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「やって終わり」を越えるけテぶれとQNKSの教室日誌

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1月15日の教室を素材に、けテぶれとQNKSを共通言語にした授業実践を振り返る。算数では「問題を解いて丸付けして終わり」のケテケテ状態から、分析・練習まで回す本来のけテぶれへ引き上げる語りを行った。国語ではQNKSの論理構造図を軸に、説明的文章の単元をこれまでの学習と横串でつなぐ。体育では一場面で判断せず子どもの過程を線で見て判断を留保し、自習では心マトリクス的な二軸で自分の45分を豊かに組み立てる。3学期の視点は「この学級だからできる」ではなく「次年度へ持ち越せるほど身体化されているか」。バラバラに見える教科の実践が、けテぶれとQNKSというひとつの学び方の見方・考え方でつながっていく1日の記録です。

算数:「ケテケテ」は悪者ではないが、けテぶれは分析・練習まで回って完成する

算数の冒頭5分、大計画シートを広げた子どもたちへの語りから1日が始まりました。今学期も繰り返し伝えていることですが、あらためて確認する必要がありました。

「問題を解いて、丸付けして、終わり」という学びは、計画してテストして終わる——ケテケテ勉強法です。

ケテケテには利点があります。横に広がる勢いがつき、モチベーションが保ちやすい。一概に否定するものではありません。ただ、そこには分析も練習もなく、学びの質を高める回路が欠けています。けテぶれは、分析と練習まで一周して初めて完成します。

けテぶれ×QNKS
けテぶれ×QNKS

ケテケテで特に気をつけたいのが「偽物のできる君」になりやすい点です。手続き的な知識——数を操作して正しい答えを出す方法——だけを駆使して正解し続けると、本質的な理解がなくても「できる」という感覚が育ってしまいます。単元で求められているのはそれだけではないにもかかわらず、自覚なくケテケテを繰り返すと、足元をすくわれる場面が来ます。

分析とは、自分の正解が本当に理解に基づいているかを問い返すことです。「なぜそうなるのか説明できるか」「手続き的に解いてしまっているだけではないか」——3+3観点のプラス・マイナス・矢印で学習を振り返り、浅い理解に気づくことが分析の入り口になります。そして練習では、不安な部分をもう一度やり直したり、数値を変えて別のバリエーションに認知を当てはめたりする。けテぶれが一周したとき、大計画シートには「やってみる・できる・説明できる」の3つの丸がつきます。

大計画シート
大計画シート

ケテケテの勢いを殺さずに深める方法もあります。丸と×に加えて「三角」を導入することです。「ちょっと迷った」「なんとなく雰囲気で答えた」「時間がかかった」——そういう問題に三角をつけるのは、問題を経験した本人にしかできないマーキングです。丸と×は答えを見れば誰でもつけられますが、三角はその子の学習過程が刻まれた個人の感覚です。

ケテケテで一通り走り抜けた後、2周目では三角のついた問題だけをていねいに分析・練習する。こうすれば勢いを生かしながら、けテぶれとして完成させることができます。「今日はけテぶれにするの?ケテケテにするの?」という問いかけは、子どもが自分の学びのデザインを自覚して選ぶ出発点です。

国語:QNKSで単元を「横串」でつなぐ

3時間目は国語。「ありの行列」という説明的文章に入ったばかりの場面でした。

本文を読む前に確認したのは手引きです。ページをめくって電球マークの囲みを見つけ、「接続語に気をつけましょう」「感想を書いて読み合いましょう」という学習の目当てを確かめます。この手引きの問いが、そのままQNKSのK——論理構造を見出しながら読むという行為——と接続していることを語りで示しました。

QNKS読む
QNKS読む

これまで「こま」「大豆」などの単元でも、接続語に注目しながら筆者の工夫や論理構造を読んできました。並列型の構造に慣れてきた子どもたちへ、今回の「ありの行列」は少し異なる論理の流れを持つことを予告します。問い・答え・研究過程という構造を黒板に連結図として書きながら、「これQNKSでいうとどこにあたるかな」と問いかけていきます。

語りの核心は「結局一緒じゃん」という一言です。

単元ごとに別々の学びを積み上げようとしても、横串がなければそれは子どもたちの頭の中で整理されず、散らかったままになります。前の単元で何を習ったか、ほとんど残らないのはそのためです。QNKSという概念操作の枠組みさえ共有されていれば、国語の各単元で習う接続語の種類も、羅列型・因果型といった論理構造の違いも、すべてその土台の上に位置づけられて蓄積されていきます。

