コンテンツへスキップ
サポーターになる

モデルベース学習と転移から見る、けテぶれ・QNKSの深い学び

Share

モデルベース学習の核心は、教師がわかりやすい図を提示することではなく、学び手自身が図を作り、書き直しながら理解を深めることにあります。QNKSはこのモデリングを支える方法として機能しており、とりわけK(組み立て)のプロセスが頭の中を構造化する鍵になります。しかし、モデリングを行わせるだけでは深い学びは完結しません。大分析のような仕組みを通じて認知的葛藤を生み出し、学び方の見方・考え方を更新させる必要があります。けテぶれの大サイクルは自己調整学習に近いものの、大テストで結果を明確に受け取り現在地を把握する点に独自性があります。そして学習の転移を促すためには、内容を覚えるだけでなく、けテぶれやQNKSが持つ意味・価値を複数の文脈で理解させることが重要です。

「図を見せる」ことではなく「図を作ること」

学習科学において、「モデルベース学習」という考え方があります。日々の物事を理解するうえで図式(モデル)は重要な役割を持っていますが、モデルベース学習の中心はモデルを提示することではなく、モデリング――学び手自身が図を作ること――にあるという点を押さえることが出発点になります。

博物館や科学館には、複雑な現象をわかりやすく示す図や模型があふれています。あのような「モデルを用意して見せる」やり方は確かに理解の助けになります。しかし、モデルベース学習が目指しているのはそこではありません。学び手が自らモデリングを繰り返し、書き直しながら自身の理解を深めていくこと――これがこの学習観の核心です。

QNKSはまさにこのモデリングを支える方法として位置づけられます。「QNKSはほぼモデルベース学習を背景に根拠を持つ」と語られるように、QNKSが「図考法」、すなわち図で考える方法であることは、モデルベース学習の本質と重なります。また、科学実験で物理現象をモデル化する場合に限らず、教科書を理解するとき、自分の思考を表現するとき、つまり「考える」というプロセスが発生するあらゆる場面でモデルベース学習は有効であり、QNKSはそれを支えるメソッドとして機能します。

QNKSのKが肝――頭の中を構造化する

QNKS(詳細図)
QNKS(詳細図)

QNKSのプロセスの中で特に重要なのが、K(組み立て)の段階です。Nで素材を集め、Sで人に伝わりやすく整えるその間に、集めた情報を二次元に配置し、関係性を整理し、構造化するKがあります。

いかに自分の頭の中を美しく構造化できるかを試すのが、QNKSのKの肝です。

縦横の二次元配置、遠い・近い・中心・周辺といった空間的な関係性、レイヤーを揃えた階層構造――こうした組み立ての技法を洗練させていくことが、モデリングの質を高めることに直結します。実践の場でも「結局Kだよ」という声が上がるのは、このKのプロセスが理解の深さと正面からつながっているからです。

頭の中を外に出すと、対話が変わる

モデルベース学習のもう一つの重要な側面は、頭の中の理解を外側に出すこと(外化)が対話にもたらす変化です。

口頭だけの対話では、相手が話し終えるまで全部聞き、その内容を統合的に理解し、自分の考えと照らし合わせてから問い返す、という膨大な認知処理が必要になります。友だちが脱線しながら話す内容を一撃で理解したうえで矛盾点を指摘するなど、大人でも難しく、子どもたちにとってはほぼ不可能に近い処理量です。これがワーキングメモリーを極度に消費し、対話が表面的なやり取りにとどまってしまう主な原因です。

これに対して、図を書くことで頭の中が外に出ていると、対話の様子は一変します。ノートを見せ合い、「ここどうなってんの」と指さすだけで、相手の理解状況のピンポイントに問いかけることができます。指示語と物理的な指さしだけで、深い問い返しが成立するのです。思考を図や文字にして捕まえることが、対話における認知的負荷を大幅に下げ、協働的な学びの質を高めます。

モデリングだけでは足りない――認知的葛藤を生む教師の役割

ここで立ち止まる必要があります。子どもたちにモデリングを行わせることは有効ですが、それだけでは深い学びは完結しません。

学習科学の研究では、学び手が自身の理解では説明できないデータや観察結果に直面したとき――認知的葛藤の状態に置かれたとき――はじめて自分の考えを修正する必要性に気づくとされています。モデリングの機会を与えるだけでは、子どもたちは表面的な理解の更新にとどまります。認知的葛藤を意図的に生み出す教師の働きかけが不可欠なのです。

入門的なフェーズでは、教師のお手本と自分が書いた図を比べることが認知的葛藤として機能します。自分が正しいと思っていた図式化と教師の図式化がどこでどのように違うのか、この問いそのものが葛藤を生み出します。さらに理解が深まるにつれ、より本質的な問い――「この世界はどう見るか」「見方考え方をどう更新するか」――へと葛藤の質が変化していきます。

結果を可視化し、言語化し、子どもたちが現在地に正直に向き合えるようにすること。そのための語りとフィードバックを通じた意味の手渡しが、教師の核心的な役割になります。

けテぶれの大サイクル――自己調整学習との共通点と独自性

やってみる⇆考える(学ぶ)
やってみる⇆考える(学ぶ)

モデルベース学習はあくまでも遂行過程の話です。学び手が自分の頭を使って図を作り、対話しながら理解を深める――これはQNKSが担う局面です。そして、この遂行過程をマクロな視点でデザインするときに必要になるのが、けテぶれ的な考え方、とりわけ大サイクルの発想です。

