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主体的な学びをデザインする:動機づけ・興味・関与の循環

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学習科学が示す「動機づけ」「興味」「積極的関与」の3つの概念を手がかりに、主体的な学びをいかに設計するかを整理します。動機づけの本質は、目標に向かって自己調整しながら関与し、その関わりそのものに有用性を感じることにあります。その有用性を個別の教科内容に求めるのは限界があります。けテぶれ・QNKSを回すというプロセスそのものに価値を置くことで、あらゆる教科・あらゆる生活場面で動機づけを支えることができます。また、内発的動機づけと外発的動機づけを切り離さず両輪として扱い、興味の4段階を見取りながら積極的関与へとつなげることで、主体的な学びは深い学び・対話的な学びを自然に生み出す中心として機能します。

動機づけとは何か

「動機づけ」という言葉は、学校現場でも日常的に使われます。内発的動機づけ、外発的動機づけ——耳にしたことのない教育者はほとんどいないでしょう。しかし、その定義をあらためて確認すると、実践への示唆がより明確になってきます。

学習科学の研究によれば、動機づけとは「何らかの目標を達成するために自分をコントロール・自己調整しながら課題に積極的に関わり、かつその関わりに有用性を持つこと」と整理されています。この定義には、学習指導要領が求める「主体的に学びに向かう態度」の評価軸——粘り強さと自己調整——が自然な形で重なっています。

注目したいのは「有用性」という言葉です。学びに対して価値を持っているかどうかが、動機づけの核心にあるのです。

「内容の価値」より「プロセスの価値」へ

では、その有用性をどこに見出すのか。ここが、実践的に非常に重要なポイントです。

算数の筆算ができるようになること、漢字が書けるようになること、リコーダーが上手に演奏できること——これらの教科内容そのものに有用性の根拠を求めると、指導者はたちまち大変な状況に追い込まれます。「なぜ勉強するの?」という問いに、一つひとつ意味を用意し続けなければならなくなるからです。

さらに言えば、知識が多様化した現代においては、コンテンツ自体の有用性を感じにくくなっている面もあります。「筆算なんてできなくても大丈夫」という反論は、今や子どもでも簡単にできてしまいます。

そうではなく、目標に向かって自分の力で取り組むプロセスそのものに価値があるという見方に転換することが大切です。50メートル泳ぐことも、漢字の合格点を取ることも、書道で作品を仕上げることも——目標の中身は何でもいい。そのプロセスに関与し、自己調整し、前に進もうとすること、その経験の積み重ねが人生全体を支える力になっていくのです。

たとえて言えば、ご飯をひたすら噛み続けた先に甘みが広がり、さらにその先にもう一度深い甘みが来るように、学びの面白さも「噛む履歴」の積み重ねの先に現れてきます。入口で「面白くない」と感じるのは当然のことで、それはまだ十分に噛んでいない状態に過ぎません。入口付近で学びの全貌が分かった気になるのは早計です。リコーダーの価値はリコーダーを吹きまくった人にしか語れない。教科内容の価値は、その世界でフルスイングした人にしか見えてこないものです。

けテぶれ・QNKSが価値をもつ理由

学びのコントローラー
学びのコントローラー

こうした考え方の先に、けテぶれ・QNKSの意味があります。

けテぶれ(計画・テスト・分析・練習)とQNKS(問→抜→組→出)を回すこの力は、特定の教科内容にひもついたスキルではありません。どの教科でも、学校生活でも、そして卒業後のあらゆる場面でも転用できる「学び方」の力です。

「この単元を学ぶ意味は何ですか?」という問いに、一つひとつの教科内容で答え続ける必要はありません。「この場面でけテぶれ・QNKSを回す力をつけることが、あなたの一生を支えます」という一つの答えで、すべての授業・すべての生活において有用性を保証できるのです。

これが、けテぶれ・QNKSを「学び方を学ぶ」道具として位置づける核心です。目的の層に「学び方を学ぶ」という抽象的な価値を置くことで、目標や手段はどの教科でも成立するようになります。最初は「役に立つから」という外発的な動機から入ったとしても、その先に待っているのは「自分でやることの楽しさ」です。学び方の習熟が進むにつれて教科の学習の質も上がり、点数が上がり、「なんか面白い」に変わっていく——そのサイクルが力強く回り始めると、動機づけは自ずと深まっていきます。

