コンテンツへスキップ
サポーターになる

人格の完成とは何か?内側へ考える円と外側へやってみる円

Share

人格の完成図は、右側の「自己理解→学習の調整・粘り強さ→資質能力」へ向かう内向きの同心円と、左側の「自立→協力→共同」へ向かう外向きの同心円で構成されています。この二つの円をつなぐのが、資質能力から生まれる主体性・意欲と、共同から生まれる自覚・自己省察です。大きく見れば、人格とは「自分とは何者かを考えること」と「外側へ向かってやってみること」の円環であり、この二重の円環は陰陽対極図とも対応します。年間サイクルや学校と家庭の役割分担にも応用でき、教師がこの目的を言語化して子どもに手渡すことで、自由進度学習のような大きな自由の中でも子どもたちが安心して動けるようになります。

🎧 この記事を聴くPREMIUM

プレミアム音声なので再生できません。 Voicyプレミアムで聴く

人格の完成を二つの円で見る

人格の完成図について考えるとき、まず全体の構造を把握することが大切です。

前の放送では、人格の完成図の全体像として二重同心円の連動という考え方が示されました。今回はそこからさらに踏み込んで、右側と左側それぞれの円をもう少し詳しく見ていきます。

人格の完成図は、右側の「自己理解→学習の調整・粘り強さ→資質能力」へ向かう内向きの円と、左側の「自立→協力→共同」へ向かう外向きの円で構成されています。

右側の円から見ていきましょう。自己理解を出発点にして、学習の調整や粘り強さを育て、最終的に資質能力が高まっていく——これは自分の内側で完結するような円環です。「自分はどういう存在か」「自分はどう学べばよいのか」を問い続けることで、内側から磨かれていくベクトルがここにあります。

左側の円は、まったく異なる方向を向いています。自立(自分で立つこと)から始まり、他者を助けたり助けられたりしながら協力し、やがて目標を共有して共同へと向かっていく。これはどちらかといえば、自分の外側へ向かって他者に開かれていくような要素として成立しています。

人格の完成を二つの同心円の連動として示す図
人格の完成を二つの同心円の連動として示す図

この二つの円をつなぐのが、「緑の要素」と呼ばれる部分です。具体的には、資質能力から生まれる主体性・意欲と、共同から生まれる自覚・自己省察の二つです。

資質能力が身につくということは、結局「自分はやりたい」という思いを持てるということです。その主体性のエネルギーが、今度は左側の円、つまり自立や協力・共同へとつながっていきます。逆に、他者との共同の中に身を置いた時、自分はどんな立ち位置なのか、何が得意なのか、どんなキャラクターなのかが見えてきます。共同という外に開かれた体験の中で、かえって内側へのベクトルが生まれる。この自覚・自己省察が、今度は右側の円へとエネルギーを返していくのです。

つまり、自覚というのは「自分って何者だろう」と内側に向かう意識のベクトルであり、主体性・意欲は外側に向かって動こうとするベクトルです。この二つが、左右の円をつなぐエネルギーとして循環しています。

大きく見れば、人格の完成図とは「自分とは何者かを考えること(内側へのベクトル)」と「外側へ向かってやってみること(外側へのベクトル)」の円環そのものです。この観点から言えば、「自分」とは「考えてやってみる存在」として定義できます。 けテぶれが大切にしてきた「やってみる⇆考える」という往還は、ここで人格の完成という教育目的と深くつながってきます。

陰陽対極図で見える円環の意味

二重の円環構造を眺めていると、ある図と概念的に重なることに気づきます。陰陽対極図です。白と黒のマガタマを組み合わせたあの図を思い浮かべてください。

重要なのは、この対応関係は最初から意図して設計されたものではなく、後から見出された一致だということです。 出発点は子どもに示すための「協力共同の階段」という実践的な図でした。それを発展させ、右側のダブル円環を作り上げていくうちに、これは陰陽対極図に入らないかと重ねてみたところ、バチッとはまってしまったというのが実際の経緯です。

陰陽対極図では、白い部分(陽)が大きくなる中に黒い卵があり、やがて黒(陰)が大きくなっていく中にまた白の種が生まれる——という循環が示されています。人格の完成図の二つの円と重ねると、左側の外に開く円が「陽・太陽」の流れに対応し、右側の内側を高める円が「陰・」の努力に対応していることが見えてきます。

