学習指導要領の改訂議論では、「学びに向かう力・人間性」と「見方・考え方」の2点が主要な論点として取り上げられています。しかし国の資料を読むと、「学びに向かう力」は方向性のみで説明されがちであり、学ぼうとする駆動力や具体的な学び方との区別が曖昧なままです。葛原メソッドの枠組みで整理すると、方向性は心マトリクス、具体的な学び方はけテぶれとQNKS、学びの駆動力は主体性や学習力として明確に分けることができます。この三つの層を分けて読むことで、PISAなどの課題データに並ぶ問題群の構造が見えてくるとともに、「見方・考え方」を中核的な概念・資質能力・深い学びとの関係の中で正確に位置づける道筋も開かれます。
論点の中心:「学びに向かう力」と「見方・考え方」
学習指導要領の構造化をめぐる論点資料には、主要な議論の焦点として二つのテーマが示されています。一つは「学びに向かう力・人間性」の構造化、もう一つは「見方・考え方」の整理です。
資質能力の三本柱——知識及び技能、思考・判断・表現、学びに向かう力・人間性——のうち、前二者については「構造化の方向性が示された」とされています。一方、「学びに向かう力・人間性」については「明確化を図るべき点はないか」という問いが立てられています。つまり、三本柱の中でも「学びに向かう力」は、いまだぼんやりしたまま残っているという認識が、この議論の出発点にあります。
「見方・考え方」についても同様の問題意識があります。前回改訂で位置づけられた各教科の特性に応じた「見方・考え方」と、今後整理が求められる「中核的な概念」との関係が、現場では十分に整理されていないという指摘です。この二つのテーマを順に見ていきます。
「学びに向かう力」の三層構造——ハンドル・エンジン・車輪
国の資料では、「学びに向かう力」は「2つの柱をどのような方向で働かせるかを決定づけるもの」として説明されています。確かにこの定義は一面で正しいのですが、方向性だけでは不十分です。
葛原メソッドの枠組みで整理すると、「学びに向かう力」と呼ばれているものには、実際には三つの異なる層が含まれています。
- 方向性(ハンドル):知識や思考力をどこに向けて働かせるか。何を良いとするか、どの方角に向かって進むかという指向性。
- 駆動力(エンジン):そもそも学ぼうとする心、自ら動き出す意欲と主体性。
- 具体的な学び方(車輪):実際に学びを前に進めるための方法論。考え方の手順と行動の手順。
この三層が揃って初めて、子どもたちは自分の学びを前に進めることができます。ハンドルだけ精密に切ることができても、エンジンが弱ければ車は動きません。エンジンとハンドルが揃っていても、車輪がなければ走れません。国の資料の記述は、この三層のうち「方向性(ハンドル)」の側面だけを取り出しており、エンジンと車輪の話が抜け落ちています。

資料が示す「三角形の図」などの試案には、「考えてみること・行動してみることを学びに向かう力の起点として位置づける」という提案もあります。この方向性は評価できますが、その「考えること・行動すること」を具体的にどう育てるかまで踏み込まない限り、再び抽象的な記述に留まる可能性があります。
方向性を可視化する:心マトリクス
方向性(ハンドル)の役割を果たすのが、葛原メソッドにおける心マトリクスです。知識・技能をけテぶれで身につけ、思考・判断・表現をQNKSで深めたとして、その力をどの方向に働かせるかを示すのが心マトリクスの機能です。ニコニコの方向に発射すればキラキラへ向かい、自己中心的な方向に発射すればイライラへ向かう——力の向き先を具体的なイメージとして可視化できるのが心マトリクスの強みです。
国の資料でも「学びに向かう力・人間性」の要素として「協働する力」「持続可能な社会づくりに向けた態度」「感性・人間性」「倫理観」が挙げられており、これらはまさに心マトリクスの構造と重なります。方向性の整理という点では、心マトリクスはすでに十分な構造を提供しています。

