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学習指導要領総則を本質から読み解く:主体的・対話的で深い学びを教室に実装する

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学習指導要領総則の後半(第3〜第6章)は、教育課程の実施・評価・児童支援をどう設計するかを問う章です。この記事では、主体的・対話的で深い学び、言語能力・情報活用能力、学習評価、特別な配慮を要する児童への支援を、施策の羅列としてではなく、けテぶれ・QNKSを軸とした日々の学習設計として読み解きます。子どもがそれぞれの現在地から一歩進むことを全員で支えるという視点が、総則後半を貫く一本の糸です。

第3章から始まる:授業改善は前提である

前半(第1・第2章)では、教育課程の編成と教科横断的な学びの必要性が述べられました。第3章「教育課程の実施と評価」以降は、編成した教育課程をどう実施し、どう評価し、どう子どもの支援につなげるかが中心になります。

この章の冒頭に置かれているのが「主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善」です。①番として最初に来ている——つまり前提中の前提です。旧来の教授型授業観を引きずったままでは、続く文言をどれだけ読んでも実質的には機能しません。詰め込み・注入型の指導から、児童中心の学びへの転換が今回の学習指導要領の方向であり、この転換を腹に据えてから以下の各章を読む必要があります。

歴史ある教授法の運動体も、組織としては変わろうとしている。しかし、かつてその文脈で認められてきた実践者が、旧来の価値基準のまま発信を続ける構造が残っている——受け取り手側が本質を見極める力を持っておかないと、こうした情報の波に振り回されることになります。

主体的・対話的で深い学び
主体的・対話的で深い学び

「各教科の特質に応じた見方・考え方を働かせながら、知識を相互に関連づけてより深く理解したり、情報を精査して考えを形成したり、問題を見出して解決策を考えたりすることに向かう過程を重視した学習の充実を図る」——この文言が問うているのは、活動量や授業形態ではなく、学びの過程そのものをどう設計するかです。

教科書を「使い倒す」という出発点

この過程の設計において、すぐ手の届く出発点は教科書です。教科書は最低限こなすべき素材ではなく、見方・考え方や単元間の接続まで含めて使い倒す対象として向き合うことが求められます。

単元と単元のあいだに置かれた小さなコラムや補足欄には、次の学びへの橋渡しや思考の拡張が丁寧に仕込まれています。そこまで読み込んでいるかどうかで、教科書が与えてくれる学習の深さはまったく変わってきます。先生が全部読んでやらないと次のページもめくれない世界と、子どもが自分で読み解き、けテぶれやQNKSを使いながら知識を自分の構造として積み上げていく世界とでは、到達できる質がまるで異なります。

教科書を1ページたりとも読み飛ばさず、子どもが自分で読み解けるよう指導していく。その営みを通じて、子どもの頭の中には教科の知識が孤立した点としてではなく、互いに結びついたメンタルモデルとして構築されていきます。教科書ノートとけテぶれ・QNKSの組み合わせは、この出発点として十分な土台になります。

「知る→やってみる→できる→説明できる→作る」という過程

では、主体的・対話的で深い学びは具体的にどんな段階を経るのでしょうか。「知る」「やってみる」「できる」「説明できる」「作る」という5段階の過程が、ここに応えます。

知る段階では、情報や知識と出会い、QNKSが動き始めます。問いを立て、必要な情報を抜き出し、組み立てる最初の一歩です。やってみる段階はけテぶれを回します。計画を立て、試し、結果を確かめ、次の練習を設計する往還が始まります。繰り返しの中でできることが増えた先にできるがあり、そこで立ち止まらずQNKSで言語化することで説明できる段階に至ります。そして最後に「作る」——身についた知識と思考を使って、自分なりの何かを生み出す段階です。

この最後に「作る」を設定することで、「過程を重視した学習の充実」は初めて実質を持ちます。けテぶれで回転しながら「やってみる」段階を越え、QNKSで言語化しながら「説明できる」段階に至り、最終的に活用・創造へとつながる螺旋的な成長過程——これが総則の求める「見方・考え方を働かせた深い学び」の実装された姿です。

学びの階段
学びの階段

「説明できる」段階を経て身についた知識や思考を他の場面に使い始めるとき、「活用」の領域が開かれます。そこからさらに「作る」へと向かうことで、子どもは自分なりの学び方・自分なりの知識構造を構築していきます。これが「習得→活用→探究」という流れを教室に実装することの具体的な意味です。

情報活用能力を「コンピュータポチポチ能力」にしてはいけない

第3章3番目には「情報活用能力の育成」が示されています。ここで立ち止まる必要があります。

文言を読むと、情報活用能力を育成するための具体策として「コンピューターや情報通信ネットワークなどの情報手段を活用するために必要な環境を整え、それらを適切に活用した学習活動の充実を図る」と書かれています。情報活用能力の育成 ≠ コンピューターをたくさん使わせること。この因果関係の履き違えが、現場に大きな混乱をもたらしています。

「東大生のノートがきれいだから、ノートの取り方を真似すれば東大に行ける」というロジックが成立しないのと同じです。東大生のノートがきれいなのは、思考をより的確に反映する媒体としてノートを活用した結果です。道具の形を真似することと、その道具を生み出す力を育てることは別の話です。ICTの活用頻度を上げることも同じ構造にあります。活用したくなる学習が設計されており、活用できるだけの情報活用能力が育っているからこそ、ICTの活用頻度は必然的に上がる——この順序が逆転してはいけません。

では、情報活用能力の本質とは何でしょうか。鍵は論理的思考力にあります。直感的思考は問いと答えが一瞬で結びつく力ですが、その過程を他者に伝えることができません。論理的思考は「階段ブロックを積むように、問いから答えまでの道筋を作る力」です。この道筋を言語によって組み立てることで、はじめて他者に伝達可能になる。そこに言語能力と情報活用能力が隣接して位置づけられる理由があります。

