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『モチモチの木』を自由進度的に読む国語授業のつくり方

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『モチモチの木』の授業で大切なのは、教科書を否定することではありません。教科書通りが面白くないのではなく、教師が教科書を握りしめ、全員を同じペースで進めようとする構造が、子どもの学びを狭めてしまうのです。

教科書の手引きを子どもに渡し、問いと答えをセットで書かせ、分からない言葉に立ち止まらせる。そこにQNKSを重ね、教師は子どもの現在地を見ながらフィードバックを返していく。早い子にはNとKを具体的に求め、遅い子には最低限の合格ラインを調整する。そうすることで、学びの回転数が少しずつ上がっていきます。

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教科書が悪いのではなく、握りしめる構造が苦しくする

国語の授業で「教科書通りでは面白くない」と言われることがあります。だから教師がオリジナルの発問を作り、ワークシートを工夫し、子どもの興味を引く授業を組み立てようとする。

もちろん、それができる場面もあります。研究授業のように時間と労力をかけられるなら、教材に合わせて授業を練り上げることにも意味があります。

ただ、日々のすべての授業でそれを続けるのは簡単ではありません。ここで見落としてはいけないのは、面白くない原因は教科書そのものではなく、教師が教科書を握りしめて、教師のペースに子どもを合わせる構造にあるということです。

教科書を教師が持ち、問いを教師が出し、答え方を教師が決め、全員が同じタイミングで同じ問いに向かう。その構造では、子どもは教材を自分で読むよりも、教師の進行についていくことが中心になります。

だから必要なのは、教科書を手放すことです。教師が教科書を放棄するという意味ではありません。教科書を子どもの手元に返し、子どもが自分で読み、手引きの問いに向かい、自分で答えをつくっていく構造に変えるということです。

ここに、自由進度学習の入り口があります。

ただし、自由進度学習は「教科書を読ませて放置する」ことではありません。子どもに任せるためには、学び方の見方・考え方が必要です。けテぶれやQNKSのような基本的な学び方を渡し、それを使えば自分たちで進められるという見通しをつくる。そこでは、信じて、任せて、認めるという教師の構えも欠かせません。

まず単元目標と手引きを子どもに渡す

『モチモチの木』に入るとき、最初に見るのは教材文だけではありません。教科書を開き、教材全体をざっくり見渡したあと、手引きに目を向けます。

手引きには単元の目標が書かれています。この単元で何をできるようになるのか。どんな読み方をするのか。どんな問いに答えていくのか。そこを最初に確認します。

国語は基本的には手引きです。これは教科書QNKSの発想でもあります。教科書にある問いをQとして受け取り、その問いに正対して答えをつくっていく。

ただし、手引きはそのまま子どもに渡せば必ず分かるように書かれているわけではありません。問いの構造が複雑なこともあります。答え方がややこしいこともあります。だから最初に、教師が短く説明します。

「この問いはこういう構造になっています」 「ここではこういうことを答える必要があります」 「問いに対する答えとして書きましょう」

この程度の足場をかけたら、あとは子どもがそれぞれ読んでいきます。

具体的には、ノートに問いと答えをセットで書きます。Qとして教科書の問いを写し、その下に自分の答えを書く。そして先生に提出して合格をもらい、次の問いへ進む。これを手引きに沿って進めていきます。

QNKS読む
QNKS読む

ここで大事なのは、問いと答えを切り離さないことです。問いを書かずに答えだけを書くと、子どもは何に答えているのかを見失いやすくなります。問いに対する答えになっていない文章も増えます。

「この問いに対する答えを、今から自分はつくるのだ」

この構えをノート上に残すことが、読みの出発点になります。

最初の読みでは、言葉に立ち止まる姿を価値づける

教材文を読み始めたとき、最初に見たいのは、子どもが分からない言葉に立ち止まれるかどうかです。

『モチモチの木』には、子どもにとってなじみの薄い言葉が出てきます。たとえば「青じし」という言葉に出会ったとき、教科書の下に「かもしか」と書いてあるかもしれません。そこで「なるほど、かもしかか」で終わらせない。

では、かもしかとは何か。どんな姿なのか。タブレットで画像を調べてみる。辞書で意味を確かめる。友達に聞く。先生に聞く。

こうした行為が、物語文QNKSの土台になります。言葉が分からないまま読み飛ばすのではなく、分からなさに気づき、立ち止まり、調べる。これができなければ、物語の情景も人物の様子もぼんやりしたままになります。

