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けテぶれフェスタ神戸に見えた、公教育が変わる兆し

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けテぶれフェスタin神戸では、初参加者と実践者が同じ場で学び合う会が開かれた。注目すべきは、参加者の顔ぶれの変化だ。語れる実践者が年々増え、発表の規模は学年・全校・義務教育学校単位へと拡大している。さらに、プロジェクトアドベンチャーという別領域から入ってきた実践者が、けテぶれや心マトリクスと接続し始めている。これは単なるイベントの盛況報告ではない。多様な入り口を受け止める地盤が整いつつあることが、「学び方を公教育の基盤へ入れる」という目標が現実に近づいてきた兆しとして読める。

語れる実践者が、年々確実に増えている

けテぶれフェスタは「ゼロからけテぶれを知らない方から、実践者まで集まって会を開く」という立て付けのイベントだ。毎回変わらないこの設計が、今回の神戸では形を変えて機能し始めていた。

実践者が十分に増えたことで、会の冒頭から運営の仕方が変わった。参加者をハンドサインで「初参加」と「実践経験あり」に分け、その場でグルーピングを行う。午前中の入門解説に対する質疑応答を、グループ内の実践者が担うという形で進んだのだ。講師が全員に解説するのではなく、実践者が実践者を支える場になっている

学びのコントローラー
学びのコントローラー

けテぶれやQNKS、心マトリクスという学びのコントローラーを体系として共有していることの強みは、こういう場面に現れる。概念が共有されているから、参加者同士が語れる。「いろんな喋れる人、実践できている人がたくさんいて、そういう人たちが年々増えていっている」という実感が、この場の密度を生んでいる。しかも「濃い人たちが全く抜けない」という継続性もある。実践に充実感を感じている人たちが増えていくこと——これが教育を変えていくポテンシャルの一端として、はっきり見えてきた。

発表の規模が、学年・全校・学校単位へと広がっている

毎回のフェスタで嬉しいのは、新規の発表者が現れることだ。初めての発表には相当なプレッシャーがある。それでも乗り越えようとする姿勢が、実践と思考を前に進める。懇親会で抜け殻のようになるほどエネルギーを出しきった発表者も、今回いたという。

しかし今回特に注目すべきは、2回目・3回目を迎えた発表者が、同じ規模に収まっていないことだった。ある発表では、登壇者が一人ではなかった。学年の先生も同時登壇し、「学年でできたこと」として発表する形になっていたのだ。

これは単に発表の幅が広がったということではない。実践者の熱が同僚に伝わり、学年として共通の方法論で動けるようになったことを意味する。その状況が、公教育の具体的な課題に応え始めている。たとえば、学年の先生が急に休んだとき。方法論が共有されていれば、隣の先生がそのまま授業に入れる。「だって方法論一緒なんだもん、同じことやってるんだもん」という状況が、実際に生まれている。欠員時に大量のプリントを配って時間を埋めるような授業は、もはやあり得ない。子どもの学びが止まらない仕組みが、学年単位の実践から立ち現れてくる構造として見えてきた。

50人でもできる。教師同士が同じ場で学ぶ

学年で方法論が揃うと、次のような展開も生まれた。2クラス合計50人が同じ教室に入り、一緒にけテぶれとQNKSで学ぶという実践が試みられたのだ。50人での授業と聞くと混乱を想像しがちだが、実際には役割分担が明確になることで機能している。

全体指示は人数に関係なく一度行えばよい。それを一人が担い、もう一人は教室を巡回しながら一人ひとりへの声かけに集中する。この分担が、子どもへの関与の密度を高める。さらに、主と副の役割が時折交代することで、「同じ場面でもどこに着目し、どう声をかけるか」が先生同士に見えるようになる。主導する先生のアクションを隣で観察しながら、「あそこか」という気づきが生まれる。教える側と巡回する側が互いに学ぶ、相互の研修が自然と成立している。

協働的な学びの論理は、子ども同士の間だけでなく、教師の間にも同じように働く。共通の方法論があるからこそ、同じ場に立って、違いを学び合える。先生不足への対応や自習問題の解消だけでなく、教師同士がアップグレードしていく仕組みとしても機能する可能性が、この実践の中に見えてくる。