陰陽という考え方は、道教や老子などの中国思想を土台にして、長い歴史の中で人間生活のさまざまな局面を説明するために使われてきました。春分・夏至・秋分・冬至の季節の巡り、日の出・正午・日の入り・真夜中という一日のサイクル——これらはすべて陰陽対極図で読むことができると考えられています。

この補助線を得ることで、人格の完成図は単なる学習モデルにとどまらず、より広い人間の営みと接続できるようになります。もっとも、陰陽や道教の話はあくまで円環していることそのものの価値を補助的に説明するための背景です。実践の前面に据えるものではなく、「こういう広い文脈とつながっている」という感覚を持つための道具として扱うとよいでしょう。

また、この二つの円環がスムーズに回り続けるほど、「あなたがあなたである時、最も輝く」という状態に近づいていくと考えることができます。

一年と一日のサイクルに重ねる

陰陽対極図の汎用性を活かすと、1年間の学級経営のサイクルにこの構造を重ねて読むことができます。

春分以降の4月・5月は、年間の流れの中で「協力共同」のあたりに入ります。学級づくりの最初の時期に自立をいきなり求めるより、協力共同的なアプローチから入っていった方が、結果として自立に向かう可能性があります。4月のあの時期、まずは「みんなでやってみること」を大切にした学級開きが、この図から見ても理にかなっていると言えます。

夏至の時期にあたる6月頃になると、自己理解の種が生まれるタイミングと重なってきます。「今年のクラスで自分はこういうキャラクターなんだな」「こういう立ち位置なんだな」ということを子どもたちが感じ取り始める時期として、6月はそれなりに妥当な読み方ができます。

2学期に入ると、内側に向き合う力が育ち始めます。自己調整や粘り強さが少しずつ形になってきて、立冬から冬至にかけての11月・12月頃には、その学級で本当に身につけようとしていた資質能力が芽吹いてくるような流れが見えてきます。 子どもたちの力が目に見える形で立ち現れ始めるのが、ちょうどこの時期だという実感をお持ちの方も多いのではないでしょうか。

そして3学期、冬至を過ぎてからの時期は「自立」に向かう時期として読めます。先生がいなくてもできる、という子どもたちの姿が出てくるのが3学期であるというのは、年間の学級経営として感覚的にも妥当だと感じられます。

もちろん、これは機械的な法則として当てはめるものではありません。あくまで「大きく見たらこういう読み方もできる」という補助線として活用するものです。

この構造は、1日のサイクルにも重ねることができます。正午が一番陽の力が強い時間であり、真夜中が陰の力が最も強い時間です。昼は学校、夜は家庭学習という形で対応させると、学校と家庭の役割分担が見えてきます。

学校にいる昼間は、他の子どもたちと協力共同する場です。他者の中に身を置くことで自己理解が深まる——これが学校で強調される学びです。帰宅後の夜は、自己調整・粘り強さ・資質能力に向き合う時間です。その場でやることは何かといえば、けテぶれです。自分で自分に向き合い、自己調整しながら粘り強く資質能力を高めていく。そしてまた学校に来てという循環が回ります。学校と家庭学習がそれぞれ異なる役割を担いながら、一つの大きな円環を作っているという見方です。

一時間の授業の中にも、個人の中にも、同じサイクルは宿っています。ただし大きく見た時にこういう読み方ができるという話であり、これをそのまま画一的な時間割に落とし込むものではありません。

心マトリクスと教室掲示へのつなげ方

階段状の図には、実用的な活用の場があります。

自覚を地球として、そこから自立・協力・共同と登っていく階段を考えると、これは心マトリクスの第一象限(右上)にそのまま重ねることができます。内から外に向かうベクトルとして見れば、「地球からに向かう階段」として一致するのです。

自覚から自立、協力、協働へ向かう成長段階の図
自覚から自立、協力、協働へ向かう成長段階の図

この階段を登る動きには、月と太陽が交互に現れます。自立(自分で立つこと)は月的な内向きの努力です。そこから人を助け人に助けられる自立(自分立する)は太陽的な他者志向へと移行します。協力は他者がいる前提でそれぞれ自分の目標に向かっていく月的な要素を含み、共同は個の目標も融合してチームに向かっていく太陽的な段階です。月・太陽・月・太陽という交互の登り方が、この階段の特徴です。

