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新年度にけテぶれ・QNKS・心マトリクスをどう導入するか

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二人の実践者の発表をもとに、新年度に葛原実践の三本柱(けテぶれ・QNKS・心マトリクス)を学級へ導入する過程のリアルを整理します。「思ったように乗ってこない」「書く量が増えない」という時期は失敗ではなく、導入の初期に誰もが経験する現実です。大切なのは、子どもの困り感や日常の文脈を見取り、そこに三本柱の視点で価値づけ続けること。語り、フィードバック、異学年交流、学年便りを積み重ねるなかで、実践は少しずつ子ども自身の学び方になっていきます。

思ったほどうまくいかない、その出発点から

新年度の導入は、想像以上にうまくいかないことがある。これは実践者としての力量の問題ではなく、子どもが異なるという根本的な事実から来ています。

前年度の実践でうまくいったイメージは、どうしても美化されがちです。しかも年度当初は、子どもとの関係性がまだ薄い状態です。急に入ってきた教師が「これがいいぞ」と言っても、すぐに子どもの意識がこちらに向くわけではありません。「チリチリしている意識を、関わりながらこっちに向けていく」という仕事が先にあります。

ある実践者は「昨年度のうまくいっているイメージがあって、もっとうまくいくかなと思ったけど、自分の思い出で美化されているところもあった」と率直に語っていました。この正直さこそが、子どもの現実を見取る土台になります。

また、ある学校ではメタ認知の力や自己調整学習の必要性が共通認識として広がり、「方法は何でもいいが、特に手段がなければけテぶれや心マトリクスが有効ではないか」という形で全校実践に発展していきました。一人の実践者の学級での積み重ねが、学校文化として育っていく過程には、子どもたちが自律的に動き始める姿が大きな説得力を持っていました。

子どもの困り感を入口にする

心マトリクスを前倒しで導入した理由

学級開きから数日で、想像以上のトラブルが続くことがあります。休み時間ごとに喧嘩が勃発するような状態が続いたとき、ある実践者は「早急に自分を見つめることが必要だ」と判断し、予定を前倒しして学年集会を開きました。「心をコントロールできるようになる、こういうのをプレゼントするよ」という形で心マトリクスの導入を始めたのです。

心マトリクス
心マトリクス

三本柱をどの順番でどのタイミングで導入するかは、学級の文脈によって変わります。子どもが何に困っているか、何を必要としているかを見取ることが、導入の起点になります。

別の実践者は6年担任として、始業式翌日に一人の子どもが「うわー、めんどくせー」と言った瞬間を逃しませんでした。「今どこにいる?」と問いかけると「ダラダラやな」という言葉が返ってくる。「その自分も認めてあげてね」と受け止めてから心マトリクスを提示する。子どもの感情の現在地をそのまま受け取り、そこからラベリングすることで、心マトリクスは子どもにとって「自分事」として始まります。

生活けテぶれ:日常の課題を計画と分析へつなぐ

生活けテぶれを学級開きから5〜6日目に始めると、予想外の場面が現れることがあります。「計画タイム」と宣言してシートを書かせると、男子の大半が「喧嘩をしない」という計画を出してきたのです。

この光景は笑えるようで、実は大事な情報です。子どもたちが課題意識を持っていることの現れだからです。「じゃあ、どうしてこうなったのかな」「次はどうしようか」と問うと、「チーム分けが偏りすぎていた」「経験者が体をぶつけていく」という分析が生まれ、「そういうのはなしにしよう」という練習へとつながっていきます。

これが生活けテぶれの構造です。日常のトラブルや課題が、計画・テスト・分析・練習のサイクルに自然につながっていきます。心マトリクスもそこに重ねながら「このもやもやはどこに来るかな」という語りを続けることで、子どもは二つの道具を実生活の中で使う経験を積んでいきます。

けテぶれ図
けテぶれ図

少しずつ改善していく過程そのものがけテぶれです。一気に変わらなくていい。日常の困り感を分析と練習に変えていける経験が、学びの道具としての実感をつくっていきます。

書く量が増えないとき:異学年の姿を見せる

10日ほど語りかけ続けても、生活けテぶれの書く量や質がなかなか変わらないことがあります。「頑張る」「できた」という言葉しか出てこない状態が続く。このとき、教師の言葉だけで変えようとするのには限界があります。

転機になったのは、4年生が3年生に漢字けテぶれを伝授する授業でした。4年生が生き生きとして、3年生が一生懸命聞いている。その場で4年生に「3年生に生活けテぶれのアドバイスもしてよ」と声をかけ、3年生だったころのノートを見せながら「最初はこんなに少なかったけど、こんなふうに変わったよ」と伝える。

その日以降、ノートの書き方が劇的に変わりました。「4年生でも最初は少ししか書けなかった」「頑張ればできるようになる」という見通しが、具体的な姿として見えることで動き出すのです。

子どもたちから「自分が4年生になったら教えられるか?」という言葉も生まれ、4年生側でも「2年生にも教えてあげたい」という声が上がりました。けテぶれノートの「良い書き方」を学年便りで紹介しながら「こんなやり方だよ」と伝えることも、目指す姿を子どもに渡す手段の一つになります。目指す姿が子ども同士で見えるようになることは、語りやフィードバックとは異なる強さを持つ実践の契機です。

