コンテンツへスキップ
サポーターになる

学習科学から見るけテぶれ・QNKSの本質

Share

学習科学の中心概念であるスキーマ・スクリプト・メンタルモデルという三つの視点から、けテぶれとQNKSが学びの中で果たす役割を読み解きます。知識はコピーではなくネットワークとして蓄積されるものであり、そのネットワークを可視化するのがQNKSであり、学び方の手続きを意識化・更新するのがけテぶれです。さらに、スキーマは変わりにくいという構造的特性が、教育における多くの困難を説明することを示し、学び手の多様なメンタルモデルを共通の土俵に載せるフレームとしてのけテぶれ・QNKSの本質的な役割を論じます。

なぜいま「学習科学」なのか ——「学ぶとは何か」が問われている

葛原学習研究所が提唱してきたけテぶれ・QNKS・心マトリクスという教育実践は、これからの連続講義を通して、学習科学という学問的知見のレンズで読み直されていきます。この放送はその第一回です。

ここで土台として押さえておきたいのが、「教材研究」と「学習研究」の区別です。教材研究とは、国語・算数・理科・社会といった各教科の内容を、教師として高い水準で押さえておくことです。一方、学習研究とは「学ぶとはそもそも何をすることなのか」を問い直す営みを指します。

子どもたちを自律した学習者に育てるためには、学習研究の視点が欠かせません。 学び方への理解がないまま自由進度学習の場を設けても、それは成り立ちません。どれだけ教材の内容に精通していても、学ぶという行為そのものへの洞察がなければ、学習の場を本質的にデザインすることはできないのです。

学習科学は、まさにこの「学び方の研究」に学問的な根拠を与えてくれる領域です。19世紀の産業革命後に設計された公教育の多くの形態が今日まで引き継がれているなか、学習に関する科学的知見を教育実践と結びつけることが急がれています。現場に立つ先生たちが自ら動かない限り教育は変わらない——公教育のボトムアップ改革という視点からも、この学問的基盤を持つことの意義は大きいと言えます。今回の連続講義は、これまで蓄積してきた葛原実践の言葉と、学習科学の言語を接続していく試みです。

知識はコピーではなく、ネットワークである

まず根本から確認しておきます。人は、世界をコピー機のように写し取るかたちで学んでいるわけではありません。

乳幼児のころから、繰り返し経験するものの中からルールを見出し、類似のものにそのルールを適用し、うまくいかなければ別のアプローチを試みながら、世界を解釈し相互作用することで学んでいきます。これが経験の蓄積による学びの本質です。

「リンゴ」という概念を例に考えてみましょう。私たちは、リンゴが赤いこと、丸いこと、木になること、甘い匂いがすること、腐ると茶色くなること……といった多様な情報を関連づけながら、「リンゴ」という認識を形成しています。だから、赤いボールを見てもリンゴとは言いません。一口サイズの小さなリンゴを見ても、手触りや味からリンゴと判断できます。これは「リンゴである」という確定的な断言ではなく、あくまで推定の精度を高め続けているのだ、という認識論的な見方は、学びの本質を突いています。

このように、人間は知識をバラバラに貯蔵するのではなく、関連づけられたネットワークとして保存しています。 これをスキーマと言います。スキーマがあるからこそ、思い出すことができ(周辺の関連知識からたどり着ける)、新しい情報を既有知識の構造の中に取り入れることができ、未知の問題にも類推で対処できるのです。

スキーマと合わせて重要なのがスクリプトです。スキーマが「リンゴとは何か」という宣言的知識のネットワークだとすれば、スクリプトは「こういうときはこうする」という手続き的知識のネットワークです。ドアノブを握ったら引くのか押すのか——そういった行動のパターンがスクリプトとして蓄積されており、未知のドアに出会っても、過去のスクリプトを組み替えながら対処することができます。

スキーマの変えにくさと、教育への示唆

スキーマとスクリプトの強みは、思い出しやすさ・取り入れやすさ・状況への応用力にあります。しかし同時に、この構造は変えにくさという特性も持っています。

たとえば「失敗は怖いものだ」という認識を持つ子どもがいるとします。その認識は、無数の経験に裏づけられた構造として成り立っています。だから表面の言葉だけを訂正しようとしても、その子の中にあるスキーマ全体には届きません。氷山の一角だけを修正しようとしても、水面下のネットワークが変わらないかぎり、感情や行動は変わらないのです。

「なぜ一度説明したのに覚えていないのか」「なぜ言っても動かないのか」という問いへの答えも、ここに見えてきます。人はネットワーク状の知識構造を持って学びに臨んでいるのであり、その構造ごと少しずつアプローチしていくことが、長期的な変容につながります。「言ってもやらない」という現象は、人を機械のように見すぎているときに起こる誤解です。表面の現れに対して書き換えを求めても、その裏にあるネットワーク全体が変わらなければ、行動も変わりません。

