道徳科は週1時間「考えて議論する」だけでは不十分です。その35時間で考えたことを、残りの学校生活で「実行できる力」へつなげることが本来の目的です。同じく、生徒指導の目的も長い文章を暗記させるだけでは機能しません。本記事では、生徒指導提要の道徳教育に関する記述を心マトリクスで読み解きながら、道徳科と生徒指導を日常の指導として連動させる具体的な考え方を整理します。
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道徳科の教科化が示す方向
2015年(平成27年)の学習指導要領一部改正により、従来の「道徳の時間」は「特別の教科 道徳」として正式に教育課程に位置づけられました。教科書も整備され、「考え議論する道徳」への転換が求められています。
この流れの奥にある本質はひとつです。「何ができるようになるか」という実効性です。生徒指導提要にも「児童生徒が現実の困難な問題に主体的に対処できる実効性のある力を身につける上で、道徳教育が大きな役割を果たすことに強い期待が持たれています」と記されています。
この観点から見ると、学習の仕方そのものを習得する「学び方を学ぶ」という方向性と、道徳科が育てようとする力は重なっています。「共通言語」という表現よりも「学び方の見方・考え方」という表現の方が正確かもしれません。道徳で培う力も、けテぶれやQNKS(問い・抜き出し・組み立て・整理)が育てようとする学習力も、どちらも「技能」として子どもに身につけさせるものだからです。
週1時間「考えて議論」するだけでは足りない
道徳科の年間授業数は35時間です。週1時間、考えて議論することは大切ですが、それで終わりにしては道徳性は育ちません。
生徒指導提要の問題意識は明確です。道徳科の授業で考え議論したことを、「それ以外の生活のシーン、学校生活のシーンで実効性のある力として具現化できるか、実行できるか」が問われています。
週1時間は考え議論する場です。そして残りの学校生活の時間に、その考え議論したものを「実行できる力」へとつなげることが、生徒指導との接点になります。道徳科を「感動した時間」で終わらせるのではなく、日常の学校生活全体と連動させること。それが「考え議論する道徳」の真の意図です。
生徒指導の目的を「図」で共有する
生徒指導提要には、生徒指導の目的として次のような文が続きます。
> 「道徳教育と児童生徒一人一人の個性の発見と良さや可能性の伸長と社会的資質能力の発達と、同時に自己の幸福追求と社会的自立を支えることを目的とする生徒指導を相互に関連させることが重要です。」
長い文章です。教師全員がこれを暗記して日々の指導に活かしているかというと、現実的ではありません。しかし問題はもっと根本的なところにあります。この目的を意識できていない指導は、どこに向かっているかが分からなくなってしまうのです。
シャツをしまいなさい。廊下を走らないで。挨拶をしよう。目を見て話しましょう。友達に優しくしよう。これらは全て生徒指導の一環です。しかし、その一言一言が「なぜその指導をするのか」という目的意識と結びついていなければ、子どもたちには届きません。教師自身が、その指導がどの目的のどのベクトルに位置づくかを、自覚できていないとしたら、一貫した指導にはなりえないのです。
だから、図にするのです。

心マトリクスの地球・月・太陽・星という構造で、この長い目的文を読み解くと整理できます。「個性の発見・良さの伸長」は地球の領域(自分自身を知る、自己探究の起点)、「可能性の伸長」は月(主体的に判断して動く)、「社会的資質能力の発達」は太陽(他者とともによりよく生きる)、そして「自己の幸福追求と社会的自立」がそれらを結ぶ全体像です。
生徒指導の目的という根本が、心マトリクスでほぼ言い切れてしまう。これが出発点です。
道徳教育の目標も同じ方向を向いている
道徳教育の目標は次のように定められています。
> 「自己の生き方を考え、主体的な判断のもとに行動し、自立した人間として他者とともによりよく生きるための基盤となる道徳性を養うことを目標とする」
- 「自己の生き方を考え」→ 地球
- 「主体的な判断のもとに行動し」→ 月
- 「自立した人間として他者とともによりよく生きる」→ 太陽
そして、生徒指導提要にも明記されています。「道徳教育と生徒指導はいずれも児童生徒の人格のより良い発達を目指すものであり、学校教育全体を通じて行うという点で共通している」と。
補助線なしで読むと、生徒指導の目的文と道徳教育の目標文はどことなく似ているようで、どこが違うのかが分かりにくいものです。心マトリクスという補助線を引いた瞬間に、どちらも同じ方向を向いていることが見えます。心マトリクスは補助線どころか、両者を統合する共通の図なのです。
心マトリクスは語りと指導を保存する媒体である
心マトリクスの重要な機能のひとつが、「保存媒体」としての役割です。
教師が生活場面で子どもに語るとき、「太陽の方向に進むことの大切さを語ってくれた」「こういう言葉かけをしてくれた」「こういう具体的な行動を教えてくれた」という記憶が、その図に積み上がっていきます。子どもは後でその図を見るだけで、教師の声かけや指導を「再生」することができます。
言葉だけで語りかけた指導は、時間とともに薄れていきます。しかし心マトリクスという共通の図があることで、その語りはそこに「保存」されます。子ども自身が次にどう行動すればよいかを、図を手がかりに考えることができるようになるのです。これは「記号接地」と呼ばれる現象で、抽象的な概念が具体的な記憶・体験・感情と結びつくことで初めて意味を持つという原理です。
