コンテンツへスキップ
サポーターになる

総合的な学習の時間をけテぶれとQNKSで再構築する

Share

総合的な学習の時間は、学校の外に出て調べ、スライドにまとめ、発表すれば成立する時間ではありません。目標に書かれているのは、探究的な見方・考え方を働かせ、横断的・総合的に学び、よりよく課題を解決しながら、自己の生き方を考えていくことです。

そのためには、課題設定・情報収集・整理分析・まとめ表現という探究過程を、単なる思考の手順として暗記するだけでは足りません。QNKSで考え、けテぶれで実際に試し、その結果を再びQNKSで言語化する。この往還こそが、総合の探究を地に足のついた学びに変えていきます。

総合の対象は、地域や国際理解などの外部テーマだけではありません。子どもたちにとっての実社会は学級であり、実生活は日々の学習生活です。だからこそ、学び方探究、生活けテぶれ、学級の課題解決を総合の中心に置くことができます。

!けテぶれとQNKS

🎧 この記事を聴くPREMIUM

プレミアム音声なので再生できません。 Voicyプレミアムで聴く

総合の目標を、けテぶれとQNKSから読み直す

総合的な学習の時間の目標は、次のような構造をもっています。

探究的な見方・考え方を働かせること。横断的・総合的な学習を行うこと。よりよく課題を解決すること。そして、自己の生き方を考えていくこと。

ここで大切なのは、これらがばらばらの要素ではないということです。探究的に考えることと、課題を解決することと、自己の生き方を考えることは、一本の学習過程としてつながっています。

総合で育てたい資質・能力としては、知識・技能、思考・判断・表現、主体的に学習に取り組む態度が示されます。けれども、それを観点名として並べるだけでは、実践は動きません。子どもたちがどのような過程を通って学ぶのか。どこで考え、どこで試し、どこで振り返り、どこで次の行動へつなげるのか。そのプロセスを明確にする必要があります。

その視点で見ると、総合は生活けテぶれと非常に近い時間です。日々の生活や学習の中から問いを見つけ、自分たちの現在地を捉え、仮説を立て、実際にやってみて、結果を分析し、次の学び方や生き方へつなげていく。これは、けテぶれとQNKSを往還させる学びそのものです。

探究過程をQNKSだけで終わらせない

総合の探究過程として、よく「課題の設定」「情報の収集」「整理・分析」「まとめ・表現」が示されます。これは、QNKSと重ねて読むことができます。

問いを立てる。情報を抜き出す。組み立てる。表現する。ここまでは、たしかに考える過程です。子どもたちが情報を集め、整理し、自分なりにまとめていくためには、QNKSが大きな支えになります。

しかし、ここで止まってしまうと危険です。課題を設定し、タブレットで情報を集め、スライドに整理し、発表して終わる。これでは、実際に何を変えたのか、何を試したのか、どのように検証したのかが弱くなります。探究は、考えをまとめるだけではなく、実際にやってみて、結果から考え直すところまで含みます。

総合の記述を丁寧に読むと、整理・分析した後に、知識や技能と結びつけたり、考えを出し合ったりしながら、問題の解決に取り組むことが含まれています。ここが重要です。情報を整理したら、次は発表だけではありません。実行です。計画し、試し、分析し、改善する過程が必要です。

つまり、QNKSで考えたら、けテぶれで試す。そのけテぶれの結果を、またQNKSで取り出し、組み立て、表現する。そして、そこから次の問いや次の実行へ進む。この往還が、探究の基本構造になります。

「やってみる」と「考える」を往還させる

探究という言葉は、ともすると「考えること」に寄りすぎます。問いを立てる。調べる。話し合う。まとめる。もちろん、それらは大切です。しかし、現実の課題解決では、考えただけでは何も変わりません。

たとえば、学級の落とし物が多いという課題があったとします。なぜ落とし物が多いのかを調べる。どこで多く発生しているのかを記録する。どんな時間帯に多いのかを整理する。ここまではQNKSです。