この構造的変化のしにくさは、小学1年生の入学直後の状況にも表れています。幼稚園という環境でのスキーマとスクリプトを大量に蓄えた子どもたちが、まったく異なる文化圏に移ることで、一から構築し直さなければならなくなります。幼稚園の年長さんが頼もしく自律的に動けるのは、その環境におけるスキーマとスクリプトが充実しているからです。環境が変わると動けなくなるのは能力の問題ではなく、スキーマとスクリプトの再構成という構造的な課題なのです。

学びのコントローラー
学びのコントローラー

学びのコントローラーとしてのけテぶれとQNKSは、この構造のど真ん中に位置しています。どちらも単なるノートの書き方や手順の紹介ではなく、学習者がスキーマとスクリプトを自覚的に形成・更新していくための実践的な足場です。

自己調整的知識への批判的読み ——内外往還で整理する

学習科学の文脈では、知識は「宣言的知識・手続き的知識・自己調整的知識」の三種類として分類されることがあります。ここで立ち止まって、批判的に読んでみましょう。

宣言的知識(Whatに関するもの)と手続き的知識(Howに関するもの)はよく分かります。ところが、自己調整的知識については疑問が生じます。これは本当にレイヤーが同じでしょうか。

自己調整的知識とは、「記憶や思考、学習をどのように調整するか」に関するものとして紹介されます。しかし、その中には宣言的知識(自分はどういう人間か、何が好きで何が苦手か)と手続き的知識(集中力を上げるにはどうするか、ダラダラの状態から抜け出すにはどうすればよいか)が、それぞれ存在するのではないでしょうか。つまり自己調整的知識は、宣言的・手続き的と同列の第三カテゴリというよりも、内側に向けられた宣言的・手続き的知識として整理し直した方がより明快です。

これを「内外往還」という軸で見ると分かりやすくなります。外側に向けた宣言的知識・手続き的知識(リンゴとは何か、ドアはどう開けるか)に対して、内側に向けた宣言的知識・手続き的知識(自分はどんな人間か、自分はどう学ぶか)がある、という二軸の構造として捉え直せるのです。

自分に向けた宣言的知識のスキーマが、「自己像」です。 Aさんといるときの自分、Bさんといるときの自分——それらがネットワークとして統合され、「自分とはこういう人間だ」という自己像が形成されます。この自己像もまたスキーマである以上、変えにくい。「あなたは素晴らしい」という言葉が弾き返されてしまうのは、その構造全体が変わっていないからです。

QNKSはスキーマの可視化装置である

学習はスキーマを形成し更新していく行為だということが分かりました。そうであれば、QNKSはまさにその中核に位置しています。

知識はネットワークとして蓄積される。ならば、そのネットワークを外に出して図として表現することが、スキーマの形成を直接助けます。 頭の中でネットワークとして構造化されているなら、ノートもネットワーク状に書いた方が、頭と紙が近くなる——この発想こそがQNKSの核心です。

QNKSでは、ウェビングの手法を用いながら単元の背骨を立て、知識の関係性を線でつないで図として表現していきます。単元の最初にざっくりとした構造図を作り、学習が進むにつれてその幹に具体的な情報を位置づけていく。最後には、それを精緻に書き上げ、文章化・原稿化していく。この一連の流れそのものが、「単元のスキーマ形成→充実→言語化」というプロセスに対応しています。

また、QNKSで問いや自分の発想・生活経験を書き添える実践(いわゆるモクモクマーク)は、自分の中にすでに保存されているスキーマを学習内容のネットワークに接続していく行為です。今学んでいる単元が「2年生でやったあの学習の延長だ」と気づく——単元をまたいだ知識の接続も、QNKSを書くことで自然に促されていきます。

自由進度学習で学びが浅くなるという批判がありますが、QNKSを通して単元構造を自分でスキーマ化していく子どもたちの姿を目の当たりにすれば、その批判が成り立たないことが分かります。一問一答でバラバラに知識を覚えることと、ネットワークとして単元を構造化することとでは、学習の深さがまったく異なるからです。

けテぶれ×QNKSの関係
けテぶれ×QNKSの関係

QNKSとけテぶれは、車の両輪としてスキーマとスクリプトをそれぞれ担っています。QNKSが学習内容面でのスキーマ形成を支えるとすれば、けテぶれはいかに学ぶかという学び方の手続き、つまりスクリプトの意識化と更新を支えます。

けテぶれはスクリプトを意識化・更新する

スクリプトとは「こういうときはこうする」という手続き的な知識のネットワークでした。では、「学ぶとき、自分はどのように学ぶのか」という学び方の手続きを意識化し、更新していく実践が、まさにけテぶれです。

計画の段階で「今日どのように学ぶか」を書き出し、テストによって現在地を確認し、分析によって今日の学びを振り返り、練習へとつなげていく。この一連の流れは、学び方のスクリプトを外に出して見えるかたちにし、自分自身で見つめ直す行為そのものです。

ある学年での実践として、「こうやったら明日はこうする」という学び方の計画を子どもたちが書き続けていたという報告があります。これはまさにスクリプトの意識化です。スクリプトを外に出すことで初めて、それを対象として見つめ、チューニングし、より良い学び方へと更新することができます。

