子どもの自殺原因として最も多いのは「学業不振」だという現実があります。この事実を前に、私たちは学校教育のあり方を根本から問い直す必要があります。勉強の大切さは否定しません。しかし、勉強ができることを子どもの存在価値そのものに肥大化させることは、確実に多くの子どもたちを傷つけています。けテぶれ・QNKS・心マトリクスは、成績向上のためだけの技術ではなく、子どもが自分の輝けるフィールドと方法を見つけていくための道具です。「人に優しく、一生懸命に」という二軸を価値の基準として、もっと広く、もっと温かく、子どもを見ていきたいと思います。
自殺の第一位は「学業不振」
少子化が進むなかで、自ら命を絶つ若者が増えているというニュースは、多くの方がご覧になったのではないでしょうか。このニュースを教育に関わる者として受け止めるとき、どうしても目が止まる事実があります。
子どもの自殺原因の第一位は、いじめではなく「学業不振」です。 二位も進路に関することであり、これも学業と密接につながっています。
いじめによる心の傷は深く、大人数から人権侵害的なことを受け続けた傷は一生消えないと言っても過言ではありません。だからこそいじめの撲滅は喫緊の課題です。しかし今回改めて問いたいのは、いじめとは別の問題として、「勉強ができないから自分はもうダメだ、人生終わりだ」と思い詰めてしまう子どもたちが、最も多い自殺の理由を作り出しているという事実です。
ここには学校教育が反省すべき内容が多分に含まれているのではないでしょうか。
勉強の価値は大切。でも、それだけが価値のすべてではない
「勉強しなさい」という言葉は日常にあふれています。テストで点数が測られ、成績がつき、それが子どもの頑張りのすべてのように扱われる場面も少なくありません。そうした環境の中で、勉強の得意・不得意という一つの軸が「世界のすべての基準」のように感じられてしまうことがあります。
容姿は目に見えやすく、勉強もまた分かりやすい評価基準です。この二つで道が途絶えてしまったと感じる子どもが、「生きていても意味がない」という思考に至ってしまう。その構造は、決して子ども一人の問題ではありません。
もちろん、勉強には価値があります。義務教育の学習を通して社会の共通基盤を身につけることは、発達支持的な意味でも意義があります。全員が同じ過程を通ってきているからこそ、その文脈の上で社会はできあがっています。勉強を「しなくていい」と言いたいわけではありません。
問いたいのは、勉強ができることを人としての価値そのものに肥大化させていないか、という点です。
たまたま足が速い子がいるように、たまたま勉強が得意な子もいます。逆に、同じ時間・同じ練習をしても、他の人より習得が遅いということはどの分野でも起きることです。その向き不向きを無視して、「できないならダメな人間」という価値観を植え付けるような言葉かけや仕組みが、今の学校教育には溢れすぎていないかと感じるのです。
道の駅で聞いた言葉
あるとき、子どもを連れて道の駅に出かけました。栗を買いに行ったのですが、その日の分はすでに売り切れていました。すると、たまたま居合わせた地域のお年寄りが声をかけてくれて、「明日の分を予約して買えるよ」と教えてくれました。
そして、そのお年寄りが子どもたちに向かって笑いながらこう言ったのです。
「あんたらな、勉強できんでもな、体さえ動きゃ農業して一生儲けられんで」
なんと豊かな言葉だろうと思いました。勉強できなくても、体が動けば生きていける。その言葉の向こうに、長年土を耕し、季節と向き合って生きてきた人の実感がありました。
これこそが「世界はどうとでも説明できる」ということです。かつての日本には、「勉強なんてできなくても、〇〇さえできればやっていける」という言葉が豊かに駆動していたのかもしれません。農業、手仕事、地域の中での役割——そういった多様な価値基盤が、子どもたちのセーフティーネットとして機能していたのではないでしょうか。
しかし今の社会では、その「〇〇」に代入できるものが著しく限られているように見えます。容姿か、勉強か。その二つ以外の逃げ場が見えにくい社会構造が、自殺原因の第一位を作り出している一因ではないかと感じています。
けテぶれとQNKSを「生き方の道具」として捉え直す