教師は、子どもが読み進めている様子を見ながら、こうした姿をフィードバックします。

「今、分からない言葉で止まれたね」 「そこで調べようとしたのが大事だね」 「読み飛ばさずに確認しているのがいいね」

読むことの正しさは、読後の答えだけでなく、読んでいる途中の姿にも表れます。だから教師は、子どもたちがどのように読んでいるかを見ます。

早く出してくる子には、まず答えになっているかを見る

手引きに入ると、早く提出してくる子が出てきます。勉強が得意だったり、処理が速かったり、さっと書ける子たちです。

この子たちに対して最初に見るのは、答えが問いに正対しているかどうかです。問いに対する答えになっていなければ、まず返します。

「これは答えになっていないよ」 「何を聞かれている問いか、もう一度見てみよう」

たとえば、ナレーターが豆太をどう表現しているか、じさまから見た豆太はどうか、豆太をそのように見るじさまはどんな人物か、という問いがあるとします。ここでは答える対象が複数あります。問いの中に「と」が入っているなら、答えが一つでは足りないこともあります。

そういうつまずきは、教師が最初に全部予測できるわけではありません。子どもが提出してきたものを見るから分かります。

「ここで子どもたちは詰まるのか」 「この助詞を読み落としているのか」 「問いの対象が三つあることに気づいていないのか」

提出物は、子どもの現在地を診断する材料です。

何人かのつまずきに共通点が見えたら、そこで短く全体に返します。「ちょっと聞いて」と止めて、超コンパクトな単線型の授業を挟むのです。

これは、ずっと教師主導で進めるという意味ではありません。複線型の授業として子どもがそれぞれ進んでいる中に、必要なタイミングで短い語りを差し込むということです。

「問一は何を聞いていますか」 「答えはいくつ必要そうですか」 「この『と』に注目してみよう」

必要なことを短く返したら、また子どもは自分の学びに戻ります。自由進度学習では、単線型の授業と複線型の授業を対立させるのではなく、必要に応じて組み合わせます。

N不足・K不足として具体的に返す

物語の後半に入ると、「なぜ豆太はモチモチの木を見ることができたのか」といった、考察の深い問いが出てきます。

ここで早い子の答えは、しばしば浅くなります。数行でさらっと書いて、「できました」と持ってくる。しかし、教科書の指示では、じさまの説明や医者様の説明を踏まえ、自分の考えをつくることが求められている。

そのときに、教師が「もっとよく考えましょう」とだけ返しても、子どもは何をすればよいのか分かりません。必要なのは、QNKSの言葉で具体的に返すことです。

「Nが足りないよ」 「Nしたあと、Kしていないよ」 「本文に戻って、根拠になるところを抜き出そう」 「抜き出した材料を組み立てて、自分の答えとして整理しよう」

Nは抜き出すことです。本文から材料を集めることです。Kは組み立てることです。集めた材料を、自分の主張に向けて構造化することです。

「豆太は勇気が出たから見られた」と書くこと自体が悪いわけではありません。ただ、それを支える材料が本文から抜き出されていなければ、考えは弱くなります。じさまは何と言っていたのか。医者様はどう説明していたのか。豆太の行動はどのように変化しているのか。そこを抜き出し、組み立て、整理することで、答えが厚くなっていきます。

早い子は、軽いギアでどんどん進みたがります。だからこそ、教師はギアの上げ方を示す必要があります。Nを増やす。Kで構造化する。理由と根拠を示す。こうして、浅くて速い学びを、深さのある速さへ変えていきます。

遅い子には、最低限の合格ラインを下げる

一方で、進度が遅い子に同じ負荷をかけ続けると、学びの勢いが止まってしまいます。

自転車で考えると分かりやすいです。ある程度スピードが出ている子は、少し重いギアにしても倒れません。むしろ、重いギアを踏み込むことでさらに進めることがあります。

しかし、まだふらふらしている子にいきなり重いギアをかけると、止まってしまいます。止まると倒れます。学びも同じです。

だから、進度が遅い子には、最低限の明示を調整します。

たとえば「なぜ豆太はモチモチの木を見ることができたのか」という問いで、早い子にはじさま、医者様、自分の考えをつなげて理由と根拠を示すことを求めます。一方で、後半の子には「勇気」という言葉が入っていれば合格にすることもあります。

これは基準を雑にしているのではありません。現在地からの一歩を見ているのです。

書けていれば合格。大きくずれていなければ合格。多少要約が甘くても、まず進める。そうやって「合格、次へ」というサイクルをつくると、子どもの回転数が上がっていきます。

回転数が上がると、学習のペースが上がります。面白くなって、休み時間にも続きをやる子が出てきます。別の教科の時間が余ったときに、国語の続きを出してくる子も出てきます。

