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国語と理科を深める問いとサイクルのつくり方

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国語と理科の自由進度的な授業づくりをテーマにしたコメント返しの回です。国語では文章構造・接続語・具体例の配列をQNKSで見える化すること、物語文では最初から細かく作り込まず大きな形をつかむことが語られます。理科ではけテぶれという名称に縛られず、予想・実験・考察・結論という教科固有のサイクルを学びの型として渡すことが提案されます。また、教師が失敗を消しすぎることで子どもが分からなさを自分の学びとして受け取る機会を失う構造が批評され、学びのコントローラーと心マトリクスを持たせながら、分からなさを本人が受け取れる学習観への転換が語られます。

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国語:内容の問いだけでない、論理の組み立てを学ぶ

国語の語り的文章(論理的文章)では、内容についての問いを作ることも大切ですが、それ以上に論理の組み立て方そのものを読み解くことが学習の核心になります。

たとえば「宝くじは買わない方がいい」という主張を展開する文章では、結論に行く前に「確かに買ったらこういう良いことがあるかもしれないが、やはりこういうことが考えられるので買わない方がいい」という情報段落が差し込まれることがあります。この「一旦反論を認め、それでも主張に戻る」という論理の美しさを読み解くこと——接続語のあり方、具体例の配列の仕方——が語り的文章の学習のメインになります。

QNKS読む
QNKS読む

QNKSは、こうした文章構造の読み解きに力を発揮します。Q(問い)・N(抜き出し)・K(組み立て)・S(整理)という四つのステップで、接続語がどのように主張を支えているか、具体例はどのような配列になっているかを可視化していくのです。文章の内容的な問いと論理的な問いを混同せず、語り的文章の学習においては後者——論理構造を読み解く——ことを中心に置くと、学びに筋道が生まれます。

単元の出口として、論理構造図を使って自分でテーマを選び、その構造に沿って小論文を書くという活動も選択肢になります。高学年であれば、習った論理の型を使って自分の考えを表現するところまでつなげることができます。

物語文QNKS:最初のKはざっくりでいい

物語文でQNKSを使う場合、「知る」の段階でKをどのくらい細かく作るかという問いが生まれます。答えは「最初はざっくりでいい」です。

物語文の大きな形は、前話・展開・山場(クライマックス)・後話という構造で捉えられます。たとえば「もちもちの木」であれば、まめたが置かれた状況と設定を語る前話があり、物語に応じていくつかの展開場面が続き、まめたが走ってもちもちの木を見たシーンが山場となり、最後にまめたが元に戻る後話で締まります。この後話の「元に戻ってしまう」というオチが読みの深まりどころになります。

けテぶれ×QNKS
けテぶれ×QNKS

この形を四角い箱の配列として板書に表し、それをノートに書けるスキルとして提示する。そうすることで、「次の作品でもこの形を書けば、ざっくり掴める」という技能の再現性が生まれます。場面分けとまったく同じ操作ですが、それを「形で表す」ことに汎用性があります。

最初のKを細かく丁寧に作り込もうとすると、学習に勢いがなくなります。最初はざっくり全体像を掴み、最終的に美しいKへ向かうというデザインが有効です。考察動画のようにスクラップ&ビルドしながら読みを深めていくイメージで、ワンピースの考察を楽しむように物語文の謎や伏線に向き合う感覚が、文学的文章の読みの醍醐味につながっていきます。「海の命」の目の色の変化、「クラムボン」の謎が解明されずに終わること——そういった「解釈が委ねられる」文章の面白さを、教師自身が教材研究の喜びとして掴んでいることが出発点です。

理科:けテぶれという名称より教科固有のサイクルを

理科で自由進度的な学びを取り入れようとするとき、「理科版のけテぶれはどうすればよいか」という問いが生まれます。これに対する答えは少し意外なものです。「理科だけなら、けテぶれと呼ばなくていいかもしれない」

理科には、予想・実験・考察・結論という学習サイクルがすでに明確に示されています。このサイクルを回せるようにすることが、理科においての学びの型を渡すことになります。すべての教科を横断する汎用的な道具としてけテぶれという言葉を使うのは意味があります。しかし理科専科として理科だけに向き合う場面であれば、教科固有の言葉でそのサイクルを丁寧に渡す方が子どもたちに届きやすい場合もあります。

理科のサイクルを記録するためのレポート様式(問い・予想・実験方法・実験結果・考察・結論)は、けテぶれシートの理科バージョンとして位置づけることができます。形として記録するスキルを身につけさせることで、何を問い、どのように検証し、何が分かり何が分からなかったのかを振り返れるようになります。

重要なのは、教師が予備実験を繰り返して「失敗しないように」整え込むことへの問い直しです。これは教材研究や予備実験が不要だということではありません。問題は準備そのものではなく、教師がすべてを整えてしまうことで、子どもが「教科書にはこう書いてあるのに、自分たちは同じにならない」という分からなさを学びとして受け取る機会を奪ってしまうことにあります。その「ならない」というところにこそ、学びと楽しさが詰まっているのです。