道徳の授業も同様です。道徳の内容4観点であるA・B・C・D領域(主として自分に関わること・他の人との関わり・集団や社会との関わり・生命や自然など崇高なものとの関わり)は、それぞれ心マトリクスの構造に対応しています。道徳科で考え議論した内容は、この共通の図を通じて日常の生活場面と接続されます。
35時間を「共通の土台」でつなぐ
道徳の授業は感情が動く場面も多くあります。しかし、翌週に「先週の授業で何をしましたか」と聞くと、子どもたちはほとんど覚えていません。子どもの記憶の新陳代謝はとても早く、それは自然なことです。
ではどうするか。一授業ごとに掲示物を増やし続けるのは非現実的です。答えはひとつです。全35時間を通じて共通して考え議論できる「土台となる掲示物」をひとつだけ作ること。
それが心マトリクスです。
全授業の対話的な学びの土台として心マトリクスを掲示しておけば、授業で考えたこと・話し合ったことの核が、その図の上に積み上がっていきます。一発の感動授業に頼るのではなく、毎回の授業が同じ地図の上で行われるため、積み重ねが生まれます。道徳科の授業全体を、このひとつの掲示物が貫く構造になります。
多面的・多角的な道徳の考えを支える
道徳科では「多面的・多角的に考えること」が重視されています。多面的とは一つの事象をさまざまな観点から自分で見ていくこと、多角的とは他者の視点を取り入れることです。
この「考える面」を全員で共有できるとき、心マトリクスが力を発揮します。
「この行動は、心マトリクスで表したとき、どの辺の、どういう心情の、どの場所にある行動なのか」を対話的な学びの土俵にするのです。「私は太陽の側面から見るとこう思う」「月の側面から見ると、こういう判断が働いていそうだ」「ブラックホールの側面からも読めそうだ」という対話が、多面的・多角的な考え方の具体的な実践になります。
共通のフレームがあることで、他者がどの「面」から考えているのかが見えます。自分とは違う視点を認識できる。これが多角的な対話の土台です。道徳の「考え議論する」という営みそのものを、心マトリクスが支えるのです。
道徳の充実と生徒指導の充実は相互に作用する
生徒指導提要では、「道徳科の授業の充実に資する生徒指導」と「生徒指導の充実に資する道徳科の授業」という両面が示されています。
生徒指導をしっかり行うことで道徳科の授業が充実し、道徳科の授業を充実させることで生徒指導もより効果的になる。これ自体は誰でも言えることです。誰でも分かります。「道徳と生徒指導は連動させましょう」という言葉はどの先生も知っている。問題は「どうやって」です。
教員が児童生徒との信頼的な人間関係を築き、主体的に判断し行動できるよう支えていくこと(発達支持的生徒指導)が道徳科の授業態度を育て、道徳科の授業での議論が生徒指導上の課題への道徳的実践力をつける。この相互関係を「誰でも言える抽象論」で終わらせず、現場で具体的に機能させるには橋渡しが必要です。
その橋渡し役を担うのが心マトリクスです。教室に掲示し、全教員の名札の裏に共通の図を入れ、全教科・全活動を通じて「この方向に向かって進んでいる」という一貫した語りの文脈を持つ。子どもたちへの「信じて、任せて、認める」という指導の姿勢が、心マトリクスという共通言語の上で初めて一貫したものとして子どもに届きます。
生活けテぶれが道徳の土台を育てる
発達支持的生徒指導の充実という観点では、具体的な手立てとして「生活けテぶれ」の考え方が重なります。
日々の生活の中で、子どもたちが自分の行動を振り返り(自己省察)、次にどう行動するかを考えていく。この繰り返しが、道徳の授業で「主体的に判断し、自己の生き方に向かい合う」態度の基盤をつくります。自己省察が積み重なることで、「自分はどう生きていくか」という自己探究へとつながっていくのです。
生活けテぶれ的に生徒指導を毎日繰り返していくことで、道徳の授業が充実する。 逆もまた然りです。
また、学級内の人間関係の整備という観点では、グループ編成の柔軟化が有効です。しかし「自由に好きな人と集まっていいよ」といきなり地に足のつかない学びにすると、好きな者同士で固まって終わります。そこには関係づくりの仕組みが必要です。
たとえば週1回席替えをしながら、席替えのたびに自己紹介を行う。何度繰り返しても毎週自己紹介をする。こうした仕組みによって触れ合う人数が大きく増え、班の中での自己省察と自己紹介が積み重なっていきます。固定と自由の間をどう設計するか。その工夫の積み重ねが、道徳の授業が充実するための雰囲気を学級全体につくっていきます。
「誰でも言えること」を超えるために
生徒指導提要には、「制度の改革だけでなく本質的な問題に向かい合って歩み出さなければならない」という指摘があります。
「道徳科の授業を充実させると生徒指導が充実する」「生徒指導を頑張ると道徳科がやりやすくなる」——これは誰でも言えます。誰でも分かります。しかしそれだけで現場が動くかというと、そうはいきません。
求められているのは具体策です。抽象的な文言を現場で使える形へ変換すること。それが「一歩進む」ことの意味です。
心マトリクスを教室に掲示し、全教員が共通の図を持ち、生活場面での語りと道徳科の対話を同じ地図の上でつなぐ。全35時間を貫く共通の土台と、それを日常に保存・再生する仕組みを整えること。道徳教育と生徒指導の「確かな連携」は、こうした具体的な図と実践の設計があって初めて現実のものになります。