コンテンツへスキップ
サポーターになる

次期学習指導要領の学習評価を、けテぶれ・QNKS・心マトリクスで読み解く

Share

中央教育審議会では、次期学習指導要領に向けた学習評価の在り方が議論されています。論点の中心は「指導と評価の一体化」「学びに向かう力の評価」「中核的な概念の理解」「教育課程の柔軟化」の4点です。本稿ではこれらを、けテぶれ・QNKS・大分析・大計画・心マトリクスの構造から読み解きます。評価の本質は、評定をつけることでも材料を集めることでもなく、子どもと教師が現在地を共有し、次の学びを改善するために評価を機能させる設計にあります。

🎧 この記事を聴く

学習評価の本質:評定のためではなく、学習改善のために

中教審の論点資料には、こんな言葉があります。「児童生徒の学習や教師の指導の改善につなげる」——これが今回の学習評価改革が向かうべき核心です。しかし、この言葉の重みは十分に理解されていないように見えます。

評価は、子どもの学習改善と教師の授業改善の両方に返るべきものです。にもかかわらず現実では、通知表の「よくできる・できる・もう少し」や学期ごとの評定が慣例として繰り返されています。算数の知識技能が「A」と書かれても、その子が自分の現在地を理解できるでしょうか。図形の単元でも、計算の単元でも、データの単元でも、全部まとめた「算数の知識技能A」という評価は、学習の改善にはほとんど機能しません。

評価が機能するのは、そこに「現在地」が見えるときだけです。

単元ごとの点数や到達状況を、そのまま子どもに渡す。それだけでよいのです。「この単元で何点取ったか」を表にして出すだけが現在地渡しです。成績処理が大変だという声がありますが、評定とは本来、その内容を平均してABCに変換する作業に過ぎません。現在地をそのまま渡す設計にすれば、処理の負担も形式的な記録作業も大幅に減らせます。評価の議論は量の問題ではなく、機能しているかどうかの問題です。

3観点は並列ではない:玉ねぎ構造として捉え直す

現行の学習指導要領は「知識技能」「思考判断表現」「学びに向かう力・人間性」を3観点として示しています。しかし、この3つを並列に並べることそのものが、評価を難しくしている一因です。

これらは並列ではなく、重層的な同心円構造——玉ねぎの皮のように、外側から内側へ重なる構造として理解するとすっきりします。

最も外側にあるのはテストの点数で、最も測りやすい指標です。その内側に知識技能があり、さらに奥に思考判断表現があります。そして最も中心にあるのが学びに向かう力・人間性です。外側は数値化しやすく、内側へいくほど見えにくくなる。粘り強さや学習の調整だけを独立した評価観点として評価しようとしても難しいのは、それが本来「見えにくい内側」に位置するものだからです。

重要なのは、この構造が評価の難しさだけでなく、指導の優先順位も教えてくれるという点です。外側のテスト結果を丁寧に積み重ね、その結果を子どもに渡して振り返りを促す——その繰り返しが、内側にある学びに向かう力を育てることと実は同じ方向を向いています。

学習の基盤となる資質能力
学習の基盤となる資質能力

学びに向かう力は「態度」として観察・評価するのではなく、「学習の基盤となる資質能力」として育てるものとして扱うべきです。 情報活用能力・言語能力・問題発見解決能力という形で示されているこの資質能力を具体化したものが、けテぶれの「計画・テスト・分析・練習」のサイクルとQNKSです。けテぶれとQNKSを子どもが自分で使いこなせるようになっているかどうかを見ることが、学びに向かう力の育ちを確認することそのものになります。

「指導と評価の一体化」とはコインの裏表のこと

「指導と評価の一体化」は今回に限らず長年言われてきたことですが、依然として道半ばと指摘されています。この理由の一つは、指導と評価を「別々のもので、後からくっつける」と捉えてしまっているからではないでしょうか。

コインには裏表があります。表をポケットに入れれば裏が見えますが、裏をどこかに置いてくることはできません。表があれば、裏は確実に存在しています。指導と評価は、そういう関係です。

「今あなたはこういう状況だよね」と現在地を示す関わりは評価であり、「こういう選択肢があるけれど、どれを試してみますか」と問いかける関わりは指導です。この二つを切り離すことはできません。むしろ、どちらとも取れる瞬間こそが、指導と評価が一体化された場面です。

ただし、ここには重要な前提があります。教師からの評価(見取り)だけが「現在地」ではなく、子ども自身の自己評価が両輪になっていなければ、評価は価値の押しつけになってしまいます。