情報を抜き出し、組み立て、整理し、他者が理解できる形に表現する力——それがQNKSの構造そのものであり、言語能力・情報活用能力のいずれをも支える基盤です。

学習の基盤となる資質能力
学習の基盤となる資質能力

言語能力も情報活用能力も、個別に焦点化するべき別々の施策ではありません。「本校はこの中でどれを重点化するか」という選択肢の問いとして扱うことも、根本的に間違っています。探究のサイクル(課題の設定→情報の収集→整理・分析→まとめ・表現)も、QNKSと同じ論理構造を持っています。総合的な学習の時間でも、各教科でも、この同じ原理を貫いて使い続けることが教科横断的な力の実質を作ります。

図書館をよく使うこと、ICT活用頻度が上がることは、子どもに情報活用能力が育った結果として起きてくるものです。結果を目標に置くことで、本丸の力をどう育てるかという問いが消えてしまいます。

見通しと振り返りを「日々」回す

第3章4番目には「児童が学習の見通しを立てたり、学習したことを振り返ったりする活動を計画的に取り入れるよう工夫すること」とあります。これはけテぶれの話です。

「計画的に取り入れる」という表現を、特別な時間を別途設けることとして読む必要はありません。けテぶれは全ての授業時間で回せる構造です。計画(見通しを立てる)→テスト(試す)→分析(振り返る)→練習(次の一手)というサイクルが、毎時間の学習デザインの中に埋め込まれていれば、この要請は毎日達成されています。

見通しと振り返りを「特定の場面に登場する特別な活動」として扱うのではなく、子どもが毎日自分の現在地を確かめ、次の一歩を自分で決めていく日常の構造として設計することが、この文言の本質です。授業設計に組み込まれたけテぶれが、その実装を担います。

評価は「見取りとフィードバック」として日々の学びを支える

第3章2番目の「学習評価」では、「児童の良い点や進捗の状況などを積極的に評価し、評価の場面や方法を工夫すること」が求められています。

評価を評定に閉じて捉えると、学期末の成績処理の話になってしまいます。しかし総則が問うているのは、日々の学習の中での見取りとフィードバックです。子どもが自分のペースで学習課題を選び、自分の現在地から動き出す自由進度的な設計があってこそ、教師の見取りはその本来の力を発揮します。

子どもが自ら課題を選び、動き始めたとき、教師の役割は「正解を届ける人」から「子どもの状況を見取り、適切なフィードバックを返す人」へと変わります。評価はそのフィードバックの質を支えるものであり、子どもの進みを記録・判定するだけの操作ではありません。

特別な配慮も、同じ構造の中にある

第4章「児童の発達と支援」には、障害のある児童、通級に通う児童、不登校の児童など、特別な配慮を要する子どもたちへの支援が示されています。

ここで重要なのは、これらの子どもたちを「集団平均からのズレ」として処理しないという視点です。同学年・同年齢の集団という枠組みで子どもをくくり、そこからはみ出た存在に「特別な配慮」というラベルを貼る発想は、肉体の年齢という外側の基準から生まれています。

ではどう見るか。「全員、自立に向かって頑張っている」——自立を言い換えると「生きる力」であり、生きる力の延長に「人格の完成」があります。障害のある子も、不登校の子も、それぞれの現在地が違うだけで、向かっている先は同じです。それぞれの現在地から一歩進むことを全員で応援するという設計が、この章が本来求めている方向です。

「自己の存在感を実感しながら、将来及び自己実現を図っていくことができるよう」「学ぶことと自己の将来のつながりを見通しながら、社会的・職業的自立に向けて必要な基盤となる資質・能力を身につけていく」——この文言は、学習と生活を貫く生活けテぶれの設計そのものと重なります。

三重県のある学校で提案・実践されている「全校算数」は、この世界の一例です。全学年の子どもが自分の現在地から一歩進もうとしている場を大人が見守る。肉体の使用年齢は関係なく、それぞれの歩みがそれぞれのペースで進んでいく——そういう学校の姿を、総則は射程に入れています。

学校は、年齢や平均からのズレで子どもを分類する場ではなく、それぞれの現在地から一歩進むことを全員で応援する場として再設計されるべきです。 この視点が、総則後半を貫く最も大切な観点です。

総則を通じた一本の糸

第5章(学校運営上の留意事項)ではカリキュラムマネジメントと地域・家庭との連携が、第6章では道徳教育との連動が求められています。これらも、日々の子どもの学習・生活の設計という視点から切り離せません。道徳の内容が日々の生活に生かされるよう意識的にデザインすることは、教育課程全体の設計として問われています。

総則の各章・各項目を、それぞれ別の施策として個別に焦点化していくことには注意が必要です。言語能力、情報活用能力、探究のサイクル、見通しと振り返り、評価と支援——これらはバラバラな活動目標ではなく、子どもが自分の現在地から一歩進む学習環境を設計するという一本の目的のもとに統合されています

けテぶれとQNKSは、この統合を教室レベルで支える核です。見通しを立てて試し、情報を抜き出して組み立て整理し、振り返り、また動き出す——この往還を日々の学習に埋め込むことが、主体的・対話的で深い学びを抽象論ではなく教室の現実として実装することです。

詰め込み・注入型からの転換が本格的に根づいていく時代の入口に、私たちはいます。その流れの中で、教師一人ひとりが総則の文言を施策ごとに分断せず、子どもの学びの構造として統合して読む力を持つことが、これからの教室設計の出発点になります。

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