コンテンツへスキップ
サポーターになる

心マトリクスとドラえもんで描く、自立する教室づくり

Share

身近な物語を入口に心マトリクスを道具化し、けテぶれ・QNKSで子どもが自分の現在地から一歩動ける教室を育てることを語る。ドラえもんの通常回と映画回の対比を通じて、教師がすべてを解決し続ける教室ではなく、子ども自身が道具を使って考え・動き・協力する教室像を描く。心マトリクスは導入で終わるものではなく、授業・休み時間・学校外の生活の中で自分と他者を見るメガネとして機能してはじめて、その力を発揮する。

心マトリクスとドラえもんをつなぐ

心マトリクスを子どもたちに伝えるとき、最初の問いは「どこから入るか」です。どんな概念も、子どもの生活に近い物語や文脈から入ったほうがなじみやすい。そのひとつの入口として、ドラえもんを使った語りがあります。

ただし、大切な前提があります。ここでの目的はドラえもんのキャラクター紹介ではないということです。ドラえもんは、心マトリクスという道具を子どもにとって分かりやすい物語から導入するための入口にすぎません。「ドラえもんの話をする授業」ではなく、「ドラえもんを使って、この1年間の教室の向かう方向を語る場」として位置づけます。

子どもたちとの問いかけはこんなふうに始まります。「のび太くんは、どこにいるでしょう?」

ドラえもんの登場人物を心マトリクスに当てはめると、こんな構造が見えてきます。のび太くんは「なんとなく動いてはいるが、自分の力で方向を定めきれていない」という位置にいる。ジャイアンは自分のエネルギーで動いているが、それを他者に強要する方向に向いている。スネ夫はジャイアンに引き込まれるゾーンにいて、「一緒にサボろうぜ」と誘うブラックホールの動きを担う存在として出てくる。一方、しずかちゃんや出木杉君は、少し目立たないけれど、考えて動き、人を信じて関わる場所にいます。

心マトリクス
心マトリクス

この構図を示しながら、こう伝えます。「今のあなたの現在地で本当に素晴らしい。でも、そこからどこを目指してほしいか——ここです、星を目指してほしい」と。現在地を否定するためにこの構造を使うのではありません。どこにいても、そこからの一歩を考えるためのスタートラインとして使うのです。

通常回のドラえもんが教えてくれること

心マトリクスの導入を終えたあと、「どんな教室にしたいか」を語るために、ドラえもんの通常回と映画回の対比を使います。

通常回のドラえもんをひと言で言えば、「ドラえもんがすべてを解決する話」です。のび太くんが悩んでいれば、ドラえもんが秘密道具を出して「あなたの悩みはこれです、助けてあげましょう」と解決する。それを何十年も繰り返してきた結果、のび太・ジャイアン・スネ夫の関係はほとんど変わらないままです。

教師が前に出てすべてを解決し続けると、子どもたちの関係も行動も変わらないまま50年続く——という話を、子どもたちに語ります。

「義務教育が終わって学校から出た瞬間、先生はいなくなります。その時に自分で動けなかったら、あなたの現在地はそのまま変わらないかもしれない」。これは脅しではなく、「だからこそ今、この教室で練習するんだよ」という言葉の前置きとして語られるものです。先生は、一人一人全員を信じて、思いやるべき存在として、プロとしてここに立つ。でも、先生に頼り続けることと、先生に支えられながら自分で動くことは、根本的に違います。

映画版ドラえもんの教室をつくる

では、目指す教室はどんな姿か。それが映画版ドラえもんの世界です。

映画になった瞬間、のび太くんは突然考えて動き始めます。ジャイアンもあの分かりやすい優しさを発揮する。なぜそうなるかというと、ドラえもんがいなくなるからです。頼れる存在が消えた瞬間、2人は協力して動き始め、一緒に星を目指します。星になった瞬間、敵を倒せるんです。これが映画版の構造です。

「この教室でやりたいのは、結局映画版の話です」と伝えます。先生はドラえもんとして、みんなに教えるし、伝えるし、考えるし、思いやる。でも、できるだけ子どもたちの前から消えていきたいと思っています。「先生がいなくなっても、僕たちはいけるよ」という姿を、いつまでも目指したいから。

そのために先生がやることは、「前から消える」だけではありません。映画のドラえもんも、のび太たちに丸腰で「動け」とは言わない。空気鉄砲を渡していく。汎用的で、どこでも使えて、便利な道具が必ず渡されているのです。教室でも同じです。道具を渡した上で、先生は少しずつ前から退いていく——そういう教室を目指します。

道具を渡す:けテぶれとQNKS

この教室で子どもたちに渡す道具が、けテぶれとQNKSです。

「分からないならQNKS、できないならけテぶれ」——これが合言葉です。

友達との関係がうまくいかない時、心マトリクスで自分の現在地が見えてきたら、そこからけテぶれが動き出します。テストして、分析して、練習する。分からないことがある時は、QNKSで問いを立て、重ねて考えていく。どちらも、「テストで何点取るか」のためだけにある手段ではありません。子どもが自分の人生の主人公として、目の前の壁を自分の力で崩していくための道具です。

