芦屋市の学校公開で、学校に来ることが難しかった子どもがけテぶれへの喜びを語りかけてきた。その体験と、教育長の「これまでの教育じゃダメだ」という言葉を起点に、変化の時代に求められる教育改革の方向を考える。カギは、子どもにも教師にもコントローラーを渡し、その主体的な歩みを信じて支える設計にある。芦屋市の研修デザインは、どんな方向に進む教師も等しくバックアップする仕組みであり、個別最適な研修の一つの姿として示唆に富んでいる。
学校に来られるようになった子どもの笑顔
ある日、芦屋市の学校公開にお邪魔する機会をいただきました。5年生の担任の先生は、以前からオンラインで授業づくりのやり取りを重ねていた方で、子ども主体の学びの場を長く探究されてきた方です。
その教室を訪れたとき、ひとりの子が目を輝かせながら駆け寄ってきました。「先生、けテぶれのノート、見てください」と。
聞けば、もともと学校に来ることが大変だったお子さんだったそうです。それが今は、勉強が楽しくなって、学校に来られるようになったと言う。思わず、じわりと目頭が熱くなりました。
「それはもちろん、先生の素晴らしさが150%」——そう明言しておきたいのですが、その子がけテぶれという枠組みを通じて学びへの手がかりを得たことも確かで、胸に迫るものがありました。
けテぶれ・QNKS・心マトリクスがそろった教室は、言ってしまえば「公教育の軸足を変えた姿」のひとつです。子どもたちが自分の学びにコントローラーをもち、自分のペースで試行錯誤を重ねている——そういう場が、実際にある学校の中で立ち上がっていました。

「これまでの教育じゃダメだ」——教育長の言葉が突いたもの
その日の学校公開には、複数の市から教育長も来られていました。芦屋市の教育長と初めてお話しする機会を得たのですが、その言葉が非常に印象に残っています。
「今までの教育の結果は、もう出ているじゃないですか」
「だから、これまでの教育じゃダメだということだけが、今わかっている」
「だから今まで通りはやめよう。それだけです」
正直に言えば、この言葉はまっすぐ刺さりました。と同時に、「模索している」というその正直さに、誠実さを感じました。何がいいのかはまだわからない。でも、今まで通りではいけないということだけは確かだ——その姿勢が、今の教育改革に必要な出発点だと思います。
公教育のボトムアップ改革を語るとき、よく「現場から変える」という言葉が使われます。しかし実際には、自治体がどういう立場で現場と向き合うかが、その改革の質を大きく左右します。「答えを上から配布する」のではなく「一緒に模索する」姿勢——教育長の言葉には、そういうベクトルが感じられました。
多様化する教室に、一律の正解はない
では、なぜ今まで通りではダメなのか。
教室は今、かつてないほど多様化しています。子どもたちの現在地は一人ひとりまったく異なり、さらに周囲にはあらゆる情報があふれ、AIが急速に進化しています。その一方で、学校に来られなくなる子どもも増え、少子化は加速している。
昭和的な一律の教育観、人口が増え経済が伸びていた時代の指導スタイルが、今の教室に合わなくなってきていることは、中教審も繰り返し指摘しているとおりです。こうした状況の中で、「まず今まで通りの指導スタイルを身につけましょう」という発想が、今まで通りの教育観の文脈をそのまま継承することになっていないか——受け手が自分で問い直す目を持つことが、いっそう大切になっています。
そしてこの問いは、子どもへの教育だけに向けられるものではありません。教師自身の学びもまた、個別最適に設計される必要があります。
芦屋の研修デザイン——教師の主体性を信じる設計
このことを、芦屋市の研修デザインが実践の形で示していました。
学校公開の場では、参観者が主体的にいろんな教室を選んで回る形式でした。著名な講師が基調講演をして全員が聴く形ではなく、それぞれが関心に引かれながら学ぶ、個別最適な研修として設計されていたのです。
さらに印象的だったのは、年間を通じた研修の仕組みです。
「どんなことを追求したい先生も、市がバックアップします」
教科指導を徹底的に深めたい先生も、子ども主体の学びを探究したい先生も、どちらも歓迎される。先生が立候補し、やりたいことを伝え、どのメンターについてほしいかを希望する。すると、市がそのメンターに連絡を取り、伴走の機会をデザインしてくれる。
今回の学校公開で授業を見せてくださった先生は、けテぶれやQNKSを実践されていたので、「この人に来てほしい」と指名があり、市から正式に声がかかったのだそうです。一担任の希望が、自治体との連携を動かす。そういうことが、このデザインでは実際に起きています。
「つまり、先生の主体的なエネルギーを信じているというデザインですよね」
この言葉に、芦屋の研修の核心があると感じます。どちらに向かっても、より良い教育を目指しているのだから、その歩みの先には子どもたちの豊かな学びがあるはずだ——その信頼が、制度の形になっている。「信じて、任せて、認める」という姿勢が、研修設計の原理になっているのです。

一斉指導を否定しない——ベクトルを信じる
この設計で注目したいのは、「一斉指導はダメだ」という方向性を市が示していないことです。
教科指導を極めたい先生も、子ども主体の学びをつくりたい先生も、どちらも等しく応援される。「スイングできる」という言葉が印象的でした。今年けテぶれやQNKSで挑戦した先生が、来年は教科指導を深めたいと方向を変える——そういう往還がむしろ自然に起きる設計です。
改革は、「正しい方向を全員に指定する」ことではない。教師がより良い教育を目指して動いているなら、その方向は複数あっていい。
この観点から見ると、けテぶれ・QNKS・心マトリクスも、「唯一の答え」ではなく、子ども主体の学びを構築したい教師にとっての具体的な中央装置のひとつです。子どもたちに学びのコントローラーを渡すための道具として、教室に持ち込める実装手段——そういう位置づけとして大切にしています。
どんな授業観を持つ教師も、自分の主体的なエネルギーに従って動けること。そして、動き出した先生の歩みを自治体が伴走すること。その先に、子どもたちの学びが豊かになる道があるという信頼——これが、芦屋の研修デザインが示した軸足です。

語り手が自分に刺したブーメラン
今回の放送を通じて、自分自身への反省もありました。
旧来の指導スタイルを継承するような発信に、思わず怒りさえ覚える場面がありました。でも、芦屋市のデザインを語りながら気づいたことがあります。それは、教育長が自然に持っていたような「信じる器」が、自分にはなかったということです。
よく考えれば、セミナーを開く人も、参加する人も、みんな子どもたちにより良い教育をしたいという思いで動いています。その歩みの先には、確実に子どもたちの笑顔があるはず——そのことを信じながら、発信していかなければと思い直しました。
「信じて、任せて、認める」という姿勢は、子どもに対してだけでなく、教師に対しても、そして教育に向き合うすべての人に対しても、同じように必要なものです。
子どもにもコントローラーを渡す。教師にもコントローラーを渡す。そしてその歩みを、信じて支える。教育を変える入口は、まずそこにあるのだと、芦屋市の学校公開が改めて教えてくれました。