そのうえで、置き場所を変える、声かけの仕方を変える、係活動として仕組みを作る、表示を工夫するなど、実際の手立てを試してみる必要があります。ここがけテぶれです。試した結果、落とし物は減ったのか。別の問題が生まれたのか。うまくいった理由は何か。うまくいかなかった原因は何か。これを再びQNKSで整理していきます。

このように、探究は「考える」と「やってみる」の往還です。考えるから実行が生まれ、実行するから新しい情報が生まれ、その情報を考えるから次の改善が生まれます。

QNKSは考える過程を支え、けテぶれは試して改善する過程を支えます。どちらか一方ではなく、両者を交互に回すことが探究の中核です。

総合の対象は、学校の外だけではない

総合というと、地域に出る、川を調べる、福祉体験をする、国際理解について調べる、といった活動が思い浮かびやすいかもしれません。もちろん、それらが意味をもつ場合もあります。

しかし、外に出れば探究になるわけではありません。体験をして、感想を書いて、発表して終わるなら、それは「活動あって学び無し」になりかねません。大切なのは、子どもたちが本当に解決すべき課題を見つけ、その課題に対して考え、試し、検証し、自己の生き方へ接続していくことです。

子どもたちにとって、最も身近な実社会は学級です。最も身近な実生活は、1時間目から6時間目までの学習生活です。友達との関係、係活動、学級会、教室環境、学習の進め方、忘れ物、発言の偏り、困っている人への関わり方。探究するに値する課題は、学級の中にいくらでもあります。

たとえば、男女の関係がぎくしゃくしている。教室が散らかりやすい。発言する人が固定されている。学習中に困っている人が助けを求めにくい。こうした課題は、子どもたちの生活そのものに関わっています。ここに問いを立て、情報を集め、整理し、対策を考え、実行し、結果を振り返るなら、それはまさに総合です。

社会に参画する態度は、遠い社会問題を調べることだけで育つわけではありません。自分たちの学級を、自分たちでよりよくしていく。その経験こそ、社会的自立につながる入口になります。

学び方探究を総合の中心に置く

総合の探究課題として、学び方探究を据えることができます。これは、全教科の見方・考え方を総動員する課題です。

自分はどのように学ぶと理解しやすいのか。なぜ今回はうまくいったのか。どこでつまずいたのか。友達の学び方から何を取り入れられるのか。国語、算数、理科、社会、音楽、体育など、それぞれの教科で働かせている見方・考え方を、自分の学び方を見つめるために使っていきます。

学び方を探究するということは、自己探究でもあります。学ぶことと生きることは切り離せません。自分は何を大切にしているのか。どんなときに力を発揮しやすいのか。どんな環境だと学びに向かいやすいのか。どんな友達の関わりに助けられているのか。学び方を見つめることは、そのまま自己の生き方を見つめることにつながります。

ここで、週のリズムをつくることができます。金曜日の総合で、一週間のけテぶれとQNKSの回し方を振り返る。自分の学び方、うまくいった工夫、改善したい点を整理する。そこで見えてきた自己を、月曜日の総合で自己紹介や目標設定につなげる。そして、その目標をもって一週間の学習生活を送る。

このようにすると、一週間の学習活動全体が検証の場になります。金曜日に考え、月曜日に目的・目標・手段を言葉にし、火曜日から木曜日の授業や生活で試し、また金曜日に振り返る。総合が、日々の学習と切り離された特別な時間ではなく、学級生活全体を貫く時間になります。

自己の生き方は、遠い将来だけの話ではない

総合では「自己の生き方を考える」ことが重視されます。この言葉を、将来の夢や大人になったときの職業だけに限定してしまうと、学びが遠くなります。

もちろん、将来を考えることは大切です。しかし、自己の生き方は、もっと現在に近いところにもあります。明日の学び方、月曜日の2時間目からの行動、友達への関わり方、困ったときの助けの求め方、目標に向かう姿勢。これらもまた、自己の生き方です。

金曜日に一週間を振り返り、「自分はこういうときに粘れる」「友達に説明すると理解が深まる」「計画を立てないと途中で迷いやすい」と気づく。その気づきを月曜日の目標に反映する。そして、次の授業で実際に試す。ここに、地に足のついた自己探究があります。

