コンテンツへスキップ
サポーターになる

けテぶれのマンネリ化は、子どもの今を見取るサインである

Share

生活けテぶれがマンネリ化して見えるとき、それは実践の失敗ではなく、子どものバイオリズムと現在地を見取る入口です。子どもには年単位の波があり、上がれば必ず下がります。けテぶれノートやシートは、元気な時も沈んだ時も状態を記録する「セーブデータ」として機能します。教師に求められるのは、全員の熱を均一に引き上げることではなく、目的を語り続けながら一人ひとりの現在地を長期的に見守ることです。

🎧 この記事を聴くPREMIUM

プレミアム音声なので再生できません。 Voicyプレミアムで聴く

マンネリ化を「失敗のサイン」と見るまえに

生活けテぶれを続けていると、ある時期から「書くことが同じになってきた」「量が減ってきた」という感触が教師の側に生まれます。こうした状態を前にして、すぐに「やり方が悪い」「子どものやる気を上げなければ」と判断するのは、少し立ち止まってみてください。

大切なのは、マンネリ化している状態そのものを、まず「今の子どもの現在地」として受け取ることです。それは停滞でも後退でもなく、子どものバイオリズムが今そこにあるという情報です。

マンネリ化させないための手立てを実装していくことも、もちろん大切です。ただ、その前提として「まんねり云々の話じゃない」という視座を持つかどうかで、教師自身が感じるしんどさも、子どもへの関わり方も、大きく変わってきます。

継続を支えるのは「語り」である

生活けテぶれに限らず、どんな実践も、続けるためには「なぜこれをやるのか」が子どもたちの中に落ちていることが欠かせません。これを支えるのが教師による語りです。

歯磨きを例にしてみましょう。歯磨きは習慣の代表例として語られますが、よく考えると「やらなければ気持ち悪い」「虫歯になる」という明確な理由があってこそ続けられています。つまり「なぜやるか」が分かっているから動けているのです。けテぶれも同じです。なぜ毎日記録するのか、なぜ自分の思いや行動を書き留めるのかという意義が、子どもたちの中に実感として落ちていなければ、継続はほとんど不可能です。

教師が子どもたちのすぐれた記述を紹介しながら、「こうすることに意義があるんだ」という語りを折に触れて続けること——この積み重ねが、けテぶれを本当の意味での学びのコントローラーに育てていきます。

心マトリクスも同様で、ポスターを貼るだけでは子どもの思考は深まりません。教師がそれを使って子どもを見取り、解釈を伝え、解釈することの価値を実感させていく。そのプロセスを経てはじめて、子どもたちは「マンネリ化している」のではなく「目的に対する手段として使っている」という認識に変わっていきます。

上がれば下がるのが人間の鉄則

子どもたちの様子には、大きなバイオリズムがあります。多くの教室では6月、11月、2月ごろに落ち込む時期が見られます。30人が同じ環境で生活することで現れる、ある種の傾向です。

モチベーションの波
モチベーションの波

上がった後は必ず下がります。「上がれば下がるのが人間の鉄則」であり、下がらなければ上がれないというのが波の本質です。 たとえば運動会や音楽会で子どもたちの熱が最高潮に達した後、その反動で力が抜けてしまうのは自然なことです。そこへ「たるんでいる」「もっとやれ」と声をかければ、子どもたちとの心の距離は離れていきます。

さらに言えば、子どもたちを高い熱量で引っ張り続けることが続いた場合、次の学年でのオーバーヒートやバーンアウトという形で現れることがあります。上げすぎることには、後になってから見えてくるコストがあるのです。

だから大切なのは、バイオリズムに乗りこなすこと。落ちている時期を敵視するのではなく、敏感に察知して、その状態を子どもと一緒に受け取る立場に立つことです。

「30極化」していい——多様な現在地を認める

教師が自分のクラスのけテぶれノートをSNSや研修で紹介するとき、どうしても「よく書けている子」の記録が選ばれがちです。ネガティブな状態の記録を人目にさらすことへの抵抗は、誰にでもあります。その結果として、表に出てくるのは量も質も高い記述ばかりになります。

しかし、それが「けテぶれの標準像」だと思わないでください。

けテぶれシート
けテぶれシート

実際のクラスでは、全員が毎日充実した記述を書いているわけではありません。書けて3文字の子、絵だけの子、何も書けない日の子——そのすべてが「今の現在地」です。50m走で全員が同じタイムで走れないのと同じように、書くこと・考えることに対する得意不得意は子どもによって様々であり、「30人いたら30極化している」という状況は当たり前のことです。