ただし、ここで立ち止まる必要があります。心マトリクスが方向性(ハンドル)を担うとして、では学ぼうとする意欲(エンジン)と、学びを具体的に進める方法(車輪)はどこで育てられるのでしょうか。「学びに向かう力」を方向性の話だけで完結させると、この問いへの答えが永遠に先送りになります。
学びを前に進める両輪:けテぶれとQNKS
エンジンが動き出したとき、実際に学びを前に進める車輪が必要です。葛原メソッドでは、この車輪としてけテぶれとQNKSの二つが位置づけられています。
けテぶれ(計画・テスト・分析・練習)は、知識・技能を身につけるための学び方です。うまくいくかわからない状況に踏み込んで試し、結果を自分で分析して次の手を考える——この往還が知識を体に入れていきます。QNKSは、問いを立て・調べ・まとめ・説明するという思考・判断・表現の具体的な方法です。自分で課題を設定し、情報を集め、発表する力はまさにQNKSが育てます。
この両輪があって初めて、子どもたちはエンジンを吹かせて自分の学びを前に進めることができます。 けテぶれとQNKSを「便利な実践手法」として扱うのではなく、学習指導要領の三本柱に直接対応する構造として捉えることが重要です。知識・技能の柱にはけテぶれが、思考・判断・表現の柱にはQNKSが対応しており、この両輪が学びに向かう力(エンジン・ハンドル)と組み合わさったとき、三本柱全体が機能する構造が完成します。

やってみる(けテぶれ)⇆考える(QNKS)という往還そのものが、学びを積み上げていく動力になります。この往還が見えていれば、「主体的・対話的で深い学び」も単なるスローガンではなく、具体的な授業の姿として描けるようになります。
課題データを「ハンドル・エンジン・車輪」で読む
PISA2022をはじめとする各種調査が示す日本の子どもたちの課題は、一見すると「学びに向かう力が低い」という一点に集約されているように見えます。しかし、個別の項目を丁寧に読むと、それらは異なる層の問題を混在させています。
- 「自律的に学ぶ自信がない」——学ぼうとする意欲そのものの問題であり、エンジンの問題です。
- 「課題を立てて情報収集・発表する学習がまだ4割に満たない」——QNKSが定着していない、車輪(右側)の問題です。
- 「うまくいくかわからないことに意欲的に取り組む割合が少ない」——意欲としてはエンジンの問題でもあり、チャレンジして試すというけテぶれ的思考の問題でもあります。
- 「失敗したときに他者の目が気になる割合が高い(日本76.7%、OECD平均56%)」——安心してテスト・分析できる環境の問題として、けテぶれ的な思考習慣と重なります。
- 「社会に対する若者の意識が諸外国より低い」「従業員エンゲージメントが世界最低水準(日本6%)」——これらは方向性の問題、つまりハンドル(心マトリクス)の問題です。
課題データを「ハンドルなのか、エンジンなのか、車輪なのか」という観点で仕分けると、同じ「学びに向かう力が弱い」というまとめ方では見えなかった構造が浮かび上がります。 この仕分けができると、対応策の方向も変わります。エンジンの問題は主体性・学習力の育成として捉え、車輪の問題はけテぶれ・QNKSの指導として具体化し、ハンドルの問題は心マトリクスを使った方向性の教育として扱うことができます。
課題を一括りにしたまま「魅力的な導入で好奇心を刺激しよう」という方向に進むと、問題の中核には届きません。好奇心は教師がコントロールして育てるものというより、子どもがもともと持っているものです。その好奇心を起点として自ら考え・行動できるような方法論(車輪)と方向性(ハンドル)を整えることが、学校教育の本質的な役割です。
「見方・考え方」をめぐる混乱と整理
論点の第二柱である「見方・考え方」についても、構造的な整理が求められています。
「見方・考え方が大事だ」と語られる場面は多いのですが、中核的な概念との関係、資質能力の育成との関係が整理されないまま語られることがほとんどです。見方・考え方は、少なくとも「中核的な概念」「資質能力の育成」「深い学び」という三つのキーワードとの関係の中で初めて意味をなします。
