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「けテぶれ」が響かない子にどう関わるか

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けテぶれや自由進度学習に乗り切れない子には、まず学習過程を星やポイントで可視化し、外発的動機づけを入口として使うことが有効です。ただし評価するのは点数ではなく、ノートに現れる学び方や粘り強さです。それでも動かない子には、やらない背景を観察しながら、選択の先にある世界をフラットに語ります。その根底にあるのは、けテぶれをやらない子とも「人として対立しない」という関係性です。豊かにつながっておくからこそ、豊かにほったらかすことができる。教室の中に他者が楽しそうに学ぶ姿が常にある状態こそが、動き出す栄養となります。

導入時の「初速」をどう守るか

けテぶれを始めると、クラスには必ず「乗れない子」が出てきます。やらない子、できない子。これは実践者なら誰もがぶつかる問題です。

大切なのは、この問題を「どう解決するか」の前に、「なぜ初速でつまずくのか」を理解しておくことです。

けテぶれはただでさえ聞き慣れない言葉です。そこで担任が「自分で考えて自分で勉強してね」と求めてくると、分からない子は分からないし、嫌な子は嫌でしょう。不安やめんどくさいという感覚は自然なことです。問題は、そこで一度マイナスのイメージが確定してしまうと、なかなか覆しにくいという点にあります。

けテぶれ導入では、「これだけでいいんだよ」という最低限のラインをしっかりと示すことが出発点になります。できない・分からないという反応が出ないよう、最初から子どもたちをコーディネートしていく。その入口の設計が、乗れない子を減らすための第一歩です。

外発的動機づけを入口に使うことを恐れない

「シールで釣るなんて」という抵抗感を持っている方は少なくないと思います。しかし実際にシールを巧みに使う実践者のやり方を丁寧に学んでみると、その効果の大きさに気づかされます。

最初から内発的動機づけで動ける子は、けテぶれと言わなくても自分で勉強します。問題は、そうではない子たちをどう動かすかです。まず外発的動機づけから入ることは、全然悪くないのです。

シールもポイントも、入口としての装置です。大切なのは、どこに対してシールを出すかという目線です。

評価するのは「点数」ではなく「過程の質」

テストの点数に対してシールを出してしまうと、点が取れない子は最初から取れないままです。そうではなく、けテぶれノートに現れる学習過程の質に対してフィードバックを返すというのが、この実践の核心です。

星は1つ・2つ・3つの三段階で整理できます。

  • 星1つは「いいね」。横線を引いてピッと書くだけ。一冊のノートの取り組みの中に5つあれば星5個になります。
  • 星2つは、みんなに紹介したいほどよい、つまり学級通信用に写真を撮りたいほどの取り組みです。
  • 星3つ(トリプルスター)は、教室の中でまだ誰もやっていない外側への新しさ、あるいはその子の内側で大きな一本になっている内側への新しさです。

コメントはほぼ書かない。星の数だけで評価を返していく。このフィードバックの仕組みは、心マトリクスの星ゾーンと重ねて設計されており、「スター通信」「トリプルスター」という言葉も含めて統一したシステムとして機能します。

☆のフィードバック
☆のフィードバック

このようなフィードバックの仕組みを整えると、子どもたちは「星が欲しいからノートを頑張る」という初速を生み出します。最終的には、星の数を棒グラフ状に蓄積するポイントシートをつくり、年間を通じて子どもたちが自分の学習力を可視化できる仕組みへと発展していきます。

重要なのは、シールが単なるご褒美でも子どもを思い通りにコントロールするための道具でもないということです。シールが溜まっているということは、あなたの学習力が可視化されているということなのです。これは学び方・考え方を子どもたちに付けさせるための手立ての一つとして位置づけられます。

「学習力」という新しい指標が教室を変える

この仕組みが機能し始めると、教室の力学が変わります。

テストの点数だけが可視化されている教室では、点が取れる子はアグラをかくことができます。持っているものだけでチャチャっとやって高得点を取れてしまえば、努力しなくても上位でいられるからです。しかし、学習力という新しい指標が持ち込まれることで、その様相が変わります

いくら学力が高くても、過程において工夫や粘り強さがなければ、星の数は少ないということになります。逆に、不器用でも真面目に頑張ろうとする子は、点数では追いつかなくても、星の数では上回ることがあり得る。これが教室の中に新しい評価の軸をもたらします。

学習力のABC+
学習力のABC+

この学習力という視点を持ち込んだうえで、テストの結果が出た時に自分の学力と学習力を同時に振り返る「大分析」を行います。学力はもちろん大切ですが、それ以上に「目標に向かって自分で自分の心と体を動かすテクニック」である学習力は、どんな将来の道を歩むにしても直接的に関係してくる力です。

このような文脈を子どもたちに語っていくことで、より多くの層を学習へと巻き込める可能性が広がっていきます。

シールにも点数にも反応しない子への「語り」

外発的動機づけを整えても、シールにも点数にも全然反応しない子はいます。「シールなんて欲しくない、テストの点もどうでもいい」というタイプです。

そういう子に対しては、外から動かそうとする手立てはほとんど通用しません。その子の横に行って、話すしかないのです。

まずやることは観察です。やれない・できない背景を観察しながら、どこが嫌なのかを問いかけ、一緒に現在地を分析することです。先生と子どもが一緒に「なぜ今動けていないのか」を分析するフェーズです。けテぶれでいう「計画を知る→テストを見る→分析する」の流れを、その子のために一緒に辿っていく。