この問題意識に立ったとき、けテぶれとQNKSの意味が変わってきます。
けテぶれ・QNKSは、考えて、学んで、やってみるというサイクルです。それは教科の学習を進めるための技術であると同時に、自分が一番輝ける場所と方法を見つけるための道具でもあります。
教科のフィールドでけテぶれを回せるようになったということは、あなたが本当にやりたいフィールドでも同じようにけテぶれを回せる、ということです。学び方を身につけた経験は、その人が情熱を注げる場所に移ったとき、そのまま力になります。
義務教育における教科学習の価値は、その教科の内容そのものよりも、「一生懸命になる方法を身につけること」にあると言えます。一生懸命になりたくても、そのやり方がわからなければ動けない子どもはたくさんいます。だからこそ、「けテぶれです、QNKSです」と伝えられるものがある。それが実践としての繋がりです。
そして義務教育の過程で最も得てほしいものは、教科の点数ではなく「あなた自身の情報」です。 あなたが一番輝ける場所はどこか、あなたが一番輝ける方法は何か——その問いへの仮説を育てていくことが、学校教育の本来の役割の一つではないでしょうか。
小学校ではさまざまな経験を積み、中学校でさらに視野を広げ、高校では自分の特性・願望・人生の設計に仮説を持って進路を選んでいける。そういう流れが整わない限り、「学業不振が自殺の第一位」という状況は変わらないと思っています。
心マトリクスが示す二軸の価値基準

ここで心マトリクスについても触れておきます。心マトリクスは「価値の基準」を示すものです。そこで伝えているメッセージは、たった二つです。
「人に優しく」と「一生懸命に」。
太陽軸は「人に優しく」であり、もう一方の軸は「一生懸命に生きる」ということです。この二軸は、世の東西を問わず、宗教を超え哲学を超え、人類が大切にしてきた価値として共通するものを厳選した結果です。学校教育における道徳の4観点も、この二軸で説明できます。
人に優しくあれば、人が作る社会において歓迎されます。一生懸命に生きることができれば、自分の人生を自分で輝かすことができます。この二つを育てることが、教育の核心の一つだと考えています。
そして「一生懸命になれない」という子どもへのアプローチとして、けテぶれとQNKSがあります。一生懸命になりたくても、その方法が分からなければ動けません。学び方を学ぶことで、その子が本当に熱くなれる場所と出会ったとき、その力が活きてくるのです。
「人に優しくなれるか」という問いに対しては、まず「あなたはあなたでいい、あなたがあなたである時に最も輝く」という、徹底的に安定した自分の基盤が必要です。自己肯定感が育っているとき、人は自然と他者にも優しくなれます。そういう仮説のもとで、子どもたちに伝え続けていきたいと思っています。
「そのままでいい」だけでは終わらない
価値の基準を広く持ちましょう、勉強だけじゃなくていい——こう書いてくると、「何でもしてよい」「そのままでいい」だけの放任になってしまうのでは、と感じる方もいるかもしれません。しかし、そうではありません。
「あなたは何に熱くなれるの。あなたはどこで一生懸命になるの。」
この問いを子どもに向けることは、むしろ強い期待の表れです。

たとえば、漢字の宿題ができない子どもがいるとして、「漢字ができないからダメだ」ではなく、「その子が輝けるフィールドは何か」を問います。同時に、今の学校生活の中で漢字の学習が追いついていないなら、授業の時間を工夫して対処することもできます。必要なら友達と一緒に取り組むこともできます。「なんとでもなる」という構えを見せながら、それでも問い続けます。
そしてその漢字のテスト一つに、一生懸命に取り組む姿勢を見せてほしいと伝えます。小さな場面での努力の積み重ねが、その子が本当にやりたいことと出会ったときの土台になるからです。「一生懸命になろうと思ったときに、そのやり方をあなたは知っている、そしてそれを使いこなせる」——その状態を作っていくことが、主体性を育てる教育の核心です。
価値の基準を豊かに、広く、温かく
「価値の基準を豊かに広く深く持っておきたい」——これが今日伝えたかったことの核心です。
目の前の子どもを見るとき、その子を評価する基準が「勉強」一本に絞られていないか。言葉の端々に「できない子はダメ」というメッセージが乗っていないか。教育に関わる者として、常に問い直し続けたいところです。
けテぶれ・QNKS・心マトリクスという道具は、子どもが自分自身の情報を発見し、自分が輝ける場所と方法を見つけていくために設計されています。教科の成績を上げるためだけの技術ではありません。
人に優しく、一生懸命に生きていける子どもたちが育つ場所として、学校という空間をどう設計できるか。それを問い続けることが、「学業不振が自殺原因の第一位」という現実を変えていく出発点だと思っています。