自己の生き方を考えるとは、遠い未来を語ることだけではありません。現在の学びを見つめ、次の行動に接続することです。

現在地を捉えるための大分析

けテぶれにおける大分析は、現在地を捉えるための重要な時間です。テストが終わった後に、点数だけを見るのではなく、自分の学び方、準備の仕方、理解の仕方、間違い方を分析する。これは、総合の自己省察と深くつながります。

学び方探究でも同じです。今、自分はどこにいるのか。何ができるようになっていて、何がまだ不安なのか。どんな手段が合っていて、どんな手段は合っていないのか。現在地がわからなければ、次の目標も手段も曖昧になります。

目的・目標・手段を整理するためには、現在地の把握が欠かせません。目的は何か。今週の目標は何か。そのためにどんな手段を選ぶのか。これを子ども自身が言葉にしていくことで、学習生活全体が探究の対象になります。

学習の基盤となる資質能力
学習の基盤となる資質能力

学習の基盤となる資質・能力を育てる

総合の探究を進めるためには、一定の資質・能力が必要です。考えるための技法、情報活用能力、問題発見・解決能力などがなければ、探究のプロセスはうまく進みません。

ただし、これらをばらばらの能力として扱うだけでは、子どもたちの中で統合されにくくなります。考えるための技法は、QNKSのプロセスの中で使うものとして整理する必要があります。

順序づける、比較する、分類する、関連づける、多面的に見る、多角的に見る、理由をつける、見通す、具体化する、抽象化する、構造化する。これらは重要な技法です。しかし、技法名を羅列して掲示するだけでは、子どもはいつ、何のために、どの順番で使えばよいのかがわかりません。

QNKSの中で考えると、これらの技法は位置づきやすくなります。情報を抜き出すときには比較や分類が必要になります。組み立てるときには関連づけや構造化が必要になります。表現するときには理由づけや具体化が必要になります。問いを更新するときには、多面的・多角的に見ることが必要になります。

つまり、考えるための技法は、単なる道具一覧ではありません。思考を前に進めるために、QNKSのプロセスの中で使われるものです。

思考を文字にして捕まえる

考えるための技法を使うとき、思考を文字にして捕まえることが大切です。頭の中だけで考えていると、何を比べたのか、どの情報を関係づけたのか、どこで考えが変わったのかが見えにくくなります。

黒板、ノート、付箋、ホワイトボード、共有ドキュメントなどに書き出すことで、思考は可視化されます。可視化されると、自分でも見直せますし、友達とも共有できます。協働的な学びは、ここから深まります。

ただ分担して作業するだけなら、協働は浅いままです。大切なのは、自分の試行錯誤や発見が友達の役に立ち、友達の発見が自分の学びを更新することです。そのためには、思考が共有可能な形になっている必要があります。

学び方探究では、子ども一人ひとりが自分の学び方について試行錯誤します。ある子の発見が、別の子の助けになるかもしれません。友達の工夫を取り入れることで、自分の学び方が変わるかもしれません。こうして、教室全体で「学ぶとは何か」「考えるとは何か」を探究していく土台ができます。

協働は分担ではなく、教室全体の知を更新すること

協働的な学びというと、グループで役割分担をする姿が思い浮かびやすいです。もちろん、役割分担も必要です。しかし、それだけでは協働の本質には届きません。

深い協働とは、一人では到達できなかった理解に、みんなの試行錯誤を通して到達していくことです。学び方探究では、30人いれば30通りの試行錯誤が生まれます。それぞれが自分の学び方を試し、うまくいったことや失敗したことを持ち寄る。その情報を教室全体で共有し、組み合わせ、更新していく。

これは、知識創造のメタファーで捉えることができます。一人ひとりが別々に経験したことを、教室全体の知として統合していく。すると、個人の学びは個人の中だけに閉じません。友達の発見が自分の学びを支え、自分の発見が友達の学びを支えます。

そのためにも、けテぶれとQNKSという共通のプロセスが必要です。今は考えるフェーズなのか、やってみるフェーズなのか。問いを立てる段階なのか、情報を整理する段階なのか、実行して検証する段階なのか。共通の見取り図があるから、子どもたちは協働できます。