内発と外発は切り離せない

動機づけを語るとき、「内発的動機づけの方が優れている」という見方がこれまで強調されてきました。しかし、この二つを切り離して考えることには限界があります。

「賢くなりたい」は内発でしょうか、外発でしょうか。「テストでいい点を取りたい」は? 実際には、ほとんどの動機づけは内発・外発の両方を含んでいます。切り取り方の問題に過ぎないケースも多く、「裏表の関係」として一体のものと捉える方が実態に近いと言えます。

自己決定論の研究が示すように、外発的動機づけは段階を経て変化していきます。「言われたからやる(外的調整)」→「テストのためにやる(取り入れ的調整)」→「将来の夢と結びつけてやる(同一視的調整)」→「この行為が自分の人生と統合されている(統合的調整)」——そして内発的動機づけへ。適切な外発的動機づけは、やがて内発的なものへと発展していくのです。

一方で、純粋な内発的動機づけ——「楽しいからやる」——は強力ですが、飽きや気分に左右されやすいという側面もあります。楽しくなくなった瞬間に動けなくなる。長期的な学習努力や習慣化には、外発的動機づけの支えも欠かせません。

外発的動機づけと内発的動機づけは切り離すのではなく、両輪として扱う。エネルギーが高まっているときは内発で走り、落ちてきたときは外発で自分を再起させる。そのような使い分けが、持続的な学習を支えるのです。

(やってみる⇆考える(学ぶ))
(やってみる⇆考える(学ぶ))

この両輪の考え方は、けテぶれにも当てはまります。計画・テスト・分析・練習が溶け合って一体となって動いている状態が目指すべき姿であるように、内発・外発もそのように捉えていきたいものです。分けた後には、つないでいく——この往還の視点が重要です。

自己効力感と「現在地からの一歩」

「やる気がない」「どうせ頑張ってもできない」と感じている子どもを前にしたとき、単に「意欲が低い子」と判断するのは早計です。その背景には、「頑張れば自分はできる」という自己効力感の低さ、あるいは成功した自分の像が描けないことが隠れているかもしれません。

点数という目標を掲げられたとき、「どうせやってもできない」と思う子は、動機づけが湧かないのは当然です。問題は意欲の質ではなく、その目標に向かって成功できる自分のイメージが持てないことにあります。「やる気がなくてダメな子」ではなく、「成功のイメージが描けていない子」として見るとき、手立ては変わってきます。

こうした子どもたちに必要なのは、現在地からの「一歩」に意味を与えることです。合格点を明確に示すことと同時に、「10点が20点になった、そのプロセスにこそ大きな意味がある」と全員に伝えていく。それぞれの現在地から一歩前に出すという目標設定は、それ自体が「一生使えるフレームワーク」として価値を持ちます。

全員に同じ到達点だけを迫るのではなく、それぞれの出発点から前に進む経験を積み重ねること——そのフィードバックの積み重ねが、自己効力感を少しずつ育てていきます。

興味は育てられる:4段階モデル

動機づけと並んで重要な概念が「興味」です。興味とは、一定の時間を通して特定の事柄に積極的に関与している状態のことです。この興味には、4段階の発達モデルがあります。

第1段階:状況的興味の喚起 きっかけが与えられることで、ふと興味が湧く状態です。「けテぶれって何?」と聞く、その最初の問いがここにあたります。

第2段階:状況的に維持された興味 授業空間の中でクラス全体がけテぶれに取り組み、その場にいることで自然と関わり続けている状態です。先生も言っている、周りもやっているから、ひたすらそのことに向かっている——そういう状態が「状況的に維持された興味」です。

第3段階:個人的興味の発現 「自分なりのけテぶれって何だろう」「もっとよいやり方はないか」と、自分の内側から問いが生まれてくる状態です。外から与えられたきっかけが、自分ごとの探究へと変わっていきます。

第4段階:よく発達した個人的興味 新たな問いを自ら立て、他者のやり方を参考にしながら探究を深め、大分析で自分の学び方を振り返り続ける状態です。けテぶれ交流会で他の子のやり方を知り、取り入れ、またやってみる——そのような連続する探究がここに位置づけられます。

