授業は教育課程の大部分を占めているからこそ、生徒指導を「別の時間」に切り出す必要はない。日々の普通の授業のなかで、子どもが自分の現在地を見取り、自分で考えて動き、必要に応じて他者とつながる構造をつくること——それ自体が発達支持的生徒指導の実践になる。教師が全員の状況を一方的に把握しようとする発想から離れ、子ども自身と子ども同士が現在地を理解し合える場を毎時間の授業でつくっていくことが、この記事のテーマです。
授業は「生徒指導の本丸」である
生徒指導提要2.2「教科指導と生徒指導」が問うのは、授業と生徒指導をどのように「関連付けるか」ではありません。もともとそれらは同じ場で起きるべきものだという認識から出発しています。教育課程の大部分を教科指導が占めている以上、生徒指導は授業の外ではなく、日々の普通の授業のなかで実現されなければならない。
提要には「授業は全ての児童生徒を対象とした発達支持的生徒指導の場となります」と明記されています。授業をしながら学び、その学びのなかで子どもが生き方や関わり方を探究していく構造を取らなければならない。学活や道徳の時間だけで完結させようとする発想では、週に数時間の指導効果しか得られません。毎時間・全教科で回る仕組みをどうつくるかが問われているのです。
授業での発達支持的生徒指導は、「自己存在感の感受」「共感的な人間関係の育成」「自己決定の場の提供」「安心安全な風土の形成」の四つの視点として整理されています。以降では、この四つをどう授業の構造として実装するかを考えていきます。
把握の主体を教師から子ども自身へ
生徒指導提要には、教師が「一人ひとりの習熟度・興味関心・学習意欲・参加状況をきめ細かく把握すること」が大切だと書かれています。現場の教員からすれば、30人を45分で見ながら全員の個別状況を把握しきることは現実的に難しく、理念と現場のあいだに大きな溝が生まれます。
この溝の原因は、把握の主体がずっと教師に設定されていることにあります。大切なのは「教師が把握しきる」ではなく、「子どもが自分について理解を積み上げる環境をどこまでつくれるか」です。子どもたちが自分の現在地を自分で認識しようとしながら学んでいると、教師は教室をまわるなかで、自然と一人ひとりの状況を耳と目で受け取ることができます。子どもが自分で進もうとする歩みに寄り添うかたちで語りかけるとき、教師と子どもの両方が、同時に個人の状況に詳しくなっていく——これが本来の構造です。
さらに、子ども同士についても同じことが言えます。ズドンと落ち込んでいる子に対して、その子の事情を最もよく知っているのは誰でしょうか。教師ではなく、その子と近い関係にある友達です。「今ちょっと辛いことがあって」「最近誰かと言い合いになってて」——そういうことを教えてくれるのは、子ども同士のつながりです。子どもたちが互いの状態や困り感を見取り、必要に応じて支え合える存在として育つ空間をつくることが、生徒指導的に非常に大きな意味を持ちます。
学級アンケートと心マトリクスを「子どもと共有する」
学級の実態把握といえば、アンケートを取って教師が結果を分析するというイメージが強いかもしれません。しかしそれも、「教師だけが情報を握って、教師だけが頭を悩ます」構造に陥りやすい。
学級アンケートの結果は全部、子どもたちに返します。そして「この状況をどう改善できるか、一緒に考えよう」という関係性にする。月質問・太陽質問(自己規律に関する項目と、他者への関わりに関する項目)を5件法で月末に取り、その集計結果を心マトリクスの座標に落とします。月ごとに点が打たれていくと、学級の歩みが可視化されます。

この可視化されたデータをもとに、子どもたちと「どうしたらいいか」を考えます。たとえば悪口・陰口が課題として浮かんだなら、それを解決するための係活動・会社活動を子どもたちが自分たちで企てて取り組み、翌月のアンケートで結果を測る。数値のフィードバックが回るなかで、具体的な実践がどんどん進んでいく——この循環が、場の質の向上につながります。
心マトリクスは教師のモニタリングツールではなく、子どもたちが学級を自分たちで改善するための道具として機能するとき、本来の力を発揮します。
「ばらける」ことが共感と関わりを生む
共感的な人間関係の育成についても、授業の構造から考える必要があります。「互いに認め、励まし合い、支え合う集団をつくる」と言われますが、そのためには前提があります。全員が同じ進度・同じ課題・同じ状態では、認め合うことも励まし合うことも難しい。
現在地がそれぞれにばらけているからこそ、支え合いが生まれます。進度が違う、深め方が違う、感情の状態も違う——そのばらけた空間で、「同じところで悩んでいる子同士をつなげる」「次の一歩を踏み出している子の様子を見せる」という教師の関わりが、関係形成のきっかけになります。
授業のなかでこそ、このきっかけをつくりやすい。休み時間にトランプしたいかドッジボールしたいかという問いには、どちらかが折れなければならない場面が生まれます。しかし学習という共通の目的・目標があれば、そのなかで自然と関わりが生まれます。「この辺で同じように悩んでいるから、2人でやってみたら」「4人グループでこの辺を話し合いながら進めてみたら」——そういう入り口を教師がつくることが、自己存在感を支える授業の核心です。

