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PFLで見る「子どもが先、教師が後」の学び方デザイン

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PFL(未来の学習のための準備)は、教師が説明する前に子どもが本質的な準備活動を経験することで、その後の説明やフィードバックが深く届くようになるという学習科学の考え方です。研究知見によれば、従来の「説明してから演習」よりも「準備してから学習」の順序のほうが学習効果は高くなります。この記事では、PFLの3原則をけテぶれ・QNKS・自由進度学習の設計に重ね、丸投げではない学び方のデザインとして整理します。

「準備してから学習」が効果的な理由

学習科学の研究者ブランスフォードとシュワルツ(1999年)が提唱した概念に、PFL(Preparation for Future Learning:未来の学習のための準備)があります。これは、教科書のフォーマルな説明を与える前に、説明を理解しやすくするための準備活動に取り組ませるというアプローチです。

研究では、「準備→説明」の順序で教えたほうが、従来の「説明→演習」の順序よりも学習効果が高くなるという実験結果が複数報告されています。考えてみれば、当然のことかもしれません。

たとえば、教育学部で学ぶ内容を思い浮かべてください。教育現場に出た後に改めて教育学の授業を受けると、初めて学ぶときとは比較にならないほど深く理解できます。実際の体験をベースにして外側からの知識を得るほうが、理解は格段に深まるのです。

教室スケールでも同じことが言えます。教師が最初に長々と説明しても、子どもたちに届く量はわずかです。それよりも、ちゃんと自分でやってみるという経験を先に積ませることで、その後に教師の言葉を受け取れる幅が広がります。

これがPFLの中核にある発想——先行する体験・経験によって、後の学習がしやすくなる——という考え方です。

「子どもが先、教師が後」という実践のことば

葛原実践における「子どもが先、教師が後」という表現は、まさにPFLの構造をそのまま言い表しています。

子どもたちがひとまず学んでみる。その後に教師が「ちょっといい?みんなここでこう考えているけれど、どう思う?」と差し込んでいく。この順序が大切な理由は、子どもたちに学習のための準備が整っているからです。体験から始まっているから、教師の語りが上滑りせずに届く。

準備なしで語りを始めても、言葉は宙に浮く。準備があるから、語りは根を張る。

やってみる⇆考える(学ぶ)
やってみる⇆考える(学ぶ)

「やってみる」が先にある。そして「考える」——教師の語りやフィードバックを通じた学習——が後に来る。この往還のなかで、子どもたちの学び方は深まっていきます。単純に見えますが、多くの教室ではこの順序が逆になっています。「先に説明してからやらせる」という流れが当然とされている現場では、PFLの視点は意外なほど新鮮に映ります。

PFL準備活動のデザイン3原則

では、具体的にどのような条件が揃うと「準備活動」として機能するのでしょうか。学習科学の研究では、次の3点が挙げられています。

1. 既有知識を活用しやすい状況設定——学び手がすでに持っている知識や経験が活かせる問題の文脈であること 2. 目標知識を活用しないと解けない問題の設定——学習目標となる知識・見方・考え方を使わなければ解けない課題であること 3. グループで協調しながら試行錯誤しながら取り組めること——十分な自由度のもとで、仲間と試し、繰り返し、調整できること

この3つを読んでみると、特別な教材を用意する必要はなく、あらゆる教科・領域で実現可能であることがわかります。

けテぶれ・QNKSが、そのまま準備活動になる

学びのコントローラー
学びのコントローラー

けテぶれ(計画・テスト・分析・練習)とQNKSは、PFLの3原則を日常の学習活動として自然に実装しています。

そもそも子どもたちは、生まれてこの方「やってみる⇆考える」を繰り返してきた存在です。自ら学べるという力は、本来もともとそこにあります。けテぶれやQNKSは、その力を「思い出す」ための実践装置とも言えます。

自ら教科書を開いて取り組み、計画を立て、テストで現在位置を確認し、分析して次の練習に向かう——このサイクルそのものが既有知識の活用であり、目標知識を問い続ける課題設定であり、協調的な試行錯誤の場です。

学習目標をちゃんと「学び方」として理解し、実践し続けること。それが自ら学んで教科書を学びきり、テストで合格点を取るという課題設定の本質であり、学び方を学ぶという営みが、PFL的な準備活動を自動的に生み出す構造になっています。特別な準備はいらない。全教科・全領域で使えるというのは、こういう意味です。

準備があるから、語りが届く

教師が「学びとはこういうものだ」「考えるとはこういうことだ」と深く語りたい場面があります。しかし、何の準備もない子どもたちにそれを語っても、言葉は上滑りします。

準備に必要なのは先述の3原則であり、それが整ってはじめて教師の語りは子どもたちに根を張ります。

ここで大切なのは、語りは不要になるのではなく、準備後にこそ本来の力を発揮するという点です。PFLは教師の語りを否定する理論ではありません。むしろ、語りが届くための土台を意図的につくる考え方です。