この4段階を意識することは、子どもたちが「今どの状態にあるのか」を見取る視点にもなります。また、子どもたちの興味を引く要因として、新規性・挑戦性・意外性・複雑性・不確実性といった要素が挙げられています。たとえば「みんなでプリントを作って授業の教材にする」という活動には、これらの要素が自然に重なっています。自分が作ったものが採用されるかどうかという不確実性、クラス全員分の学習教材になるという意外性、どう作ればよいかという複雑性——それらが興味を喚起し、維持していきます。自分の実践をこの視点で眺めてみると、子どもたちの興味がどの段階にあり、何を働きかけることで次の段階へ育てられるかが見えてきます。

動機づけ・興味・積極的関与は循環する

学習を深めていくためには、動機づけ・興味・積極的関与の3つが必要だとされています。しかしこの3つは、並列に並んでいるのではなく、循環的に育ち合うものとして捉えることが大切です。

まず興味が芽生えることで、動機づけが高まります。動機づけに支えられた行動が積極的な関与を生み、積極的に関与することでさらに興味が深まる——このサイクルが回り始めると、学びは自走しはじめます。

積極的関与を「外部に行動として表出される状態」と捉えると、外側の世界にアプローチすること自体が、また新たな興味を刺激します。ここに「積極的思考」という中間の働きを加えると、サイクルの構造がより見えやすくなります。興味を持つ → 積極的思考が育まれる → 動機づけが高まる → 積極的関与が生まれる → 関与がさらに興味を刺激する——この循環が学びの質を高めていくのです。

けテぶれ・QNKSの枠組みは、まさにこのサイクルを支える構造として機能しています。QNKSが興味・積極的思考を育て、けテぶれが動機づけから積極的関与へとつなぐ——そのどちらが欠けても、循環は力強く回りません。ほとんどの学習科学の概念が「けテぶれ・QNKSの枠組みに入ってくる」と感じるのは、この循環がまさにその構造で設計されているからです。

主体的な学びが中心にある

主体的対話的で深い学び
主体的対話的で深い学び

「主体的・対話的で深い学び」という言葉は、3つに分節されているために、それぞれを別個に解決しようとする発想につながりがちです。主体的かどうか、対話的かどうか、深いかどうか——チェックリストとして一つひとつ確認するような形です。しかし、この3つは本来一体であり、中心には主体的な学びがあります

主体的な学びが育っていくと、深い学びは必然的に生まれます。自分の内側から接続された興味・関心・動機づけによって構築される学びこそが「深い学び」だからです。また、主体的に学ぼうとする子どもは、他者の考えや視点を求める形で「対話的な学び」へと自然に開かれていきます。

逆に言えば、教師から与えられるだけの動機づけしかなく、興味も湧かず、消極的にしか関与できない学習空間では、深い学びは生まれません。教科内容についての表面的な知識を蓄えることが「深い」のではなく、自分ごとの問いと関与によって構築される学びこそが「深い」のです。

内発・外発の両輪がそうであったように、主体的・対話的・深い学びも、分けた後にはつないでいく。心マトリクスで「両極の一致」と表されるように、分節化して見えるものは突き詰めると一つのことを指しています。けテぶれも、計画・テスト・分析・練習が溶け合った状態が目指すべき姿です。どれも同じことを、異なる角度から指し示しているのです。

おわりに

動機づけ・興味・積極的関与のサイクルを意識して授業をデザインすることは、「やる気を引き出す」という対症療法ではありません。子どもたちが自分で学びを動かす力を、長い時間をかけて育てていくことです。

そのために、教科内容の有用性を一つひとつ説明しようとするのではなく、「この関わり方・この問い方・この試し方が、あなたの一生を支える」という抽象的な価値を、具体的な実践を通して体験させていく。入口付近で「意味がない」「面白くない」と感じるのは当たり前のことです。ご飯を噛み続けた先に甘みが来るように、噛み続ける経験を積み重ねながら、子どもたちは少しずつ学びの面白さを自分のものにしていきます。

その経験を支えるのが、けテぶれ・QNKSという「学び方を学ぶ」ための道具です。現在地からの一歩に意味を与え、内発と外発を両輪として使い、興味の育ちを見取りながら積極的関与へとつなげていく——その積み重ねの先に、主体的で深い学びが立ち上がってきます。

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