自己調整学習では「予見・遂行・省察」というサイクルが語られます。けテぶれの大サイクルもこれに近い構造を持っていますが、一点大きく異なるところがあります。それは大テストによって結果を明確に受け取り、現在地をはっきり把握するフェーズが位置づけられていることです。

自己調整学習の枠組みでは、「結果が出る」フェーズが必ずしも明示されていません。しかしけテぶれでは、大計画・大テスト・大分析という流れの中で、テスト結果という数値や言語化された現在地が子どもたちに手渡されます。「徹底的に数値化・言語化・現在地化しないと、子どもたちは自分の認知的葛藤に気づかない」という感覚がここにあります。

けテぶれ大サイクル
けテぶれ大サイクル

小サイクルで積み重ねた努力と、大テストで受け取った結果。この両者を照らし合わせる大分析の場で、子どもたちは「自分の学び方そのもの」と向き合います。QNKSのモデリングを十分に使えていたか、けテぶれのサイクルを自分なりに回せていたか――学習内容ではなく、学び方の見方・考え方を更新する場として、大分析は位置づけられています。

学習の転移――内容を覚えるだけでは起きない

学習科学のもう一つの重要な問いが、「学習の転移」です。転移とは、学習したことを別の場所や別の時間で活用・応用することです。国語で身につけた資質能力が私生活で活かされるか、算数で身につけた考え方が他の教科でも使えるか――こうした問いに向き合うとき、教科の枠組みだけで完結するような学習では不十分です。

道徳の授業がいくら感動的でも、それがその45分だけで完結してしまうなら、判断力と実践力は私生活に広がっていきません。算数も国語も同じです。ネタとして楽しく終わってしまう授業ではなく、授業の枠組みの外側まで子どもたちの成長が広がっているかどうかを見ることが大切です。

では転移を促すには何が必要か。研究では二つのことが指摘されています。

一つは、知識や手続きの意味をよく理解して学習することです。単純に暗記するだけでは転移は起きにくく、「この手順にはこういう意味がある、この知識はこういう価値を持つ」という理解まで到達していることが、転移を可能にします。説明できる・作るというプロセスが「できる」の先に置かれているのは、こういうことを理解しているかを確かめるためです。

もう一つは、複数の文脈で学習することです。単一の文脈にだけ強く関係づけられた知識は、その文脈の外に出ると使えなくなります。複数の文脈で活用した経験があれば、新しい状況でもその知識を引き出しやすくなります。

全教科・全生活でけテぶれ・QNKSを使う理由

この二点はそのまま、けテぶれとQNKSの実践方針につながっています。

もしけテぶれを漢字学習にしか使わなければ、子どもたちは「漢字の勉強の仕方」としてけテぶれを認識します。しかし体育でも、書道でも、算数でも、学級会でもけテぶれを使うと、子どもたちはそれを「何にでも使える技法」として抽象的に認識するようになります。この抽象的な理解こそが、新しい状況への転移を促すのです。

全教科・全科目・全生活でけテぶれとQNKSを使うという方針は、この転移の論理に根ざしています。

実践の場では、「これってQNKSじゃん」「けテぶれでやってみよう」と子どもたちが自ら言い始める姿が報告されます。これはまさに、手続きの意味を理解し、複数の文脈で活用してきた結果として現れる転移の姿です。

ただし、そのためには教師の語りとフィードバックが欠かせません。大分析の場や日々の対話を通じて、「けテぶれにはこういう意味がある、こういう価値がある」ということを子どもたちに手渡し続けること――そうしなければ、けテぶれはいつまでも「漢字練習の手順」にとどまります。けテぶれという学習過程が何を意味していて、どんな価値があるのかが伝わってはじめて、子どもたちは自分の学び方を自分で更新できるようになっていきます。

QNKSとけテぶれ、それぞれの役割

整理すると、QNKSとけテぶれは役割の異なる二つの柱です。

QNKSは遂行過程の中で機能します。自分の理解を図にして外側に出し、ワーキングメモリーを節約しながら対話し、組み立て直すことで理解を深める。これはモデルベース学習そのものです。

けテぶれはそれをより大きな視点でデザインします。テストで結果を出し、分析して振り返り、練習で高め、また結果を受け取る。この小サイクルが積み重なったところで大テストを設け、大分析によって学び方そのものを見直す。この入れ子構造が、認知的葛藤を生み出し、学ぶことへの理解を深めていきます。

QNKSが遂行過程のモデルベース学習を支え、けテぶれの大サイクルがマクロな自己調整の枠組みを提供する。この両輪が回ることで、深い学びは教科を越えて転移する力になります。学び方の意味と価値を複数の文脈で理解し、自分の学び方の見方・考え方を更新し続ける――その循環こそが、けテぶれとQNKSが目指す「学び方を学ぶ」の実質です。

学習科学を背景に持つことの意味

小学校の教師は全科の担当者です。算数の専門家でも国語の専門家でもなく、「学びの専門家」であることが求められます。けテぶれとQNKSは、その専門性を支える知識と技能として位置づけられます。

学習科学の知見――モデルベース学習、認知的葛藤、学習の転移――は、けテぶれとQNKSの実践が持つ意味を深く支えています。こうした学問的な理解を背景に持ちながら実践することで、「なぜこの方法なのか」を子どもたちに語れる教師になる。それが学び方の手渡しを、より確かなものにしていきます。学習科学の理論を背景に知りつつ、実践としてはけテぶれとQNKSで十分である――この構造を実感として持てることが、落ち着いて子どもたちに向き合う土台になるのだと思います。

この記事が参考になったらシェア

Share