自由進度と教科書を読み切る経験

自由進度的な学びを支えるものの一つが、教科書を読み切るという経験です。

子どもたちは、教科書を隅々まで読み尽くすという経験をほとんどしたことがありません。教師の側も、そこまで求めることはなかなかありません。しかしこの経験が強力な土台になります。教科書に書いてあること・書かれていないことを把握できるほど読み切ること——そこからしか、自分の問いは生まれてきません。「ここにはこう書いてあるが、自分たちの実験ではならなかった」という気づきは、読み切っているからこそ発生します。

学びのコントローラー
学びのコントローラー

社会や理科では、教科書を読み込む中で「気になること」が大量に出てきます。この吹き出しのように湧き出る問いを、学びの素材として扱えるかどうかが自由進度を豊かにする鍵になります。

問いは「作る」のではなく「捕まえる」

問いは作るのではなく捕まえる——これが自由進度における問いとの向き合い方の核心です。

教科書を読み終えた後、子ども自身が問いに向き合う時間を確保したとき、まずやることは問いを「捕まえる」ことです。学習を進める中で気になったこと、分からなかったこと、もっと知りたいと思ったことを、QNKSのQ・N・K・S——問い・抜き出し・組み立て・整理——のプロセスで扱います。捕まえた問いを全部抜き出して、組み立てて、整理する中で「これについて話し合おう」「これについて考えると面白そうだ」という発見が生まれます。

問いを研ぎ澄ませるというプロセスがあって初めて、探究活動は深まります。教師が「今日はこの問いを考えましょう」と渡すだけでなく、子どもが観察や読み込みの中で問いを捕まえ、その問いを磨いていく流れが、自由進度の学びに方向性を与えます。

掃除や係活動でもチームのけテぶれを回す

教科の学びだけでなく、掃除や係活動でも学びのサイクルを回すことができます。日々の掃除の中でノートを書かせるのは時間的に難しい場合でも、週1回の学級会の時間に10〜15分の大分析・大計画を置くことで十分機能します。

チームでパッと集まり、掃除の実践を振り返って分析し、次の1週間の計画を立てる。さらに余裕があれば、学級の前に出てきて発表まで繋げる。発表することで計画が意識的に確定され、他のチームの参考にもなります。チームけテぶれ・チームQNKSの体験を、掃除や係という場で積み重ねていくことが、学習における協働の土台になっていきます。

分からなさは、本人が受け取るフィールド

教師が「子どもたちに失敗させないように」と丁寧に準備するほど、子どもが分からなさを自分のものとして受け取る機会が減っていきます。これが、授業を作ることの落とし穴として語られます。

導入に凝り、問いへの思いを丁寧に育てて本次に入った途端、子どもたちが「分からない、もうやめたい」となってしまう。その様子を見て「自分が悪かった」と全部引き受けてしまう——この構造には、子どもの分からなさを教師が受け取ってしまっているという問題があります。

うまくいかないところこそ面白い。うまくいかない瞬間に、前向きに頭が働くか逃避的に頭が働くかが、学習者としての分かれ目になります。分からなさを受け取らなければならないのは、本人です。その分からなさの中にちゃんと浸って、そこから一歩出ようともがくことができるかどうか——そこに学びの楽しさと深さが詰まっています。

そのためにQNKSやけテぶれといった汎用的な学びのコントローラーを渡します。もやもやしたりイライラしたりする心の動きを冷静に受け止めながら一歩ずつ進んでいくために、心マトリクスも使います。教師がすべてを整えてお膳立てし続けるのではなく、子ども自身がその学びを噛み砕いて吸収していける力を育てていくこと——それが、自由進度の学びを支える学習観の核心です。

ずっと美味しい料理を作り続けて「美味しくない」と言われたら謝って作り直す、という関係性のたとえが語られます。子どもが自分なりの「美味しい味付け」つまり学びの楽しみ方を見出していくためには、教師が全部整えてしまう関係を少しずつ変えていく必要があります。

小学校3年生の段階から、こういった言葉は確実に届きます。30人の学級の全員に届かなくても、誰かが受け取った姿を見てまた誰かが歩みを進める——その積み重ねの中で、学びは育っていきます。

次の学びへ

この回のコメント返しを通して、国語・理科という教科の具体を超えて見えてくるものがあります。教科の幹をしっかり持ちながら、学びのコントローラーをどのように渡し、どのような学習観の下で子どもたちが自分の問いや分からなさと向き合えるかという問いです。

実技教科(音楽・体育・図工)や評価のテーマについても、引き続き放送で語られる予定です。今回の内容を土台にしながら、教科の幹と汎用的な学びの型がどのように接続していくかを、実践の中で試してみてください。

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