「先生はこう見えているよ」と伝えても、子ども自身が「そうだ」と納得できなければ、現在地は共有されません。教師の主観的な評価と、子ども自身の自己評価が噛み合ったときに初めて、現在地が共有されます。この噛み合いを実現するためにこそ、子どもが自己評価を育てる仕組みが必要です。

自己評価を育てる道具:けテぶれ・大計画シート・心マトリクスの役割

子どもの自己評価を機能させるには、そのための道具と言語が必要です。感覚で「自分を振り返りなさい」と言うだけでは、子どもは何をどう振り返ればよいか分かりません。

最もミクロな単位での自己評価は、けテぶれです。計画して、テストして、分析して、練習する。このサイクルの中で、子どもは「できた・できなかった」を自分で確認し続けます。「できなかった問題はどこか」「何が分かっていないのか」を自分で見つける経験の積み重ねが、自己評価の力を育てます。

単元全体を通した視点では、大計画シートが機能します。学習内容の進捗、深まり方、どこまで理解が進んでいるかを縦横に自己評価しながら進める。大計画シートを「書かないと学習空間で迷子になる」くらいの位置づけとして使うことが大切です。

そして学習内容に関する自己評価と同時に、心理的な状況——モチベーションや感情、学習の方向性——を振り返るのが心マトリクスです。方法と感情は裏表の関係にあり、「どう感じているか」と「どう学ぶか」は切り離せません。心マトリクスを使うことで、子どもは自分の今の状態をより正確に評価できるようになっていきます。

けテぶれ×QNKS
けテぶれ×QNKS

けテぶれとQNKSは、この自己評価サイクルの両輪です。「できなかったら計画・テスト・分析・練習を回せばいい」「分からなかったら単元全体を自分の言葉で説明してみればいい」——このコントローラーを渡すことが、指導と評価の一体化を実践する具体的な形になります。コントローラーを持った子どもは、教師が個別に全員を見取らなくても、自分で自分の現在地を確認しながら進めるようになります。

全教科共通のパフォーマンス課題:QNKSという解

思考判断表現の評価をめぐって、長年の課題があります。各単元ごとにパフォーマンス課題を設定し続けることは、現実的に難しいという問題です。全教科・全単元で本質的な見方・考え方を働かせる課題を毎回設定するのは、実務として不可能に近い。

これに対する一つの答えが、「単元をあなたの言葉で説明できますか」というQNKSを、全教科共通のパフォーマンス課題として設定することです。

単元の内容が一通り終わったなら、単元全体を自分の言葉で説明してみる。この問い一つが、あらゆる教科の単元に共通して使えます。教師が単元ごとに課題を準備する手間は省け、子どもたちからしても何をすればよいかが一貫して明確です。評価もしやすくなります。

さらにQNKSは、中教審が議論している「中核的な概念の理解」という目標とも直接つながります。各教科において中核的な概念が何かさえ示されれば、「その概念を自分の言葉で説明できるか」がQNKSのコアになります。中核概念を説明する図や言葉が、単元を経るごとに変わっていくことが、深い学びの証拠になります。

知識はネットワークであり、自分の内側にメンタルモデルとして存在しています。そのメンタルモデルが更新されるような学びを「深い学び」と呼ぶとすれば、更新を図として描かせる行為がQNKSです。思考判断表現を問うパフォーマンス評価として個別に設計する労力と、QNKSを全教科共通で置く効率を比べたとき、後者の方が現場で持続可能な設計になります。

形成的評価と総括的評価を分ける:失敗できる場を設計する

現状の課題として指摘されているのが、形成的評価と総括的評価が十分に区別されていないという問題です。毎日の小テストや振り返りまでが評定の材料として扱われ、子どもは「失敗できない」状態に置かれています。

一つの具体的な設計として、日々の漢字テストは成績に入れないと宣言してしまうことが考えられます。「これは全部練習だ。いつどこで失敗してもよい。1学期末の50問テストが1学期の評価に入る。そこまでの手前は全部練習の機会だ」と子どもたちに伝える。

これが形成的評価の本来の姿です。形成的評価は、子どもが現在地を確認してフィードバックを受けるためのものであり、評定のためではありません。失敗できる場があることで、子どもは何度でも試すことができ、けテぶれのサイクルが自然に回り始めます。日々の小テストはフィードバックの機会として機能し、最終的な評定に直結しないからこそ、子どもは本来の学習改善のために使えるようになります。

