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けテぶれ実践2年目の学校に見えた、ドロドロの先の希望

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兵庫県川西市の小学校で、全校けテぶれ実践2年目の校内研修を行いました。この学校では昨年度から全校の宿題漢字練習にけテぶれを取り入れており、今年はその領域を算数へ広げようとしています。研修で印象深かったのは、先生たちが教科書を手元に開きながら学び方やフィードバックを自分たちで語り合う、職員室の姿でした。その土台には、研究主任の先生が5年かけて積み上げてきた歩みがあります。最初の数年は、うまくいかず分かってもらえるかも分からない「ドロドロ」の時期だったといいます。この記事は算数けテぶれの手順解説ではありません。実践を学校全体に広げようとして、折れかけている先生に向けて、その先がある可能性を伝えたいと思います。

全校で2年目を迎えた学校での研修

今回の校内研修は、兵庫県川西市のある小学校にお邪魔しました。この学校では、昨年度から全校で宿題の漢字練習にけテぶれを取り入れています。私も年に5回ほど入らせていただいており、今年のチャレンジはその学習の領域を算数へと広げていくことです。

研修では、けテぶれという学習スタイルに取り組む意義から始まり、算数での分析と練習のつなぎ方、授業づくりの考え方まで、さまざまなことをお話ししました。算数けテぶれの具体的な手順については、翌日以降の連続講義として改めてじっくり扱うつもりです。今回この記事でお伝えしたいのは、研修の中で見えてきた学校と教師集団の変化についてです。

授業づくりの根本にある「子どもが先、教師が後」

授業づくりの方向性としてお話ししたのは、一言でいえば「できるだけ一斉指導の時間を短くして、早めに子どもたちに時間を渡す」ということです。子どもたちの様子を見ながら、教師は後から関わっていく。私がよく言う「子どもが先、教師が後」という考え方です。

これは授業の形を変えるというよりも、子どもたちが「やってみる⇆考える」という往還の中に自分で入っていける場をつくることを意味しています。「信じて、任せて、認める」という姿勢を基本に置くことで、子どもは自分の学び方を自分で動かし始めます。教師はそこに寄り添いながら、子どもたちの学習観を観察し、必要なタイミングで関わっていく。そういう授業の在り方が、けテぶれを機能させる土台になっています。

職員室で見た、先生たちの語り合い

今回の研修で最も印象に残ったのは、授業の内容より、職員室の様子でした。

「相談してください」と一言声をかけると、先生たちはすぐに話し始めます。それが浮ついた雑談ではなく、教科書を手元に開きながら「ここはこういう風にやってみたい」「この場面ではこういう学習観が必要だから」「フィードバックはこうしてみたい」という具体的な言葉が次々と出てくるのです。

1年目の経験を積んだ先生が自然にグループの話題を引っ張りながら「こういう学習観が大切だよね」と話す。2年目の先生はそれを聞きながら自分の授業と重ねる。私が言わなくてもいい。先生たちが自分たちで語り合っている。その姿を目の前にして、これが学び方の見方・考え方を教師集団が自分のものとしているということか、と強く感じました。

同席されていた方も「こんなに先生たちが生き生きと前向きに学び合って、研鑽をし合っているような職員室には出会ったことがない」とおっしゃっていました。場の質そのものが変わっている、そういう職員室でした。

5年かけて育てられてきた土台

こうした職員室の姿は、突然生まれたものではありません。

研究主任の先生が、5年ほどの間「全校でけテぶれを広げるにはどうすればいいか」ということを考え続けてこられました。その歩みの先に、今日の景色があります。

熱の広げ方
熱の広げ方

実践を個人の教室から学校全体へと広げていく道のりは、最初から順調に進むわけではありません。研究主任の先生が話してくださったことによれば、最初の3年間は本当に「ドロドロの世界」だったといいます。うまくいかない。分かってもらえるかどうかも分からない。そういう中で悩み、粘り続けてきた。その積み重ねの上に、今の職員室の姿があるのです。

ここで思い当たる先生が多いのではないでしょうか。自分の実践としてけテぶれを立ち上げて、ある程度の手応えを感じ始めたとき、次に来るのは「これをどうやって周りに広げるか」という問いです。そこで周囲の理解が得られずに、折れかけてしまっているという先生が、全国にたくさんいると思います。この事例から、「その先がある」ということを知っていただきたいのです。

ドロドロの先に、芽は出る

心マトリクスで言えば、ドロドロの世界とキラキラの世界は両極にあります。そして両極は一致する。ドロドロを極めた先に、キラキラが現れるのです。

心マトリクス
心マトリクス

実践の広がりにおけるドロドロの時期も、この構造の中にあります。学びの木(シコウの木)で言えば、根っこが張るにはまず土の中でもがく時間が必要です。子どもたちが「分からない、できない」という悩みに浸かるからこそ芽が出るのと、同じ構造です。わかってもらえない、うまく伝わらないという状況にちゃんと浸って、粘って、悩んで、一歩ずつを繰り返して初めて、根の張った芽が出てくる。

シコウの木
シコウの木

だからといって「苦しみを我慢すれば必ず成功する」と断言したいわけではありません。ただ、そうやって粘ることの中には確かな意味があります。教育全体の価値観として、子どもの学び方や主体性を重視する方向への流れは育ってきています。向こう15年は、実践者にとって追い風が吹く時期だと感じます。

焦らず、腐らず。時にはイライラして、フワフワして、また戻ってくる。その揺れの中からこそ、実践の根は深くなっていきます。今そのフェーズで苦しんでおられる先生たちの歩みを、心から応援しています。

子どもの事実だけでなく、職員室の事実も

最後に一点だけ付け加えさせてください。

けテぶれを学校全体に広げる意義を語るとき、子どもたちの学習力が育つことや、自己学習力が覚醒していくことはよく語られます。それはもちろん核心です。しかし今回の学校で見えたのは、もう一つの事実でした。先生たちが働くことを楽しいと感じ始めている。学習について考えることが楽しくなってきている。 その姿が職員室に現れています。

教室実践として子どもたちの事実がある。そして職員室の事実がある。学校でけテぶれに取り組むとき、この二つの目線が必要だと感じます。子どもが自分の学び方を自分で動かし始めるように、先生たちもまた、自分の授業観や学習観を自分の言葉で語り始める。そこまで含めた変化を、けテぶれがもたらす可能性として伝えていきたいと思っています。

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