違いを子どもたちが意識できているかどうかです。

けテぶれにおける「テスト」は、今の自分の実力を確認する行為です。今どれくらいできているか、どこができてどこができていないかを見るためにやります。対して「練習」は、その確認結果を分析したうえで、焦点化して行動する行為です。できていないところをプラスにするのか、できているところをさらに伸ばすのか——どちらかに絞って取り組む。この二つは目的も、必要な意識も、まったく異なります。

ところが、体育ではこれが混在しやすい。「ただただ跳び箱を飛びまくる」という姿は、テストでしょうか、練習でしょうか。区別があいまいなまま「やりまくる」だけになってしまうと、自己改善サイクルは回っていきません。「計画→テスト→計画→テスト」とケテケテになってしまい、分析と練習が抜け落ちてしまうのです。

練習のイメージ
練習のイメージ

分析のステップでは、自分の演技や動きの中から「プラス(できていること)」と「マイナス(できていないこと)」を見つけなければなりません。たとえばバレーでレシーブが苦手な場合、レシーブを上手にしてマイナスをプラスにするか、レシーブ以外の部分をさらに伸ばしてチームプレーに貢献するか、どちらかに焦点化します。さらにレシーブ自体の中も、「どの動作ができていてどこが抜けているか」と細かく分析する必要があります。この視点が育つためには、教師のアドバイスや、子どもが自分で判断できるだけの情報が必要です。

教師が用意する「練習の選択肢」と「場」

分析した後で焦点化された練習に進むためには、練習の選択肢が用意されていなければなりません。跳び箱しかなければテストしかできません。練習のバリエーションと、それを実行できる場をつくることが教師に求められます

たとえば跳び箱でお尻が上がらないという課題があれば、ロイター板と跳び箱を壁にくっつけて「お尻を高く持ち上げるジャンプの練習ゾーン」をつくる。そうした具体的な場作りがなければ、子どもたちはテストと練習を分けて考えること自体が難しくなります。こういう場があってはじめて、「今自分は何のためにこれをやっているか」という意識が生まれます。

任せることは、放任ではありません。子どもが焦点化された練習を自分で選び、取り組める環境を整えること——それがあってはじめて、信じて、任せて、認めるが成立します。教師は何も準備しなくていいのではなく、むしろ豊かな場と選択肢を用意することで、子どもの主体性を支える役割があります。

苦手な子が試合に向かった理由

ある学年の体育で、転がしてバレーをするグランドバレーの単元を導入したときの話です。練習の仕方を一通り体験したあと、「試合ができそうな子はコートに集まっていいよ」と声をかけました。

すると、真っ先に試合ゾーンに集まってきたのは、体育がとても苦手で嫌いだという女の子たちのグループでした。「なんで試合するの?できる?」と話しかけてみると、彼女たちはこう言いました。

「だって先生、やってみなきゃ何練習したらいいか分からないじゃん。」

これは、けテぶれのマインドセットが体育の文脈でそのまま動いた瞬間です。本番の状況に自分を投入してみないと、どの練習がどの程度必要なのかが分からない。だからまず試合をする。うまくできなくてもいい。それがテストだと、彼女たちは直感的に分かっていたのです。

これは、教科の深い思考を働かせる高度な発想とは全く別の、ボトムアップな動き方です。それでも確かに、自己改善サイクルが駆動していました。苦手だからこそ、まず試す。そのことが態度として、行動として現れる——これがけテぶれかける体育の、最も素敵なところだと思います。

「できないこと」が怖くなくなる場をつくる

体育が苦手な子にとって最大のブロックは、「できないこと」への恐れです。楽しくないから、やりたくない。そのサイクルから抜け出すのは簡単ではありません。

けテぶれが育てるマインドセットは、「できないことは分析して練習すればできるようになっていく」という感覚です。失敗や「できない」は終わりではなく、次の練習の材料になる。間違いは成長の種であり、むしろそこから自己改善サイクルが始まります。このマインドセットが根づいていくと、体育の場全体が変わっていきます。後ろ向きな姿勢や「やりたくない」という拒絶が減り、苦手な子も含めた場の盛り上がりが生まれていくのです。

けテぶれを体育に使うとき、目指すのは「教科の深い見方・考え方を獲得させること」よりも前にある、もっとシンプルな変化です。現在地から一歩踏み出せること。挑戦することを恐れない心が育つこと。その一歩目を支える仕組みとして、けテぶれは体育においても確かに機能します。

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