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けテぶれを場に実装するには、まず軽く回し、具体姿を価値づける

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けテぶれを学級や学校に定着させるには、正しいやり方を一度に全員へ入れようとするのではなく、動く先生・動く子の上限を解放し、波及を待つことが出発点になります。質より回転を先にして、教師が具体的な姿を語り続ける。月の学びと太陽の学びを両方価値づける。委ねながらも戻れる場を保つ。この積み重ねが、「自分で考え、自分でやる」文化を学校と学級に根づかせていきます。

動く人から文化は広がる

校内にひとり、バリバリとけテぶれを実践している先生がいるとします。すべての同僚がその先生に食らいついてこられるわけではありません。それは当然のことで、無理に全員を引き上げようとすると、かえって文化の芽が潰れてしまいます。

しかし、その先生の実践を「学びたい、自分もやってみたい」と言い始める人が数人出てくると、様子が変わります。「うちの学校でこういう流れが起きているなら、自分もちょっと取り入れてみようかな」という人が周囲に波及していくのです。全員一律に吸収させようとしない。吸収できる人が吸収し、その周りに段々と広がっていく。その順番を認めることが、文化をつくる道筋になります。

動く子・動く先生の上限を解放し、中心から外側へじわじわと広がる波を信じる。一気に全体を動かそうとするのではなく、動きたい人が動ける場をまず整えることが、最終的には全体を動かすことになります。

動く子や動く先生の熱が周囲へ広がる構造
動く子や動く先生の熱が周囲へ広がる構造

管理職のスタンスも、この波及に大きく影響します。子どもがタブレットを使っている場面で「ええやん、別に」と頭ごなしに止めない校長がいる学校では、担任も新しいやり方を進めやすくなります。まず認める。そこから「人に迷惑をかけるときは止める」「騒がしさは困る」という線は引けます。しかし基本姿勢が「あなたのことを大事にしている」という安心感であれば、制御はその上に成り立ちます。禁止するために頭ごなしに止めるのではなく、認めることが制御の土台になるのです。

職員室でも教室でも、この原理は変わりません。動く先生から文化が広がる職員室と、動く子から文化が広がる教室は、同の構造を持っています。

最初に必要なのは、質より回転

けテぶれを実践するうえで、最初に何が一番大切かと問われれば、「回転」と答えます。計画の質ではなく、まず一周回すことです。

しょうもない計画でも立てる。テストは2問でいい、とにかく受ける。分析が的外れでも、練習まで進む。練習したら次の計画を立てる。この流れのなかで、少しずつブラッシュアップされていきます。

計画の質を最初から問うと、ペダルが重くなりすぎて踏み出せません。子どもはタブレットにすぐ逃げてしまいます。シャカシャカと軽く回り始めると、徐々に自立していく。自転車と同じで、最初から重いギアでは踏めません。軽く回し始めて、回転の中でギアを上げていくのです。

計画・テスト・分析・練習を回すけテぶれの基本サイクル
計画・テスト・分析・練習を回すけテぶれの基本サイクル

40分の授業時間があるのに、10分で終わる計画を立てる子もいます。それを責めるのではなく、回転を重ねる中でよい計画を立てられるように育てていく、と構えることが大切です。最初から完璧な計画を求めると、子どもはそのプレッシャーに負けてしまいます。

実装を始めるなら、生活や漢字宿題など、制御しやすくブレを許容できる領域からでいい。授業全体を一気に変えようとしなくていい。1ページのところを半ページしかやってこなかった、そんな小さなブレを「現在地」として認め、次の一歩を促す入り口にする。そこから始めることが、持続可能な実装につながります。

枠組みがあるから、自分らしさが出る

図工の授業で「作り作り変え」という実践が紹介されることがあります。制作の途中に対話を入れ、作りかけの作品をお互いに見合う。そこから刺激を受けて、最初の構想が変わり、自分らしさがどんどん出てくるという実践です。

これはQNKSの論理と重なります。問い(Q)を持ち、他者や既存の作品から刺激を抜き出し(N)、一つの作品として組み立て(K)、色や形で人に伝わるものとして出す(S)。「最初の答えをどう変えるか」が、深い学びの勝負になります。一人で考えた答えや作品を、他者との対話や刺激によって作り変えていける枠組みがあって初めて、その子だけのオリジナルが育ちます。

国語でも同じことが言えます。問いの数が少ない国語では、最初に出した答えを単元の学習の中でどれだけ作り変えられるかが、その子のオリジナルで深い言葉になっていきます。一度出した答えを「変えていい」という場があることが、学びを深くするのです。

ルールがあるから、自分らしさが出る。画用紙のサイズや構成の制約があるから、その枠の中で自分の表現が立ち上がります。完全な自由は、かえって何を表現してよいかわからなくなり、獲得不能な状態を生みます。型があり、その型を出発点として変えていく。その往還の中に、学びの深みがあります。

振り返りには、具体姿を置く

授業の終盤5〜10分は、ピタッと教師の語りに収束させる時間にするとよいと考えます。秒針が12になった瞬間、振り返りノートに鉛筆が走る空間に切り替える。そのための準備を、教師の語りでしておくのです。

振り返りで何を書けばいいかわからない子に、教師の語りを置く。「今日の授業の中で先生が見つけたいい姿」をどんどん語ります。ここで大切なのは抽象論ではなく具体的な姿です。「こういう場面でこういう行動をしていた子がいた。これにはこういう価値がある」と切り抜いて語りきる。それを「真似してみていいよ」と促します。