準備が十分に整った子どもたちは、大人向けのビジネス書や自己啓発書を手に取って、「自分もやっている」と感じながら内容を吸収するような状態になります。「内発的動機付け」「プラトー」といった概念を自学ノートに書き留める子が出てくるのも、この状態です。学習のための準備ができているとは、まさにそういう受け取り体制のことを指しています。

個々の子どもへのフィードバック

教室全体への語りが「集団スケールでの学習の場」だとすれば、個々の子どもに向けたフィードバックは「個人スケールでの学習」です。

子どもがやってみた状況に応じて、「こういうふうにするといいかもしれない」「この場面ではこう考えてみて」と伝えていく——このフィードバックが実際に届くためには、受け取る側にもスキルや資質能力が必要です。

近年の研究でも、フィードバックは出す側の質だけでなく、受け取る側の力によって有効性が変わることが指摘されています。いくら質の高いフィードバックを繰り返しても、受け手にそれを取り込む準備がなければ、届かない。フィードバックは出し手だけの問題ではないのです。

だからこそ、PFLの意義があります。子どもたちが自分で学んでみるという経験を積むことで、教師の言葉を受け取れる体制が整っていく。準備と学習は、こうして互いを支え合う関係にあります。

事例対比と自己考案——準備活動の2つの形

PFL的な準備活動として研究で取り上げられているのが、事例対比自己考案の2つです。

事例対比は、AとBの事例を比べ、類似点や相違点を考える活動です。けテぶれ実践で言えば、「よい取り組みと惜しい取り組みを並べて、どちらがより良いと思う?」と問いかけるような場面がこれに当たります。自己考案は、自分なりの学習サイクルや学び方の持論を作り上げていく活動です。けテぶれの枠を取り払って、自分で学習の方法を探索していくようなアプローチがこれに相当します。

しかし、この2つをただ「やらせればいい」というわけではありません。それぞれに有効条件があります。

事例対比には「観点」が必要

事例対比は、観点なしでは機能しません。

「このノートとこのノートを比べて、どちらがいい?」と問いかけても、子どもたちには判断できません。何を根拠に「良い」と判断すればよいかが分からないからです。これがいわゆる「活動あって学び無し」の状態です。基準もなく自由に学ばせるだけの自学ノートで、「どちらが良いか」を問いかけても、比較は進みません。

より良い学びが定義されていること、その観点が子どもたちと共有されていること——これが事例対比を機能させる前提です。けテぶれで言えば、計画・テスト・分析・練習という枠組みが「より良い学習」の定義として機能しています。ルーブリックがあればそれも示す。観点が言語化されていてはじめて、比較は学習の準備として働きます。

自己考案はやり過ぎると閉じてしまう

自己考案にも注意が必要です。自分なりの持論を作り上げることは大切ですが、やり過ぎると「自分の方法こそが正しい」という固定に陥り、新しい学習が入ってこなくなるリスクがあります。

このとき重要なのは、教師からのフィードバックと、大サイクルにおける結果です。

日々の示唆やフィードバックは、子どもたちの自己考案を断定するものではありません。「こういうふうに考えてみては」と提案することはできますが、「それは違う」と断定することは難しい。断定できるのは、結果という事実です。

けテぶれの大サイクルにおける大テストの結果が、自己考案の妥当性を問い直す明確な場面になります。うまくいっていないことが結果として見えたとき、初めて子どもも教師も「この方法では足りなかった」と言葉にできる。これが自己考案を適切に崩し、学び方を更新していくためのフェーズです。

「信じて、任せて、認める」と「疑い、管理し、否定する」を両輪に

子どもが自分で学ぶ自由を保障するためには、信じて、任せて、認めることが土台になります。しかし同時に、事例対比に観点を添える場面や、自己考案が閉じてきたときに揺さぶりをかける場面では、疑い、管理し、否定するという教師の力も必要です。

「信じて任せるからこそ、必要なときに疑い、否定し、管理する力が発揮できる」——この両輪のバランスが崩れると、どちらかに傾きすぎます。任せっぱなしは丸投げになり、管理しすぎは「活動あって学び無し」に逆戻りします。

PFLの視点は、この両輪の使い分けに根拠を与えてくれます。準備が整っているかどうか、学習を受け取れる体制にあるかどうか——その見立てのもとで、語りとフィードバックを届け、必要に応じて整えていく。それが教師の仕事であり、けテぶれ実践を支える設計の本質です。

特別な教材は必要ありません。「準備してから学習する」という順序の意識と、けテぶれ・QNKSという日常的な学び方のサイクルがあれば、PFLは今日の教室からでも始められます。

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