地に足のついた学びとは、全員に同じ高さを求めることではありません。その子の現在地から、実際に踏み出せる一歩を積み上げることです。

やってみると考える
やってみると考える

やってみるから考えることが生まれ、考えるからまたやってみることができる。この往復を止めないために、教師は最低限のラインを上げ下げします。早い子には負荷をかけ、勢いが弱い子にはまず回ることを優先する。ここに、自由進度的な国語授業の繊細さがあります。

早く終わる子を、もう一度教材へ戻す

早く進む子は、単元終了の数時間前に一通り終わってしまうことがあります。友達との交流も終わり、自分なりの結論も出て、「あと何をしようかな」という状態になる。

ここで「終わったから自由にしていい」だけにしてしまうと、教材から抜けてしまいます。早く終わる子には、もう一度教材へ戻る手立てを用意します。

たとえば、議論の立場をわざと変えてみる。自分とは反対の立場から考えてみる。まだ相手がいない子の対話相手になる。フィッシュボールのように、聞き手や話し手の役割を変えてもう一度話してみる。

一度出した考えも、立場を変えると違って見えます。相手役になることで、自分の読みが問い直されます。これは対話的な学びでもあり、物語文QNKSをもう一段深く回す手立てでもあります。

上限の解放とは、早い子を早く終わらせることではありません。指導者が敷いたレールでは到達しにくいところまで、子どもが自分の速度で進んでいくことです。そのためには、早く終わった子にも「まだこの物語に戻れる」という道を残しておく必要があります。

浅くて速い学びと、深くて遅い学びを両輪にする

自由進度的に国語を進めるとき、教師は「浅くて速い学び」と「深くて遅い学び」の両方を見ています。

浅くて速い学びには、勢いがあります。子どもはどんどん書き、どんどん出し、どんどん進みます。ただし、そのままでは表面的に終わってしまうこともあります。だからNとKを求め、根拠を増やし、組み立てを促します。

深くて遅い学びには、丁寧さがあります。しかし、最初から全員に深さを求めると、まだ勢いのない子は止まってしまいます。だから最低限の明示を下げ、まず合格のサイクルに乗せます。

この判断は、一斉の単線型の授業だけでは難しいところがあります。全員に同じタイミングで「今日は深い問いに向かいます」とすると、勢いのある子には軽すぎたり、勢いのない子には重すぎたりします。

複線型の授業では、子どもごとにギアを変えられます。早い子には「Nが足りない」「Kしていない」と返す。遅い子には「ここまで書けたら合格」と返す。必要なときだけ短く語り、またそれぞれの学びに戻す。

教師が見ているのは、単なる進度ではありません。学習に勢いがついているか。頭の回転数が上がっているか。その子がこの単元で到達し得る遠いところへ向かっているか。そこを見ています。

上限が外れた子どもに応えるには、教師の教材理解がいる

自由進度的な環境では、教師が想定していなかったところまで進む子が出てきます。

『モチモチの木』でいえば、霜月二十日という日付から太陰暦に関心を広げる子がいるかもしれません。旧暦の二十日なら、月の満ち欠けと関係があるのではないか。豆太の家から見るモチモチの木と月の出の時刻は重なるのではないか。そう考えて調べ始める子がいる。

あるいは、よりしろのような視点から、モチモチの木や灯の意味を読み解こうとする子がいるかもしれません。

こうした発想は、教師がすべて事前に用意できるものではありません。だからこそ、出てきたときに受け止められる教材理解が必要です。

子どもが開きかけた扉に対して、教師が「ああ、そうなんだ」「そんなこともあるかもね」と流してしまうと、子どもはその価値に気づけません。本当は面白い世界につながっているのに、「この程度なのか」と思ってしまうこともあります。

上限が外れた子どもと、教科の世界で組み合うためには、教師側にも知識技能が必要です。教材研究は、教師がすべてを説明するためだけにあるのではありません。子どもの予想外の読みを価値づけ、その先にある世界へつなぐためにも必要なのです。

自由進度の国語は、任せながら見続ける授業である

『モチモチの木』を自由進度的に読む授業は、教師が何もしない授業ではありません。

むしろ、教師はかなり見ています。子どもが言葉に立ち止まっているか。問いに正対しているか。Nが足りているか。Kで組み立てられているか。学びの勢いが止まっていないか。早く終わった子が教材から抜けていないか。上限が外れた読みを受け止められているか。

教科書を手放すとは、教師の責任を手放すことではありません。子どもに教科書と学び方を渡し、教師は現在地に応じたフィードバックで回転数を支えるということです。

教科書通りが悪いのではありません。手引きの問いは、子どもが自分で読み、自分で考え、自分で答えをつくる入口になります。

その入口を教師が握りしめるのか、子どもに渡すのか。

そこに、国語授業の面白さを取り戻す大きな分岐点があります。

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