語りのスタンスは、脅しではなくフラットな事実提示です。

「けテぶれをやらなくても死なない」ということは事実です。今の大人で、けテぶれを知っている人はほとんどいません。しかし、やらなかった時にどういう要素が人生から失われるのかは、フラットに知らせてあげたいのです。学年相当の学習が積み上がっていなければ、接続しにくくなる世界が出てくる可能性があります。それをあたかも脅すように「やらなかったら人生終わるぞ」と言うのは嘘になるので避ける。でも、「今の気分で何も考えずにやらないという選択をして、後から後悔するのはかわいそう」という思いから、「今の選択がどんな未来につながるのかを一旦知っておいた方がいいかもしれない」という形で語っていく。

これが語りです。決して押しつけがましくなく、自然な会話の文脈の中で紡ぎ出されていくものです。こういうことを「今日これを言ってやろう」という形で段取りして話そうとするとしんどくなります。いかに自然な関わりの中でこういう話がポンと出てくるか、という感覚的なところが大切です。

最も大切なこと——人として対立しない

語りを受け取れるかどうかは、信頼関係にかかっています。どれほど正しいことを言っても、受け取れる関係がなければ届きません。教師とその子が人として対立していないことが、すべての大前提なのです。

けテぶれが大事だと言っている先生の教室でけテぶれをやらないという行動を取り続けると、子どもは「自分は先生に嫌われているんだろう」という自己認識を始めます。高学年なら十分にそこまでメタ認知できます。それが一度確定してしまうと、その子は教室の中で孤立の方向へ向かっていきます。

心マトリクス
心マトリクス

心マトリクスで言えば、左下のブラックホールのゾーンです。やりたくないという気持ちに動かされ、先生の目が怖く見えて、自分たちだけでギュッと閉じてしまう。教室の中でネガティブな存在として認識されてしまえば、クラスの友達ともつながりにくくなっていきます。先生との対立が、結局その子の孤立を生んでしまうのです。

だからこそ、「けテぶれをやらなくても、あなたはあなたとして素敵だよ」というメッセージを注意深く届けていく必要があります。先生が嫌っているわけではない、その子の存在価値とけテぶれをするかしないかは切り離されている。そのことを、言葉にして届けていく。

開口一番から「私先生のスタイル無理」と言い出す子が出てきたとしても、こちらは対立しないことが大切です。「そうか、そういう気持ちになることもあるよね」とニュートラルに受け止め、喧嘩もせず、かといって自分のスタイルを変えるわけでもなく、「楽しくなると思うよ、とりあえずやってみたら」という態度で接する。人間的な対立さえ回避できれば、事態は少しずつ先に進んでいきます。

「信じて、任せて、認める」——この関係性があってこそ、語りが届き、子どもが動き出すための土台が整います。

豊かにつながって、豊かにほったらかす

人として対立しない関係をつくりながら、それでもけテぶれをやらない選択をしているその子に対してどうするか。答えは豊かにほったらかすです。

ただし、ほったらかすためには豊かにつながっておく必要があります。この両輪が大切です。つながっているからこそ、ほっておける。豊かにつながっていない状態でほったらかすのは、単なる放置です。

豊かにほったらかされているようでも、その子の視界には、けテぶれやQNKSと言いながら「自分で考えて自分で勉強することがものすごく楽しい」と言っている他の子たちの姿が、毎日問答無用に映り続けています。これが場の質として機能します。

自分はパクチーが嫌いでも、周りで毎日「おいしい、おいしい」と食べている人たちに1年囲まれていたら、「ちょっと試してみようかな」という気持ちになるかもしれない。公教育の強みは、こういった他者の姿に毎日問答無用でさらされることにあるのです。その子はやらないという選択をしつつも、学校には来ている。来ている以上、教室の豊かな空気は否応なく目に入り続けます。

そして、仲良しの友達が楽しそうに頑張っていて「一緒にやってみない?」と誘ってくれることがある。先生が言ってもやらなかった子が、友達の誘いでやり始める。やってみたら楽しかった、また楽しいからやりたい。その好循環が、ゆっくりと動き始めることはあり得ます。

まとめ——学習力を見える形で支え、人として信じながら待つ

けテぶれが響かない子への関わりを整理すると、次のような流れになります。

まず、導入初期の「初速」を守るために、最低限の明示と可視化の仕組みを用意します。シールやポイントは、学習過程の質や努力を見えるようにするために使うものです。評価するのはテストの点数ではなく、ノートに現れる学び方や粘り強さ、工夫や新しさです。こうして学習力という指標が教室に持ち込まれることで、点数だけでは見えなかった努力や成長が教室内で価値を持つようになります。

それでも動かない子には、やらない背景を一緒に観察・分析しながら、選択の先にある世界をフラットに語ります。脅しではなく、その子自身が現在地を知り、先を想像できるように。

そしてすべての根底に、人として対立しないという関係性があります。けテぶれをやらなくてもその子は素敵であり、先生はその子を信じている。そのメッセージを注意深く届けながら、豊かにつながって、豊かにほったらかす。

教室の中に楽しそうに学ぶ他者の姿と、友達からの自然な誘いがある状態を保つことが、動き出す栄養になります。急がず、でも諦めず。それが、けテぶれが響かない子への関わり方の本質です。

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