右側の自己理解から資質能力への階段も、同様に第一象限に置くことができます。どちらの階段も、地球という自分から星に向かって進む構造として重なります。実際の実践では、自覚から協力共同へ向かう側の階段を子どもたちに示していました。右側の自己理解から資質能力への階段は、学習力大分析といった文脈で語る形で扱うことができます。

しかし、ここで重要な指摘があります。この人格の完成図が描くのは、あくまで「あるべき姿」だということです。右上象限への階段は、うまく進んでいる時の姿を描いています。その階段から転げ落ちた姿や、まったく別の方向へ向かってしまっている姿は、この図だけでは描けません。

その広い枠組みを担うのが、心マトリクスです。

心マトリクスは、人格の完成図が示す「こうあってほしい」という第一象限の姿だけでなく、さまざまな状態を描ける最も広い枠組みです。失敗した姿、別の方向へ行っている姿、うまくいかない姿も含めて描ける地図として機能します。だからこそ、教室の一番前には心マトリクスを貼るわけです。最も広い描き方ができるその図を、学級の共通言語として置く意味があります。

心の状態を地球、月、星、太陽などで整理する心マトリクス
心の状態を地球、月、星、太陽などで整理する心マトリクス

人格の完成図は、向かうべき第一象限を精密に描いた地図です。心マトリクスは、その第一象限を含めたあらゆる状態を包む、より大きな地図です。この二つを使い分けることで、「目指す姿」と「今の状態」の両方を子どもたちと共有できるようになります。

目的を言語化するから、子どもは自由に動ける

ここまで見てきた人格の完成図の構造は、実践の中でどのような意味を持つのでしょうか。

教育基本法第1条には「人格の完成を目指す」という言葉があります。これは日本の教育の最上位目的として掲げられているものです。しかし、この言葉を自分の授業の中で具体的に語れるかどうかは、教師によって大きく異なります。

教育というものを語る身として、人格の完成が自分のロジックの射程範囲内に入っていないというのは、どうも気持ちが悪い——そういった問いから出発してこの図が構築されてきました。教師として教育を語る立場にある以上、「人格の完成」を自分の言葉で語れるレベルまで言語化しておくことが必要です。

「自分の力で人生を歩んでいくこと」という説明でも間違いではありません。しかし、「なぜそれが大切なのか」「どういう構造でそれが達成されるのか」「そのために教室で何を大切にするのか」というところまで分解して考えていくと、明日の授業の中でも語れるレベルに落ちてきます。金曜日の1時間目の算数の授業でも語れる、というくらいの具体化が目指すところです。

これが特に重要になるのが、単元内自由進度学習のように子どもたちに大きな自由を渡す場面です。先生が毎時間細かく指示を出すのであれば、子どもはその指示に従えばいい。しかし、単元全体の時間が子どもの裁量に委ねられるとなれば、「この教室はどこに向かっているのか」という大きな目的を、子ども自身が持っていなければ動けません。

目的が教師から子どもへ確実に手渡され、語られ、教室に掲示されている——その状態があってこそ、子どもたちは大きな自由の中でも安心して振る舞うことができます。

さらに、教師の言葉や判断基準が日によってぶれると、それに気づくのは真面目で賢い子どもたちです。先生のことを一生懸命聞いて、先生の言っていることを再現しようとしている子ほど、矛盾に気づいてしまいます。「昨日と言っていることが違う」という経験は、子どもたちの教師への不信感を生みます。そしてその子たちがそっぽを向いてしまうと、学級経営上の困難にもつながっていきます。

人格の完成という目的は、「主体的・対話的で深い学び」の三角関係で言えば、目的・目標・手段の最上位に位置づきます。その目的が明確であればあるほど、その下の目標や手段が整合性を持って機能していきます。二つの円環がぐるぐるとスムーズに回り続けることで、「あなたがあなたである時、最も輝く」という姿につながっていく——それがこの図全体の言いたいことです。

最後に一点だけ添えておきます。ここで示してきた人格の完成図は、あくまで一つの言語化の例です。教育者それぞれが、自分なりの人格の完成像を持つことが大切であり、この図が唯一の正解というわけではありません。ここで示した構造を参考にしながら、自分の教室・自分の子どもたちに合った言葉で語れる「人格の完成」を、ぜひ考えてみてください。

この記事が参考になったらシェア

Share