全校・義務教育学校単位への実践展開

学年での同時登壇の隣には、さらに大きな単位での実践報告があった。全校で算数・漢字のけテぶれを広げているという発表だ。1年生から6年生まで、全校の子どもたちが同じスペースで算数に取り組む「全校算数」と呼ばれる実践が、学校全体の仕組みとして動いている。

全国けテぶれライン
全国けテぶれライン

またある学校では、義務教育学校(小中一貫校)として全校への実践展開を目指し、同じ学校から7〜8名がフェスタに同時参加している。「義務教育学校としての正解を出しに行く」という姿勢で、全員が揃って参加し、発表し、学ぶ。全校実践の発表者が同僚にも声をかけ、「あなたもやっているんだからポスター発表に出なさい」という指名連鎖が生まれている。

「全校でこんなにやっています」という発表がポスター発表として普通に出てくる状況は、けテぶれが学級の中の個人実践から、学校経営の文脈に入り込んでいる証左だ。一人の実践者が孤軍奮闘しているのとは構造が異なる。隣の先生がそのまま授業できるだけの共通言語が、学年・全校の単位で共有されることで、学校ごとの課題解決の文脈と接続し始めている。

けテぶれ以外の入り口との接続

今回のフェスタで葛原氏が特に注目したのが、「実践の枠組みが溶けてきている」という変化だ。

プロジェクトアドベンチャー(体験学習を通じて集団や個人の成長を促す実践領域)を専門としてきた先生が、フェスタでポスター発表をした。けテぶれと出会ったのはごく最近のことだという。ところが、もともと積み上げてきた実践経験があることで、けテぶれや心マトリクスの導入が驚くほど早かった。子どもたちへの浸透も速く、心マトリクスを使って物語文を分析するという実践まで一気に展開した。

この先生が伝えたいのは、「けテぶれ以外にも、こういう入り口がある」ということだ。そのメッセージをけテぶれフェスの場で発表してくれる。異なる実践の畑から来た人が、同じ場で提案できるボーダーレスな構造が生まれている。

多様な入り口を受け入れるためには地盤が必要だ。分かりやすい言語化と体系化がなければ、多様な実践が集まってもバラバラになってしまう。けテぶれやQNKS・心マトリクスという体系が、その「地盤」として機能しているから、異なる実践領域とも接続できる。逆に言えば、この地盤があるから、プロジェクトアドベンチャーという別の入り口から来た実践者も、同じ方向を向いて語れるようになる。

学び方を、公教育の基盤へ入れる

ここまでの変化を俯瞰したとき、葛原氏が語るのは教育のOSを変えるという話だ。

国語や算数のような教科の枠組みは、どの手法を取り入れてもそのまま存在する。クラス会議をやろうと、プロジェクトアドベンチャーをやろうと、教科の授業はある。そこに「いかに学ぶか」という知識技能を入れていく——それが狙いだ。

「将来確実に子どもたちの人生に影響を与えるコンテンツは、いかに学ぶかというその周りの知識技能だ」という言葉が示すように、学び方の見方・考え方は教科内容と同じくらい、長く子どもたちに影響を与え続ける。150年前に作られた公教育の枠組みが、時代の変化の中で問い直される時期に来ている。「公教育で何を伝えなければいけないか、その伝達すべき教育内容の枠組み自体を再編していく時期に入っている」

けテぶれ的な学び方の指導がどんな手法であれ必要になっていく。そうなったとき、分かりやすい言語化と体系化が重要になる。多様な入り口を一つの地盤で受け止めるために、言語化と体系化が必要だということだ。実践者が増え、語れる人が増え、学校単位で動けるようになり、異なる実践領域とも接続し始める。この積み重ねが、学び方を学ぶことを公教育の当たり前にしていく道筋を、現実のものとして見せてくれている。

おわりに:翌日の放送へ

今回のフェスタにはまだ続きがある。葛原氏が「特大メインディッシュ」と呼ぶ出来事が、翌日の放送で語られる。来年度に向けて心マトリクスフェーズに入っていくような兆し——その詳細は次回に送られた。

フェスタそのものが変わってきた。人が増え、規模が広がり、多様な入り口が繋がってきた。その変化を一つひとつ実感しながら、公教育が変わる兆しとして読み取ること——それがこの放送全体のメッセージだ。

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