終業式の一日を、式への移動・大掃除・通知表の返却・冬休みの計画立案という行事的な流れで組み立てながら、それぞれの場面を「子どもが自分で考えて動く」時間として設計した実践記録。通知表の返却をきっかけに学期全体の大分析を行い、4月から育ててきた自律と省察の力が、冬休みという教師の目を離れた場面でこそ試されることを子どもたちに語る。最後の時間は、子ども自身が「自分の傾向に合った形で」冬休みの計画を立てることに充てた。
終業式の日が「消化時間」になってしまう問題
終業式の最終日というのは、どこか消化試合のような雰囲気が漂いやすい。お楽しみ会を入れるでも、ただなんとなく過ごすでもなく、締まりのなさが残る。そのもやもやを長い間引きずりながら、「構造的に解決する術はないだろうか」と考えてきた実践者が、今回ようやく「スッキリした終わり方ができた」と感じた一日の記録がある。
その根底にあるのは、けテぶれ的な発想で一日全体を組み立てるという視点だ。式・大掃除・通知表返却・冬休み計画という流れのそれぞれに、省察と次の計画へつなぐ意味を持たせている。
体育館への移動で問うこと――指示しないという選択
コロナ禍が落ち着き、全校が体育館に集合できる終業式が戻ってきた。こういう場面でいつも意識していることがある。「できるだけ指示を出さない」ことだ。
「何分になったら廊下に出て、出発して、体育館で座る」という一連の動きは、誰でも考えれば分かる。だからこそ、そこに教師の言葉を重ねない。「考えれば分かることを、考えてやれているかどうか」を問う時間として扱う。
これは単なる指導法の話ではなく、もっと根本的なことへの問いかけだ。
> 先生が見ていないとあるべき行動が取れないとしたら、君たちの行動はずっと先生が見ている状況でしか成立しないことになる。高学年で言えば、専科の先生の授業での姿がそれだ。自分たちで自分たちをコントロールできない集団は、見えないところで崩れる。そんな集団で過ごしたいか。
4月や5月にそう語っていたことが、12月になると圧をかけるまでもない当たり前のこととして流れていく。朝の会で「放送が鳴ったら並んで移動すればいい。それまでは自分の時間を過ごしておいて」と伝えるだけで、子どもたちは動く。
一学期のうちは、移動が上手くできたときに表情でフィードバックを返していた。チャレンジに成功した感が出ているときに、言葉でなく表情で「よく頑張ったね」と返す。それが学期を重ねるにつれて「別に普通のこと」になっていく。
当たり前のレベルが上がったということだ。その変化を実感できることが、終業式の朝の密かな喜びになっている。
「信じて、任せて、認める」の積み重ねが土台にある
この場面を「放任」として受け取ってほしくない。
4月から一貫してきた姿勢は「考えてやれることは考えてやりましょう」という関わりだ。細かく指示しないのは、子どもたちをほったらかしにしているのではなく、「あなたたちには考えれば動ける力がある」という信頼を継続的に示し続けている行為だ。語り、チャレンジを与え、成功のときに表情でフィードバックを返す。そうした積み重ねが、終業式の日に「指示なしでも動ける集団」を作っている。
3時間目――通知表の返却を「大分析」の入り口に変える
本校では終業式も4時間目まで授業があり、3時間目に成績(歩み)の返却が行われる。
返す前に、まず子どもたちに問いかける。「テストの後は何をしましたか」と。
大分析。そうだよね。では今から返されるのは何か。学期全体の学習努力の結果がギュッと凝縮されたものが歩みだとしたら、返されたあとにやることは当然、大分析になる。
ここで重要なのは、歩みの「丸の数」に引っ張られないよう話すことだ。3段階評定は解像度が粗い。評価基準が明確でない部分もある。丸が増えた減ったではなく、「その丸をつけることになった、2学期のあなたの学び方・努力のプロセス全体を振り返ること」が大分析の目的だ。

大分析のために、机の上に二つのものを出させる。一つはけテぶれノート。もう一つは「オレンジのファイル」だ。このファイルには、1週間ごとの振り返りが蓄積されている。週の中で自分が成長したこと、よくできたことを3つ抜き出し、組み立て、整理してきた記録だ。1週間ずつ積み上げてきたその紙が、2学期の大分析に必要な情報源になる。
歩みが返されるのを待つ時間も使う。ファイルの振り返りを1週目から最後の週まで読み返し、自分の2学期を思い出しておく。返却が終わったら、そのままノートに大分析を始める。どこがよくて、どこがよくなかったか。次はどうするか。気づきは何か。問いは何か。自分はどのように変化したのか。
誰でも成長している――言葉で捕まえることが問いだ
大分析の場で子どもたちに伝えることがある。
「2学期を丸々過ごして、一つも成長していないという子は、先生の目から見るとゼロ人です。」
これは励ましではなく、ほぼ客観的な事実として述べている。小学3年生の9月から12月の4ヶ月間、子どもは生物的にも成長する。友達との関係も深まる。毎週の振り返りを積み重ねてきた子なら、自分でも実感できるはずだ。
問いはそこから先にある。自分の成長・変化をどこまで意識できているか。そして、それを言語としてどこまで切り出すことができるか。