「あなたが主人公なんだよ」と伝えた時、その主人公には自分の動かし方が必要になります。分からない壁、できない壁——主人公の物語にはいくらでも出てきます。その時に、「その壁をどうやって崩すか」を一緒に練習していくのが授業であり、学校という場なのです。

学びのコントローラー
学びのコントローラー

けテぶれとQNKSは「学びのコントローラー」として、どんな教科・どんな場面にも使える汎用的な道具として渡されます。国語でも、道徳でも、理科でも、そして休み時間の人間関係でも。これを使いこなせるかどうかが、先生がいなくなれるかどうかにかかっていると言っても過言ではありません。先生はアドバイスするし、教えるし、一緒に考える。でもその先に、「あなたが道具を自分で使える」状態を目指して関わります。

漢字の小テストは、この道具を使う練習の最初のフィールドです。テストで100点を取ることが目的ではない。「あなたはあなたの人生の主人公だ。そのために、できなさっていうものを分析して、練習して、自分で乗り越えることを、ここで練習しよう」という位置づけです。

教室は練習の場、本番は学校の外

ここで大切な視点の転換があります。教室は練習の時間です。本番は、休み時間であり、家に帰ってからであり、学校を出たあとです。

先生が見ていない場所、友達も見ていない場所——そこで「あなたはあなたの学びの手段を使って、自分の学びを動かせますか」と問えるかどうか。それが、この教室で1年間かけて練習していることの本質です。

夏休みも、冬休みも、学校から出たあとのあなたに、学級での練習が生きているかどうかを問えるような力を育てること。先生がいる場でだけできていたのでは、本当の力にはなっていない。「先生がいないとやっぱりできない」とは、絶対に言ってほしくない——その思いが、この語りの根底にあります。

この問いを子どもたちに語ることで、けテぶれとQNKSが「学校の中だけの技術」ではなく、「自分の生活全体を動かす手段」として受け取られるようになります。社会のフィールドでも、道徳のフィールドでも、体育のフィールドでも、あなたの分からなさ・できなさはいろんな場所に発生する。それを一つずつ乗り越えていって、自分でやるという感覚を目指していく——そういう6年間を、学校全体でつくっていけることは、本当に強みになります。

目立たない友達を見つける

もう一点、語り落とせない補足があります。「静香ちゃん構造」とも言える視点です。

映画版のドラえもんでは、静香ちゃんがさらわれる、あるいはドラえもんが壊れるという展開がよくあります。つまり、星ゾーンにいる存在が失われるから、のび太たちが動き始める。しかし、教室の現実は映画と違います。教室には、静香ちゃんはさらわれていない。 学級の中に、確実に、よりよく生きようとしている友達が存在しているのです。

だからこそ、子どもたちにこう伝えます。「ブラックホールが目立つのは分かる。でも、目立たないけれど星ゾーンに近い友達が、あなたの教室に必ずいる。その子を見つけて、その子を一つの指針にしてください」と。

目立つ荒れやサボりだけを見ていると、教室全体がそこに引っ張られていく。 よりよく生きようとする目立たない存在は、特に4月・5月の学級の立ち上がり期には、意識しないと見えてきません。意識的にその子を探し、「もし自分がその位置にいられていると思うなら、自信を持って存在感を出してほしい。みんなをこっちだよと言えるような存在になることも、とても素晴らしいことだ」と伝える。それも、この語りの重要な一部です。

導入より大切なのは、日々使い続けること

心マトリクスの導入は、ドラえもんを使っても、学校の校訓と結びつけても、子どもたちに身近な別の物語を使っても構いません。学校の門の石に「自主・協働・創造」と刻まれていれば、「自主が月、協働が太陽、そして創造が星ですよ」と回収することもできます。どちらにせよ、子どもたちの身近なものから入っていくことが、心マトリクスをなじませていく上で有効です。

ただし、それはあくまで導入の工夫です。大切なのは、導入よりも日々どのくらい使うかです。

授業中に、給食の時間に、休み時間の出来事に、道徳や国語の単元に、心マトリクスを重ねてみる。「今、自分はどこにいる?」「あの友達はどこで頑張っているんだろう?」という問いが自然に生まれてくるような日常をつくることが目標です。心マトリクスが自分を見るためのメガネとして、他者を見るためのメガネとして、社会を見るためのメガネとして機能し始めた時、子どもたちの中に本当の変化が生まれます。

納得できる範囲から少しずつ、しかし日々の実践の中で使い続けてください。それが、先生がいなくなっても動ける子どもたちを育てる道です。

この記事が参考になったらシェア

Share