論理構造が分かったなら、論理構造図を書くことができる——その地点に子どもたちを導くのが語りの役割です。個別の知識を教えるのではなく、「これも結局QNKSだ」という横串を刺す語りが、バラバラな学びを経験の蓄積へと変えます。

土台を作らないまま細かな知識を積み上げても、ザルにビーズ玉を落とすようにこぼれていきます。QNKSという概念操作の枠組みの上にこそ、国語科の具体的な知識が整理されて載っていくのです。

体育:点ではなく線で見て、判断を留保する

4時間目は体育館で跳び箱と縄跳び。子どもたちが自分の好きな方を選びながら練習している場面で、気になる光景がありました。

体育館の片隅にマットが山積みになっていて、そこへ女の子数名がもたれかかり、休憩していました。一般的には声をかけるべき瞬間かもしれません。でも、その前に跳び箱を頑張って練習していた姿を見ていました。一旦、判断を留保しました。

哲学で言うエポケー——判断の宙吊りです。

「線で見る」という言い方をよくします。一場面を点で見て「あの子は休んでいる」と断定しない。子どもの努力の過程が今どのフェーズにあるのかという目線で見ていると、その場面の意味が変わります。しばらく見ていると、一人がまた跳び箱の前に戻り、それを見て他の子も動き始めました。循環していた。何も言わなくてよかった、という判断になりました。

もしそのまま授業が終わるまで休んでいたとしたら、どうするか。怒るわけでも強く指導するわけでもありません。「今日の過ごし方どうだった?」と現在状態を一緒に確認する一言です。圧をかけるのではなく、子ども自身がそこで自分の過ごし方を自覚する機会を作ります。次の時間も同じようなら「今日もする?」の一言でいい。

早い段階で強い圧をかけると、本当は正当な理由があるのにそれを押し殺して「はい、わかりました」と動く子を生む可能性があります。 その子の努力のプロセスを見ずに動かした圧は、ボタンの掛け違いを積み重ねていきます。後ろにずらすほど、子どもが自分で自覚して調整するための余地が生まれます。観察して、状態を確認して、短い会話を挟む——その繰り返しが子どもの自己調整を支えます。

自習:やりたいこととやるべきことを自分で配分する

5時間目は外国語の担当者の都合で急遽自習になりました。こういうとき、ほとんど考えません。「自習」と書くだけです。

自習の内容は、各教科の月ごとの進行状況が一覧で見られる1か月の予定表から選びます。算数は今どこにいる、国語はどこにいる——全体が見えていれば、子どもたちは体育以外のほぼあらゆる教科の学習を自分で選ぶことができます。

重要なのは、やるべきこととやりたいことを整理することです。心マトリクスでよく使う「やりたいこと・やるべきこと」の二軸を意識して、今日の45分をどう配分するかを考えます。やるべきことの中にやりたいことが含まれていればベストマッチです。そうでない場合は時間を区切ってコントロールする。やるべきだけどやりたくないもの——たとえば漢字ドリルの仕上げ——をせっかくの機会にやっつけるという選択もあります。

こういう過ごし方が上手にできるようになったのは、一学期からずっと練習してきたからです。

騒ぐ人も、暴れる人も、楽な方に流される人もいない。その空気が「先生がいるから」ではなく「こうするのが自分にとっても自然だから」に変わってきている——それが自由を受け取るということの基礎が完成しつつある状態です。

3学期には、そこに「身体化」という視点を加えました。来年の4月、このメンバーもいなくなり、先生もいなくなる。そのとき、あなたは何を本当に持っていけるか。この学級だからできる、みんながいるからできる、ではなく、自分の中に確かに身体化されているものを見定めていく。 それを意識する目をもって3学期を過ごしてほしい——そういう語りを、自習の時間の終わりに重ねました。

「結局一緒じゃん」が、学びを蓄積に変える

算数のけテぶれ、国語のQNKS、体育での判断の留保、自習での自分なりの学び方——一見バラバラな4つの場面が、共通の学び方の見方・考え方でつながっています。

けテぶれとQNKSは両輪です。やってみて確かめる(けテぶれ)と、概念の枠組みで論理を読む(QNKS)。どちらも、学びのコントローラーとして子どもが「自分の学び方をコントロールする」ための道具です。教師の語りは、その道具の使い方を毎回ゼロから教えるのではなく、「今日もそれだったね」「結局一緒だよね」と横串を刺すことで、バラバラな経験を蓄積へと変える役割を果たします。

「やって終わり」を越えるとは、子どもが自分の学びの現在地を見て、どこをどう深めるかを自分で判断できるようになることです。それを可能にするのが、けテぶれとQNKSという学び方の共通言語であり、その言語を日々の語りで刷り込み続けることが、来年度へ持ち越せる学び方の身体化につながっていきます。

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