漢字の勉強といえば大量に書くことしか思いつかない子どもは、その手続き的知識が一つしかないからです。けテぶれは、多様な学び方のスクリプトを子どもたちが意識的に探索・構築できるよう支える仕組みです。学習の深まりとは知識の量だけの問題ではなく、いかに学ぶかという手続き的理解の高まりも含まれています。

メンタルモデルを共通の土俵に ——けテぶれ・QNKSの実践的役割

スキーマとスクリプトという知識の構造を持ちながら、私たちは実際の学習場面でどう行動するのでしょうか。ここで登場するのがメンタルモデルです。

メンタルモデルとは、蓄積されたスキーマとスクリプトを背景に、「今日の45分、どう学ぶか」を状況に合わせて組み上げる営みです。体調・理解状況・教室の状況を加味しながら「今日はこうしよう」と判断し、学びを組み立てる。その結果を見て「ここがよかった、次はこうしよう」とメンタルモデルを更新していく——これがモデルベース学習と呼ばれます。

ここで重要な問題があります。「学ぶってどういうこと?」と問いかけると、子どもたちの表現は人によって構成要素も詳細さも大きく異なります。個々人の発想のまま並べても比較できませんし、そこに対して支援することも難しい。そこで必要になるのが、子どもたちの多様なメンタルモデルを、同じ土俵で比較可能なかたちに変換することです。

けテぶれとQNKSは、まさにそのための実践的フレームとして機能します。「計画・テスト・分析・練習」というけテぶれの枠組みで学び方を記述し、QNKSの枠組みで知識の関係性を描く。これによって、個々の学び方を共通の言語に乗せ、教師が「学ぶということに関する指導」を届けられるようになります。

知識・意識・無意識の構造
知識・意識・無意識の構造

知識・意識・無意識という三層の構造から見ても、QNKSは学習内容の概念操作を意識のレベルに引き上げ(知識の形式化)、けテぶれは学び方の手続きを意識化してスクリプトの更新を促します。この二つが組み合わさることで、学習者は自分の学びを自覚的に深めることができるのです。

教師自身のメンタルモデルもまた問われている

ここまで学習者のスキーマ・スクリプト・メンタルモデルについて見てきましたが、見落としてならないことがあります。

教師自身も、学校・授業・学習についてのメンタルモデルを持って教室に立っています。 そのメンタルモデルがどのようなものであるかが、学びの場のデザインに直接影響します。

子どもたちが「こういう場所ではこうするものだ」というスキーマとスクリプトを持って学習の場に臨むように、教師もまた「授業とはこういうものだ」「学びとはこういうものだ」という学習観・授業観の構造を持って教室に立っています。そしてスキーマが変わりにくいという特性は、教師も同様に持っています。長年の経験の中で構築されてきた「こうやって教えるものだ」という教師のスクリプトもまた、容易には変わりません。

だからこそ、教師が「学ぶとはどういうことか」を問い続ける学習研究が不可欠です。子どもたちのメンタルモデルを見取り、支援するためには、まず教師自身が「学ぶということはどういう構造を持つものか」について豊かな洞察を持っていなければなりません。教材研究と学習研究の両輪を持つ教師だけが、けテぶれやQNKSを通して子どもたちそれぞれの学び方に応じた語りかけを届けることができます。

一斉指導では、子どもたち一人一人のメンタルモデルを問う必要がありませんでした。しかし、子どもたちが主体的に学ぶ場をつくろうとすれば、それぞれのスキーマ・スクリプトがどのような状態にあるかを洞察せざるを得なくなります。子どもの習い事・家庭環境・これまでの学習経験がその子の学習メンタルモデルを形成していることも、感覚的には多くの教師が知っていたはずのことです。学習科学の言語を持つことで、その感覚に根拠と構造が与えられます。

まとめ ——学習科学がけテぶれ・QNKSに与える根拠

今回の講義を通して見えてきたのは、けテぶれとQNKSが単なる経験則の産物ではなく、学習科学の知見とぴたりと符合する設計を持っているという事実です。

  • 知識はネットワーク(スキーマ)として蓄積される → QNKSは、そのネットワークを可視化し、単元のスキーマ形成を直接支える
  • 学び方も手続き(スクリプト)として蓄積され、変えにくい → けテぶれは、そのスクリプトを意識化し、更新するための実践装置である
  • 人は状況に応じてスキーマとスクリプトを組み合わせてメンタルモデルを作る → けテぶれとQNKSは、その多様なメンタルモデルを共通の土俵に載せることで、教師が学ぶことへの指導を可能にする

さらに言えば、自己調整的知識を内外往還で読み直したように、学習科学の知見を批判的に検討しながら葛原実践の文脈で再整理することができる。これが「学習研究」という営みの一つの姿です。

経験則でも感覚でもなく、学習科学の言語でこれらを語れることは、実践者にとっての確信の根拠になります。次回は「概念と概念変化」という視点から、学習のさらなる深みへと入っていきます。

この記事が参考になったらシェア

Share