また、デジタルを活用すれば、単元末テストを複数パターン用意することも現実的になってきました。子どもが自分のペースで何度でも挑戦し、60点だった単元の現在地を後から更新できる環境を作れれば、「一回の学期末テスト勝負」という構造そのものを変えられます。不登校の子どもであっても、けテぶれシートを家でも保健室でも書けるなら、教室にいることだけが学習参加の証明にはならなくなります。学びは場所に縛られないという構造が、自然に成立します。

大分析・大計画:テストの後を「次の学び方」につなげる

テスト結果が学習改善に本当につながるためには、結果を「次にどう学ぶか」の材料にする場が必要です。テストを受けて点数をもらって終わり、では学習改善のサイクルは回りません。大テストの後の大分析と大計画こそが、評価を学習改善につなげる場です。

テストの振り返りに時間をかけられないという声もありますが、そこが本来の価値の核心です。単元末テストの後に大分析の時間を設け、自分の間違いを分析して次の学び方をどう変えるかを考える。このサイクルがなければ、「評価を学習改善につなげる」という言葉は絵に描いた餅のままです。

ここで重要なのは、学習内容の視点だけで振り返りをしないことです。「図形単元でここを間違えた→次の図形単元に向けて頑張る」という回転は、次の図形単元が来年まで来ないため接続しにくい。しかし「今回の単元で自分の学び方のどこが弱かったか」という視点で振り返るなら、それはいついかなる単元でも通用する改善です。

大分析の視点
大分析の視点

学び方の視点で大分析・大計画を行うことで、単元が変わっても学習改善のサイクルが続きます。「感情のエネルギー」——嬉しかった・悔しかった——を起点にしながら、次はどう学ぶかを具体的な行動指針として書き出す。この往還が、大分析の本質です。テスト結果は「内容の記録」としてだけでなく、「自分の学び方を更新する材料」として機能し始めます。

教育課程の柔軟化で生まれた時間の使い方

中教審では「調整授業時数制度」によって、授業時数を学校の裁量で柔軟に調整できる方向性が議論されています。これ自体は実践者にとって大きな前進です。しかし、生み出された時間の使い方に問題の本質があります。

「点数が低い子は補充、点数が高い子は自由」という二分法では、柔軟化の恩恵を本当に受けられません。補充は必要な子だけがやり、それ以外の子は余暇時間を過ごす——これでは「個に応じた学習支援」とは言えず、結局は能力別の時間振り分けに終わります。

生み出された時間は「学び方を学ぶ時間」として設計すべきです。

国語では国語を学び、算数では算数を学ぶ教育課程の中に、「どう学ぶか」を学ぶ時間は現状ほとんどありません。柔軟化で生まれた時間を大分析・大計画に充てる。自分の学び方を振り返り、次の単元にどうつなげるかを探究する。これは外向きの総合的な学習とは異なる、その子の生き方に直接関わる探究です。

全教科合わせた授業時数全体を、子どもたちが自分で学習内容を選びながら進められる場として構築していくには、けテぶれとQNKSによるコントローラーが土台になります。コントローラーなしに「自由に学んでいい」と言われても、子どもは方向を失います。コントローラーがあって初めて、選択の自由は学習の深まりとして機能します。

まとめ:評価の構造を変えることは、授業の構造を変えること

中教審の論点資料が示している4つの課題——指導と評価の一体化、学びに向かう力の評価、中核的な概念の理解、教育課程の柔軟化——は、別々の問題のように見えて、実は一つの問いに収束しています。子どもが自分の現在地を把握し、次の学び方を自分で更新できる構造があるかどうか、という問いです。

  • 指導と評価の一体化 → 現在地を共有し、コントローラーを渡す
  • 学びに向かう力の評価 → 態度で測らず、学び方の力として育てる
  • 中核的な概念の理解 → QNKSで単元全体を自分の言葉で説明させる
  • 教育課程の柔軟化 → 生み出した時間を大分析・大計画に使う

これら4つの問いに対して、けテぶれ・QNKS・大分析・大計画・心マトリクスという構造は一貫した答えを持っています。評価の構造を整えることは、授業の構造を整えることと同じ問いの上にあります。

評価は、教師が点をつけるためのものではありません。子どもと教師が現在地を共有し、次の学びを改善するために使える——そういう構造を作ることが、学習評価の本質です。

この記事が参考になったらシェア

Share