3+3観点のどこが良くて、どこがよくなかったか。次はどうするか。気づきは何か。問いは何か。自分はどのように変化したのか。どの子にも必ずある「星」を、自分で観測できるかどうかがチャレンジだ。
保護者の方がけテぶれノートや週の振り返りを見て驚くことがある。「まだ子どもだと思っていたのに、これほど自分を客観視して省察できるとは」という驚きだ。思考の深さや質は個人によって大きく違う。しかしどの子も、活動の意味を理解して自分に向き合おうとしている。その姿を週ごとに積み上げることが、3年生から可能なのだということを、この時間のたびに実感する。
4時間目――冬休みは「テスト」だ
3時間目の省察を経て、4時間目に向かう。テーマは冬休みの計画だが、入り方に意味がある。
2学期中ずっとやってきたのは「一生にわたって、自分で自分を見つめ、コントロールし、乗りこなす練習」だ。では本番はいつか。
学校には、仕組みとして「やる環境」がある。先生がいて、友達がいて、授業があって、環境が整っている。そこでの実践は練習だ。「自分一人でコントロールできる幅が広がる瞬間」にこそ、教室で育ててきた方法論やマインドセットが本当に機能するかどうかが分かる。
冬休みは、けテぶれの「テスト」に相当する。
もちろん、休むことは当然OKだ。教室でも頑張ったあとの休み時間は大切にしている。その「休むことを効果的にコントロールする」練習も、2学期を通じてやってきた。

「休みすぎると月のパワーがだんだん減ってきて、沼にはまってしまう。沼に腰まではまったら、そこから抜け出すにもエネルギーがいる。」
休む感覚、休みすぎた感覚、そこから立て直す感覚。2学期を通じてその感覚を積み重ねてきた。自分がどのくらい休んだら回復して、どのくらいで休みすぎになるのか、それは一人ひとり違う。冬休みはその自分の傾向を活かす場だ。
自分の冬休みを「設計する」時間
4時間目の活動は、冬休みの計画を立てることだ。やるべきことだけで計画を埋めない。まず総ざらいをする。
- やるべきこと(宿題、書き初め、自学など)
- やりたいこと(休みたいのか、何か取り組みたいのか)
- 家族の予定(把握できている範囲で)
この三つを並べて、自分の冬休みの生活を組み立てる。できあがった計画は、帰ってから家族に見せて「見落としている予定がないか相談する」ことを持ち帰りの課題にする。子どもだけでは把握しきれない家族の予定を確認するためだ。
計画の「型」は一つじゃない
この時間で印象的だったのは、子どもたちが異なる形で計画を立てていたことだ。カレンダーに日程を書く子、やることリストを作る子。そして一人、全く異なる形を選んだ子がいた。
その子はカレンダーの日付を白紙のままにして、代わりに「朝はこれをする、昼はこれをする、夜はこれをする」という毎日のルーティンだけを書いた。理由を聞くと、こう答えた。
「こんな大規模な計画を立てても、その日になるとやる気が起きなかったり、全然別のことをしたりということをたくさん経験してきた。だから前もって大規模な計画を立てることに、あまり有効性を感じない。それならば抽象度を上げて、ルーティンだけを決めておき、具体的な内容はその日の自分の気持ちとやるべきことの残り具合を見ながら日々調節していくスタイルでやってみようと思う。」
9歳がこれを言う。自分の傾向を2学期で把握して、冬休みの戦略を自分で設計している。「どんな形で計画するか」より「計画とどう向き合うか」を、経験から学んでいる姿だ。
クラスでこの発言を紹介した。「確かに、前もって立てた計画がきっちり実行されることはなかなかない。だからこそ毎日チューニングして修正していくことが大切だと分かっているなら、もうその日に決めるというのはなかなか大胆で、ある意味心マトリクス的な発想でもある」という形で共有した。
計画の型は一つではない。自分の傾向を知って、自分に合う形を選べること。それもまた「自分なりの学び方」だ。
終業式の日を、学びの節目にする
この一日を振り返って思うのは、式・掃除・通知表・計画という行事的な流れが、けテぶれの大サイクルと自然に重なっていることだ。
学期という長いサイクルの「テスト」の結果(歩み)を「大分析」し、冬休みという「次の練習環境」に向けて「計画」を立てる。子どもたちが自分で考えて動き、自分の成長を言葉にし、次の生活を設計する。教師が細かく指示しなくてもそれができる集団になっているとしたら、それはこの一学期で育ててきた力の証でもある。
終業式の日は「終わり」ではなく、子どもが自分の学びを言葉で捕まえ、次へつないでいく節目だ。その節目をどんな一日にするかを設計することが、学級経営の締めくくりにもなる。
けテぶれ的な実践に取り組んでいる方に、ぜひ試してみてほしい流れだ。