「今日は3文字書けたね」「絵でも書いたらどう」という関わりから始めて、それでも難しい子には「豊かにほったらかす」という選択肢もあります。隣の友達のシートをただ見ているだけでもいい。そのくらいの余白を持って実践と向き合うことが、教師にも子どもにも無理のない継続を生みます。

やる気満々で量もたくさん書いていることだけが「よい姿」で、そうでない子は「ダメな姿」なのだという発想で実践を続けると、教師も子どもも本当にしんどくなります。 その子なりの現在地からの成長ができれば、それでいいのです。

沼にいることを「言葉にできる」ことの価値

落ち込んでいる時期に、子どもが自分の状態に気づき「今自分は沼だ」と言えることには、大きな価値があります。

心マトリクス
心マトリクス

心マトリクスで言うと、花(フラワーフワフワゾーン)は月のパワーがまだ少し残っている状態です。沼はその真下——月のパワーがほぼ尽きた領域に近づいています。沼まで落ちてしまうと、そこから上がってくるのに本当に時間がかかります。だから、休みたいしんどいという状態になった時に、いかに花にとどまれるか——まだ自分も周りも笑顔の状態を保ちながら、何かきっかけを見つけて上がってこられるかが大切です。

もし沼に入ってしまったとしても、「自分は今沼にいる」と認識できていること自体が、その子の大切な学びです。 沼にはまった、逃げ切れなかった、何もかもしんどいという状態を、自分の言葉で表現できることがまず重要です。そこから抜け出そうともがけばもがくほど深く沈む性質もありますから、力を抜いてその状態に向き合う時間を「沼の住み心地を学習する期間」として捉え直すことができます。

そして沼から抜け出せた経験——それは自力でも、友達の誘いがきっかけでも、ふとした思いつきでも——その「一回できた」という根拠が、次の成功の可能性を大きく引き上げます。誰かの科学的な説明より、自分の一度の成功体験の方が、ずっと強い根拠になるのです。

けテぶれノートは「セーブデータ」である

ゲームをするとき、セーブをしながら進みます。セーブデータがあるから、どんな場面でも次のプレイに活かせる。けテぶれノートに書く、けテぶれシートに書くという行為は、まさにこのセーブに相当します。

毎日のけテぶれシートやけテぶれノートで、自分の思い・感情・思考・行動を書き溜めていくことは、いついかなる状態の自分でも「今ここにいる自分」の情報を残すということです。元気な時だけでなく、沈んでいる時の記録こそ、後から見返したときに貴重な情報になります。

沼にいた自分が書いたノートを、そこから抜け出した後に読み返すとき、そこには「あの時の自分はこんな状態だったんだ」という確かな手がかりが残っています。これは過去の自分の記録から状態を洞察し、自分の傾向を導き出すための材料——つまり自己省察の素地です。心から出てくる感情や言葉は、フィルターを挟まずそのまま書いておくに限ります。先生は何を書いても受け取る、という安心感がその場を支えます。

また、上がっている時の記録もそのまま残しておくことで、上がりすぎている自分——視野が狭くなっていたり、言葉が上滑りしていたりする状態——を後から客観的に見取ることもできます。これはメタ認知の一段高いところで自分を見る営みです。

上がろうが下がろうがどこにいようが、その状態を情報として取れることにしかならない。そう捉えると、マンネリ云々という次元を一つ超えた見方で実践を続けられるようになります。

現在地を見つめることが、実践の核心である

生活けテぶれのマンネリ化に悩むとき、「何か手を足さなければ」と思いがちです。しかし最初に問い直してほしいのは、「今の子どもたちはどこにいるのか」という問いを、自分が持てているかどうかです。

その子の現在地を認め、なぜそこにいるのかを一緒に考え、バイオリズムの波として長期的に見続ける。その中で教師が語り続け、フィードバックを与え続けることで、子どもたちは少しずつ自分の状態を言葉にできるようになっていきます。

公立の教室に集まる30人の子たちは、30通りの現在地を生きています。その多様性を前提に、焦らず、押しつけず、子どもたちと豊かに日々を過ごすこと——それが、けテぶれを本当の意味で生きた実践にしていく道だと思います。

この記事が参考になったらシェア

Share