様々な場面でいろいろなペアリングやグルーピングを経験していくうちに、他者と関わることのハードルが下がっていきます。やがて「必要に応じて、必要な人と関わる」という意識が育つ。男女の壁がなくなったり、特定の仲良し集団だけにべったりという状態がほぐれたりする。そして「今日は一人でやる」という選択が、孤立ではなく頼もしい自律として現れてくる——これが目指す状態です。
共感についても同様です。落ち込んでいる友達に対して「その気持ち、わかるよ」と寄り添うだけが共感ではありません。「今はそっとしておいてあげよう」という距離を置いた判断も、深い共感から来ます。温かくつながることと、豊かにほったらかすこと——この両輪が回る教室が、本当の意味で心理的安全性を備えた場所です。相手の感情に巻き込まれず、「今はそこにいよう」と判断できる子どもたちのつながりは、教師の語りと授業の構造が育てるものです。
自己決定の場は「全授業」で回す
自己決定の場を提供することについて、提要では「観察・実験・調べ学習において自己の仮説を検証し、自ら考え選択・決定する力を育てる」と書かれています。しかしこれを特定の教科だけで実現しようとしても、週に数時間の効果しか得られません。
「自己決定を促す授業づくり」と書かれているのであって、特定の教科の授業づくりではない。仮説を立てて検証するというプロセスは、全教科・全時間で回すことができます。そのテーマを何にするかが問題ですが、「より良い学び方を自分で獲得していく」という探究テーマを通年にわたって設定すると、構造的な強さが生まれます。

けテぶれ的な授業構造が生徒指導的にも理にかなっているのは、この理由からです。計画を立て(け)、テストして現在地を確認し(テ)、結果を分析し(ぶ)、次の練習方法を改善する(れ)——このサイクルは、仮説と検証の繰り返しそのものです。算数でも国語でも体育でも、このサイクルが毎時間回るとき、1年間の教育課程上のすべての時間が、学び方を更新するフィールドになります。
指導の個別化と学習の個性化も、このなかで自然に進みます。子どもたちが自分で考えて動く範囲と機会が増えれば増えるほど、それぞれの学習は個性的になっていく。教師が全員を同じ型にはめようとするのではなく、それぞれの歩みに語りかけながら現在地から一歩を踏み出すことを共通の目標として示し続ける。この語りが、学級の土台をつくります。
そうした授業が続くと、2学期・3学期には学び方が本当にそれぞれになっていて、「うちのクラスの学び方を紹介しよう」という場自体があまり必要なくなってきます。それぞれが自分の歩み方をもって立っているからです。個別化・個性化が進んでいるかどうかの一つの目安として、こういう変化を見ることができます。
毎日の授業で回してこそ
生徒指導提要が示す四つの視点——自己存在感の感受・共感的な人間関係の育成・自己決定の場の提供・安心安全な風土の形成——は、特別な時間に特別な活動をすることで達成されるものではありません。日々の普通の授業のなかで、毎時間・毎日・全教科にわたって回し続けることで実現されます。
そのための構造を備えているのが、けテぶれや自由進度学習として語られてきた授業の形です。子どもが現在地を自分で把握し、自分で考えて動き、必要に応じて仲間と関わる。その場をつくるために、教師は「全員を把握して支えてあげる」立場からではなく、子どもたちの歩みを信じ、任せ、認める立場で語り続けます。学級アンケートや心マトリクスも、その共同作業の道具として子どもと一緒に使う。
それぞれの実践者が、授業のなかでこの構造をどう実装するかを探究し続けること自体が、「学び方を通年のテーマにする」という営みと重なっています。