現在の資料では、「見方・考え方」には二つの側面があるとされています。一つは「深い学びを実現するための手段」としての側面——見方・考え方を働かせることで深い学びが実現される、という読み方です。もう一つは「資質能力が育った結果として更新されるもの」としての側面——資質能力が高まると見方・考え方がさらに豊かになる、という読み方です。
この二側面が混在することで、「見方・考え方を授業の最初に提示すべきか否か」という議論が起きています。「提示してはいけない」と言う立場は後者の側面——結果として更新されるもの——を見ており、先に示すと形式的な模倣になると懸念しています。「提示すべきだ」と言う立場は前者の側面——手段として機能させる——を重視しています。どちらの発言も、見ている側面が異なるだけであり、どちらか一方が完全に誤っているわけではありません。問題は、この二側面の区別を共有しないまま議論が進んでいることです。
「見方・考え方」を単独で押し出すことの限界はここにあります。それ自体を教えようとするのでもなく、結果論として放置するのでもなく、中核的な概念の獲得というゴールに向かう学びの過程の中に位置づけることが、今後の整理の方向として示されています。
中核的な概念と「語れるか」という問い
今後の「見方・考え方」の整理では、「中核的な概念」が鍵語として位置づけられます。主体的・対話的な深い学びの過程を実現し、その中で目指すのが中核的な概念の獲得——この流れで整理されると、見方・考え方は「教えるもの」としてではなく、「獲得の結果として豊かになるもの」として一貫して位置づけられます。
そして、中核的な概念が獲得できているかどうかを確認する手がかりとして、「学んだことを自分の言葉で語れるか」という問いが提案されています。自分がやってきたこと、できるようになったこと、わかってきたことを言語化できるかどうか——この「語り」の問いが、概念的知識の定着を測る基準になるという考え方です。
さらに、語れるようになった力は教科の枠を超えて社会に活用されていくことで、資質能力として機能していきます。そこで初めて「見方・考え方が更新された」という状態が生まれます。この流れを押さえると、カリキュラムオーバーロード(教科書の内容が多すぎる問題)への応答としても、中核的な概念に照らして「何を深く学ぶか」を絞ることの意義が見えてきます。
「語り」の視点は、けテぶれにおける「説明できる」ステップや、QNKSにおける「まとめる・説明する」のプロセスと深く結びついています。見方・考え方の深まりと、けテぶれ・QNKSによる学びの往還とは、互いに補い合う関係にあります。
おわりに:構造を分けることで見えてくるもの
「学びに向かう力」を方向性(ハンドル)・駆動力(エンジン)・具体的な学び方(車輪)の三層に分け、それぞれを心マトリクス・主体性と学習力・けテぶれとQNKSに対応させることで、学習指導要領の構造化をめぐる議論の見え方がぐっと変わります。
国の資料は丁寧に課題を並べていますが、それらが「何の問題なのか」という観点が整理されないままです。同じ「学びに向かう力が弱い」という見出しの下に、実質的には異なる対応が必要な問題が混在しています。その混在を「ハンドルなのか、エンジンなのか、車輪なのか」という問いで整理するだけで、現場で何から手をつければよいかが見えやすくなります。
「見方・考え方」についても、中核的な概念の獲得という目標を軸に、資質能力の育成・深い学び・語りによる言語化という流れで整理されることで、現場の授業づくりとより強く結びつきます。「学び方とか生き方がちゃんと整理されていないと、また同じ問題が繰り返される」——この見立ては、今回の改訂議論においても変わらず有効です。
学習指導要領の言葉は、補助線を引くことで見え方が変わります。葛原メソッドで引いたその補助線が、現場の実践と政策議論の両側から「何が問題で、何から始めればよいか」を整理する手がかりになることを願っています。