QNKSは、すでにやっていることを捉え直す

QNKSの導入で有効なのは、「新しいことをする」のではなく、今まで子どもがしてきたことにラベリングをすることです。

ある6年担任は、離任する先生への手紙を書く時間を使いました。「何を書いたらいいかわからない」と言っている子どもと一緒に、黒板にその先生との思い出を書き出していく。「この抜き出したものから、どう組み立てますか?」「どの話題を使う? どんな順番で?」という問いで一緒に考えていく。「これがQNKSっていうんだよ」というラベリングをしたとき、子どもにとってQNKSは「難しい新しい思考法」ではなく「さっき自分がやったこと」になります。

QNKS(基本)
QNKS(基本)

その後、親子活動の案出し、人権作文、運動会のダンスの振り付け作り——子どもたちがすでに取り組んでいるあらゆる活動をQNKSで捉え直していきました。「今まで普通にしてきたことが全部QNKSやん」という感覚が広がることで、QNKSは学び方の文法として子どもの中に根を下ろしていきます。

学年便りとけテぶれノート紹介で、実践の意味を共有する

学級に実践を下ろしていくとき、子どもへの語りだけでは届く範囲に限界があります。学年便りや学級通信は、子どものため、保護者のため、そして同僚に広げるための機能を同時に持つ媒体です。

ある実践者はほぼ毎日学年便りを発行し、けテぶれノートの良い書き方の紹介と合わせて「こういう考えでやっています」という語りの文章も出し続けました。学年の2クラスで同じように語りが届けられる状態をつくることで、実践が一教室だけのものではなくなっていきます。

はじめは20点だった子どもが、ノートで何度も練習して80点、100点と上げていく姿を紹介したとき、クラス全体に「こうやればできるんだ」という具体が伝わります。本番の100点も一緒に紹介することで、けテぶれの構造が「実際に効いたこと」として子どもに届きます。

また別の実践者は、けテぶれ・QNKS・心マトリクスの要点をA4一枚にまとめてラミネートし、子どもたちに配りました。分析を書くときにそれを参照し、やがて「見なくても分かる」状態になっていく。「いずれは必要なくなる足場」として渡したものが、今は道具として機能しています。

一斉指導は、手渡すための準備として位置づける

「子どもに任せる」ということは、いきなり手放すことではありません。一斉に型をつくる場面は、やがて子どもへ任せるための準備として位置づけることが大切です。

ある実践者は「いつか手渡すための一斉指導」という考え方を軸に、今の段階を捉えていました。まず一緒に取り組む時間をつくって構造を共有し、大計画シートも一緒に使いながら「ここまでできたね」と確認していく。こうして段階的に子どもへ渡していくことで、自由進度学習へとつながっていきます。

信じて任せてみると、一人一人が粘って考え続け、いつもなら途中でやめる子も誰も諦めなかった——という場面が生まれます。「やっぱり子どもに任せるっていいな」という実感は、次の手渡しの確信になります。

自由進度学習で任せる場面が増えるほど、教師には見取りとフィードバックを徹底する責任が生まれます。「ガンガン任せているけれど、徹底的に見取りとフィードバックは手厚くやっている」——この姿勢が、任せることと指導の放棄を分けるものです。少人数だからこそ、一人一人に丁寧に関われる強みを活かすことができます。

うまく乗らない子:現在地から見る

どれだけ語り、異学年交流を仕掛けても、なかなか変わっていかない子はいます。このとき、けテぶれの形を書いてきたかどうかで判断することには注意が必要です。

「けテぶれで変わらなくてもいい、と思っています。何かしら変わるじゃないですか。子どもは成長するから。1年間やったことのどこかに引っかかっているのかな」——この言葉が示すように、形の不十分さだけを見るのではなく、その子の現在地から何が動いているかを見続ける姿勢が実践者には求められます。

乗ってこない子については、書き方を教えるより、まずその子とやり取りする時間が必要なことがあります。「計画に書いてあげる」「プリントでもいいよ」「そもそもおすすめって書いてるだけだから」という距離の取り方も、子どもの状態によっては有効な関わりです。

テストの結果が出たとき、計画を立てて取り組んだが届かなかったとき——その分析の場面こそが、関わりどころになることがあります。「なぜこうなったか」を一緒に探る対話が、子ども自身の自己省察を動かす起点になります。宿題を全くしてこなかった子が、テストを経て「やってこなかったからだ」と気づく経験は、子ども自身の言葉で生まれた分析です。そこからが本当のスタートです。

導入後も、機能しているかを問い続ける

実践を取り入れ始めた手応えを感じたとき、ほっとして見取りが甘くなることがあります。「本当に機能しているのかという疑いの目を、自分の中で持ち続けておきたい」という言葉は、実践者として大切な姿勢を示しています。

満足してはいけない——これは子どもを信頼しないということではありません。「やらされている感がある」「やらされ感はなくなってきた」という子ども自身の言葉を拾い続けること、子どもが「見てみて」と言ってくる瞬間が増えていくかどうかを確かめること。形式的な完成度ではなく、子どもの中で何かが動いているかどうかに目を向け続けることが、実践を本物にしていく過程です。

「やっぱり葛原実践をベースに丁寧に取り組んでいけば、必ず良くなると悪くなることはない」という確信は、年度当初のうまくいかない時期を越えてきた実践者の言葉として重みを持ちます。

新年度の導入は、一度説明して終わりではありません。子どもの現在地を見取りながら、日々の文脈に重ねて価値づけ続けること——その積み重ねのなかに、実践は子ども自身の学び方として育っていきます。

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