授業の最初の5分は計画を立てる時間にして、「前回、こんな行動をしていた友だちがいたよ」を取り上げます。「それを真似してみることが、あなたの現在地から一歩進むことだ」と意味づける。自分の殻に閉じこもらずに一歩進む、その一歩の具体的なイメージを冒頭に渡すのです。

立ち上げ期は特に、何が成功で何が失敗かを教え込むくらいの感覚で語ることが必要です。任された空間で上手に振る舞えるようになるまで、選択肢を常に示し続けます。変化の先の具体姿をたくさん置くことが、教師の最も重要な仕事の一つです。今日が違う1日であってよかった、と思える具体を子どもの手に渡していく。それが積み重なることで、「自分から動く」習慣になっていきます。

月と太陽を両方価値づける

対話的で活気ある授業空間は、子どもにとって豊かな学びの場です。しかしそこには、見落としやすい落とし穴があります。

ハッピーパーティーのような陽の空間が広がっているとき、一人で黙々と取り組んでいる子は、自分を「参加できていない」と感じてしまうことがあります。「今日も誰とも喋れなかった」と、こちらの意図とは逆の失敗感を持って帰る子がいるのです。それは教師が意図していなくても起きます。

だからこそ、月の学びと太陽の学びを両方価値づけることが重要になります。

> 月の学びで、今日一人でやりきった子がいたよ。これはこれで、めちゃくちゃすごいことだよ。

太陽の学びだけを価値づけると、学びがすかすかになってしまいます。1時間人と学ぶチャレンジも、1時間一人で学びきるチャレンジも、どちらも価値ある学びの姿です。教師が両方を語ることで、どんな学び方をした子も「自分の今日は成功だった」と思って帰れる教室になります。

月と太陽の軸で学びの姿を価値づける心マトリクス
月と太陽の軸で学びの姿を価値づける心マトリクス

ポジティブな語りを徹底すると、子どもは「これをすると認められる」ということを自然に学習します。怒られて「これをすると怒られる」を学ぶのとは逆のベクトルです。安心感が秩序を作る。安心して逸脱でき、安心して戻れる場があるから、子どもは自分の学びを動かせるようになります。

委ねるが、放任しない

「全部自由でいいよ」と言うだけでは、結局それぞれがだれていきます。委ねることと、放任することは違います。

「今日、一歩出すの出さないの、どっちにする?」と二択で確認します。出すなら「こんな選択肢があるけど、どうする?」と具体を示す。出たら認めて価値づける。出なかったら「今日は出なかったな」を二人で確認する。次の一歩を示しながら、今の現在地が本人の選択であることも認める。「次また戻ってきて」「戻ってこれたね」と迎える。そのやり取りの積み重ねが、抜き差しの感覚です。

人生だってそういうものかもしれません。回り道もするけれど、最後は戻ってくればいい。そんな感覚で子どもを見ていると、小さな逸脱も大きな問題に見えなくなります。

算数の授業中にタブレットで別のことをしている子がいたとき、「悪いことをしている」と見るか、「自由進度の構造を超えてしまっている」と見るかで、対処がまったく変わります。その状態は、単純な逸脱ではなく「この空間でそれができる安心感がある」ことの証でもあります。その子がまた輝く仕組みは何かを問い続けることが、教師の仕事です。単元内自由進度に上げてあげれば、タブレットに逃げる必要はなくなるかもしれない。「横に広げていいよ。最後まで行ったら、縦に深めよう」という道筋を用意しておくのです。

教科書を捨てるのではなく、教科書をけテぶれで回す。広げ切ったら深める。深めるルートが用意されていれば、子どもは自分でも先に進めます。1ページと言われて半ページしかやってこなかった、そんな小さなブレも「現在地」として受け止め、次の一歩を一緒に考える入り口にしていく。だれ切らせない。しかし押し付けない。その塩梅を探り続けることが、委ねることの実質です。

自分で考え、自分でやる場をつくる

けテぶれを突き詰めると、「自分で考えろ、自分でやれ」という指導になります。自分で考えたことは自分でやりなさい、をやらせきること、押し切ることができないと、筋が通らなくなります。そのためには、教師側の覚悟が要ります。

達人と呼ばれるような先生は、授業を一方向に引っ張っていく力を持っています。音楽会でも図工でも、その力で子どもを導き、作品をつくらせる。しかしけテぶれは、その指導観を一度脇に置く感覚が要ります。子どもに委ねることで、自分が主導権を手放す感覚が伴う。それが怖くて、心が揺れることもあるでしょう。

それでも、一回やってみることです。一気に教科全体を変える必要はありません。生活や漢字宿題など、自分のコントロール可能性が高い領域から始める。そこでの小さな成功体験が、次の一歩を踏み出す根拠になります。

先生が自信を持って語りきらないと、子どもの前には響きません。仕組みづくりへの覚悟がなければ、どこかで「子どものせい」にしてしまう気持ちが出てきます。そこに逃げないための仕組みを、まず教師自身がつくっていくことが求められます。

QNKSは文章問題の研究から生まれ、けテぶれは「学力差のあるクラスで宿題を一律に出すのは無理ではないか」という問いから始まりました。どちらも、目の前の子どもが輝く仕組みを問い続けた先に生まれた道具です。

学習空間と職員室は同型です。動く子・動く先生から文化が波及していく。委ねる、戻る、抜き差し、認める。これらはすべて、「自分が自分であるとき最も輝く」状態に子どもと先生が届くための装置として機能しています。

学び方は文化です。文化は継承でき、発展可能なものです。まず動く人が動き、その具体姿を語り続け、安心して逸脱でき、安心して戻れる場をつくっていく。その営みを積み重ねることが、けテぶれを場に実装するということだと考えます。

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