協働的な学びは、単なる作業分担ではありません。各自の試行錯誤を共有し、教室全体の知を更新することです。

学びのコントローラー
学びのコントローラー

学級の社会課題を探究する

総合の課題を外部に求めすぎると、子どもたちの手に負えない課題になりやすくなります。川の環境を回復する、地域全体の問題を解決する、国際的な課題を考える。こうしたテーマは重要ですが、子どもたちが実際に試し、検証し、改善できる範囲を超えてしまうことがあります。

一方で、学級の中には、子どもたちが実際に関われる社会課題があります。係活動が機能していない。学級会で一部の子だけが話している。困っている人がいても気づきにくい。忘れ物が多い。教室が片づかない。こうした課題は、子どもたち自身が情報を集め、原因を考え、手立てを試し、結果を検証できます。

ここに総合の価値があります。自分たちの生活を、自分たちでよりよくする。学級という実社会に参画する。自分の学び方や関わり方を見つめ直す。これらは、総合の目標とまっすぐにつながります。

外部テーマを扱う場合でも、同じことが言えます。調べて発表して終わるのではなく、自分たちの生活や学級にどう接続するのか。何を実際に変えるのか。どのように検証するのか。ここまで設計する必要があります。

総合を年間の学習生活に埋め込む

総合を特別なイベントとして扱うと、探究の回数は限られます。単元ごとに一度サイクルを回すだけでは、子どもたちの学び方として定着しにくくなります。

一方、けテぶれとQNKSは、日々の授業や生活の中で何度も回すことができます。国語でも、算数でも、理科でも、社会でも、問いを立て、情報を抜き出し、組み立て、表現する。計画し、試し、分析し、改善する。これを繰り返すことで、探究のプロセスは子どもたちの身体に染み込んでいきます。

総合は、その日々の学びをメタに見つめ直す時間になります。今週、自分はどのように学んだのか。どの教科で、どんな見方・考え方を使ったのか。どんなけテぶれを回したのか。どんなQNKSを使ったのか。何が次の自分の課題なのか。

こうして総合を年間の学習生活に埋め込むと、教科横断的な学びは抽象的な理念ではなくなります。子どもたちの一週間の中に、実際に貫かれるものになります。

実践の設計例

たとえば、週に一度、金曜日の総合を学び方探究の時間にします。子どもたちは一週間の学習を振り返り、自分のけテぶれとQNKSの回し方を見直します。

どの授業で問いが生まれたか。どんな情報を集めたか。どう整理したか。どの場面で実際にやってみたか。結果はどうだったか。うまくいった学び方は何か。次に試したいことは何か。これらをノートや共有シートに書き出します。

月曜日の総合では、先週見つけた自己をもとに自己紹介や目標設定を行います。「今週は、わからないところを早めに友達に聞く」「算数では図にして考える」「発表前に一度ノートに構造化する」「係活動で声かけの仕方を試す」など、目的・目標・手段を具体化します。

その後の一週間は、実行と検証の時間です。各教科の授業、学級生活、係活動、友達との関わりの中で、自分の目標を試していきます。そしてまた金曜日に振り返る。このサイクルを続けることで、総合は日々の学びを束ねる時間になります。

地に足のついた総合へ

総合的な学習の時間は、活動を増やす時間ではありません。発表を上手にする時間でもありません。子どもたちが、自分たちの実生活の中から課題を見つけ、考え、試し、振り返り、自己の生き方へつなげていく時間です。

そのためには、探究過程を表面的に回すだけでは不十分です。QNKSで考え、けテぶれで実行し、その結果を再びQNKSで言語化する。考えることとやってみることを往還させる。個人の学び方探究を、教室全体の知識創造へつなげる。学級という実社会を、子どもたち自身がよりよくしていく。

総合は、学校の外にだけあるのではありません。子どもたちの机の上にあり、ノートの中にあり、友達との関係の中にあり、毎日の授業の中にあります。

そこに目を向けると、総合は特別な外部活動ではなくなります。日々の学びと学級生活を対象に、けテぶれとQNKSを回しながら、自己の生き方へ接続する時間として設計できます。これが、地に足のついた総合的な学習の時間です。

この記事が参考になったらシェア

Share