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育てるためにやってない。今ある良さを喜ぶ教育

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生活けテぶれの実践者からよく届く問い、「変容を感じられない」。「信じて待つ」という姿勢は間違いではない。しかし葛原は、その問いを聞きながら、自分が実践していた感覚はそれとはどこか違うと気づいた。成長を期待して待つのではなく、今この瞬間に子どもたちが示す輝きをただ喜んでいた——そんな日々だったのではないかと。教師が今ある良さを見つけ、語り、クラスに共有する場は、子どもたちが互いの良さへ開かれていく時間でもある。そしてその教師の役割は、やがて子どもたち自身へと受け渡されていく。

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「変容を感じられない」という問い

生活けテぶれの入門講座での出来事から話が始まります。子どもたちのノートやワークシートの写真を見せながら実践の様子を伝えていたとき、受講者から「こういう姿になるまで何ヶ月くらいかかりましたか」という問いが届きました。その背景にあるのは、多くの実践者が感じる共通の戸惑いです。

「変容を感じられない。まだまだ子どもたちの変化は見られませんが、信じて待ちます」——こうした声は、生活けテぶれに限らず、さまざまな実践の場から繰り返し届きます。信じて待つという姿勢は、もちろん間違いではありません。けれども葛原は、その問いを聞きながら、子どもたちと過ごしていた日々の感覚は、成長を期待して待つこととは少し違うと感じたといいます。今回はその「少し違う感覚」の話です。

成長させようと思ってやってない、かもしれない

けテぶれを始めた初日から、クラスには必ず素敵なことを書いてくれる子がいます。「これは確実に良い」と断言できるほどの輝きを持った試行錯誤が、大量に出てきます。葛原は毎日そういう記述に自然とテンションが上がり、「こんなことを考えているこの子の素晴らしさ」をただただ喜んでいた——そんな毎日だったと振り返ります。

成長変化を期待して日々を過ごす感覚と、今出ている輝きをただ喜ぶ感覚は、同じようで少し違います。

前者は未来に向いた感覚です。「いつかこうなる」という力みがあり、それが焦りにつながることもある。あるいは過去の引き継ぎ情報に引っ張られて、「どうせこういう子だから」という色眼鏡で記述を見てしまうこともある。後者は今に向いた感覚です。過去にも未来にも引っ張られず、今その瞬間に出てきた記述に対して一喜一憂していく。そのシンプルな豊かさのなかで実践が続いていた、という感覚です。

「信じて、任せて、認める」の「認める」は、未来への到達を評価することではなく、今ここに現れている姿をそのまま受け取ることでもあります。その感覚を中心に置くだけで、日々の実践の質感が変わってくるかもしれません。

今ある現象の中で価値あるものをみんなで喜ぶ

心マトリクス
心マトリクス

心マトリクスの「月と太陽」という軸で考えると、「もっと頑張りなさい」「もっと集中しなさい」という働きかけは月の方向、つまりネガティブな引力で動かそうとするアプローチです。しかし、こうした言葉はなかなか響かない子がいます。そのような子に対して効くのは、太陽の方向——良さに向かって開かせていく働きかけです。

葛原が実践のなかでやっていたのは、この太陽方向の語りでした。「あるべき姿に導く」という教育観ではなく、「今あるこの現象の中で価値あるものをみんなで喜ぶ」という感覚です。

子どもたちの記述の中から良さを発見し、その素晴らしさをクラスの子どもたちに力説する——それが毎日の実践でした。「この要素が出なければダメ」という絶対的な枠組みは一切なく、今日出てきた何かの輝きを見つけて喜ぶ。そのフィードバックが積み重なることで、教室に「良さに気づく目」が育っていきます。現在の子どもの姿が日々取り上げられ、それについて対話的な学びが行われる——それだけで十分に意味があると葛原は言います。

良さに開くことは、他者に開くこと

この良さを共有して語り合う時間は、単なる振り返りではありません。子どもたちの興味の幅を、自分から他者へと広げていく時間でもあります。

特に高学年において見られがちな傾向として、仲の良い数人の世界だけに閉じてしまうことがあります。視野が狭まり、関係性がこじれ、負のスパイラルが生まれやすい。しかし「他者に開く」「良さに開く」という実践が継続されるクラスでは、クラスの中で起きている様々な素敵なことに心が開かれ、頭が開かれていく——そういう文化が育ちます。

良さを語り合う時間は、協働的な学びの自然な入り口でもあります。自分の実践を振り返るだけでなく、他者の試行錯誤のなかに価値を見出し、それについて話し合う経験が積み重なることで、「一緒に良くなっていく」感覚が学級に生まれていきます。

教師の役割はモデルであること

けテぶれシート
けテぶれシート

葛原の教育論の大きな柱として、「先生ができることを子どもたちができるようにしていく」というものがあります。

教師が子どもたちの良さに感動し、取り上げ、紹介していく実践は、1学期の段階ではあくまで教師の役割です。しかし2学期に入っていくと、その役割を子どもたちへと移していきます。家庭けテぶれ交流会などの場を通じて、子どもたちが子どもたち同士で互いの良さに気づき、感動し、良さを広げていく——その空間が生まれていきます。

全ては、子どもたちへ受け渡すためのモデルとして教師が担っているものです。

この実践が進んだクラスでは、子どもたちが「今日このクラスの中で良いシーンを30人分見つける」という計画を立て、実行し、見つけた良さを練り上げて「今日の良さは何だったのか」を問い直していく姿が現れてきます。社会の中で振る舞う人を見て、そこから良さを抽出し、その良さを構造化しながら自分なりの「良さの解像度」を上げていく——こうした学びの姿は、知識を自ら創り出していく人間としての在り方そのものです。けテぶれの「計画・テスト・分析・練習」の往還が、人間理解の営みとして立ち上がっている瞬間でもあります。

入り口は、今ある良さに開くことから

教科の見方・考え方、教科の専門性を鍛えることも大切です。しかし生活けテぶれの実践が目指している先は、それ以上のものです。「人間としてよりよく生きる」——平たく言えば哲学です。哲学力をいかに鍛えるか。抽象度を上げて考える力をいかに育てるか。

その入り口が、「良さに開いていく」実践なのかもしれない、と葛原は語ります。

「変容を感じられない」という問いに対して、葛原が提示するのは「こうすれば変容する」という答えではありません。成長を目的として構えることをいったんわきに置き、今日ここに出てきた子どもの記述の光を見つけ、それをみんなで喜ぶ日々を続けることから始めてみてはどうか——という提案です。

その積み重ねが、教師から子どもたちへと受け渡され、子どもたち同士が互いの良さに感動し合う学級文化へとつながっていく。そう考えると、「変容を感じられない」と焦る時間よりも、今日の輝きを見つけることに集中する時間の方が、実は実践を豊かに前進させてくれるのかもしれません。

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