全体指導を減らすことは、指導そのものを手放すことではありません。全体への一斉的な関わりが減った分、一人ひとりやグループへの個別指導が増えていきます。そして、その個別指導の本質は「できるように助けてあげること」を超え、子どもが自分のでき方やできなさを分析できるよう、視点と言葉を渡すことにあります。体育のマット運動を例に、やってみる一辺倒の活動へ「考える」を差し込み、その価値を体感させていくことで、子ども自身が学びのコントローラーを握り、自立した学習者へと育っていきます。
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全体指導を減らすと、何が増えるのか
これまで全体指導についての話が続きました。喋りすぎる授業は子どもに聞かれなくなること、必要最低限の全体指導を丁寧に行うことの重要性、そして場の自由度や自立性を上げていかなければ一斉指導から抜け出せないということです。
単線型の授業ばかりをぶん回して「子どもが言うことを聞いている」と感じていても、それは子どもたちがお付き合いしてくれているだけかもしれません。持ち上がりでもう1年同じことができるか、6年間積み重なった先に何が待っているか、そこを自分に引きつけて考えてみることが大切です。
さて、今日の本題です。全体指導を減らすとは、指導全体を減らすことではありません。全体への関わりが減る分、増えるのは個別への関わりです。
Aさんにとって必要な指導が、Bさんにとっても必要とは限りません。これが「学習の個性化に伴う指導の個別化」という考え方です。学習が個性化されていくほど、指導もその人に応じて届けられていくことになります。一人ひとりにばらけることもあれば、グループ単位で呼んで関わることもある。誰にとって、どの程度、何が必要かを見極めながら振る舞っていくことが、任せる空間における教師の役割になります。
個別指導の目的は「できるようにする」だけではない
個別指導の中心に置くべきことは何でしょうか。それはできるようにサポートすることを超えて、子どもが自分のでき方やできなさを分析できるような視点と言葉を渡すことです。
マット運動を例に考えてみましょう。どの練習をするにあたって、どこを見ればよいか。手の角度、手のひらの位置、両手の位置、回転するときの感覚。こうした「見方・考え方」を子どもたちが自分の体験の中で発動できるよう指導していくわけです。
けテぶれの文脈で言えば、これは「分析の代行」をしているということです。子どもがまだ自力では分析できない段階で、教師がその視点を補ってあげる。分析に必要な言葉や観点が子どもの中に溜まっていなければ、自分で分析できないのは当然のことです。だからこそ、「こうやって分析することがいいんだよ」ということを、個別またはグループに対して丁寧に伝えていく必要があります。

この関わりが積み重なることで、子どもたちは自分の学習をどのように見ればよいかが少しずつわかってきます。そうなると、自立した学習者としての深まりと広がりが起きていきます。さらに、学習内容への指導だけでなく「自分なりの学び方」への指導が加わることで、子どもたちの学びへの向き合い方そのものが変わっていきます。それが結局は学びのコントローラーへの気づきであり、「考える⇆やってみる」を往還することが学ぶということだ、という見方を渡していく指導になります。
ワークシートや掲示物が機能するとき
では、教師がワークシートや掲示物を用意した場合、それはどのように機能するのでしょうか。
ワークシートは配るだけでは機能しません。子どもたちの体験や経験と結びついて初めて使われるものです。体育の時間にワークシートを渡しても、自分の活動とそのワークシートがどのようにつながるかが分からなければ、子どもは見向きもしません。それは当然のことです。
だからこそ、一人ひとりやグループを見て回りながら、「今やっているここは、このワークシートのこの部分に当たることなんだよ」とつなぎ合わせていくことが重要です。ピンときた瞬間に「今書いたらいいよ」と書かせる。そのサイクルを続けることで、ワークシートを頼る感覚、ワークシートを見る感覚が子どもたちの中に育っていきます。そうなると、次第に先生が言わなくても自分から手を伸ばす子が現れてきます。
語りと体験の紐付けは、教師が個別・グループで回ることでしか生まれません。全体一斉に「ここを見なさい」と言っても、自分の体験と切り離された言葉は子どもには届かないのです。
体育の授業に「考える」を差し込む
体育という教科は、「やってみる」が大きく広がる教科です。マットを敷けば、子どもたちはひたすら練習します。これはとても大切なことですし、やってみるのエネルギーは本物です。
しかし、そのままでは「考える」が足りなくなります。チームで考えさせようとしても、体育の中でどうやって思考を働かせればいいか分からない、というお悩みは現場に多くあります。それは結局、子どもたちがやってみる一辺倒になっていて、体育において「考える」ことの良さを感じていないし知らないからです。良いものだと分からなければ、やらないのは当然の理屈です。
ここで教師が意識したいのは、グループを呼んで一緒に分析をする場面を意図的に作ることです。「苦手なところは何?」「こういうことが大事だよね」と一緒に見ていく。これはやってみるを一旦止めて、考えるということを先生と一緒に経験することになります。
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考えるという選択肢を子どもの中に育てる
次に子どもたちに感じてほしいのは、考えてからもう一度やってみることの変化です。
やってみる→止まって考える→もう一度やってみる、このサイクルを経た後の「やってみる」は、考える前のやってみるよりも質が上がっていたり、観点が増えていたりします。練習の密度が高まり、実力が上がる。その経験を体感できるかどうかが重要です。
一周して戻ってきたときに「どうだった?ずっとやりっぱなしよりも、考えてからやってみた方が良くなった?」と確認する。その進化を体感できれば、次はこう言えます。
「考えることの良さが分かったなら、それは自分たちが必要に応じて発動すればいいんだよ。」
これが「考える⇆やってみる」を行ったり来たりする姿であり、協働的な学びの姿でもあります。そして、こうした経験の積み重ねの中で、子どもたちの中に選択肢が生まれていきます。考えるという選択肢がないまま任せても、活動は遊びに向かうだけです。 だからこそ、見方・考え方を渡し、考えることの価値を体感させる個別・グループへの関わりが必要になるのです。
任せる空間における教師の仕事は、後ろに引くことではなく、子どもの現在地を見ながら視点・言葉・分析の観点を届け続けることです。それが積み重なったとき、子どもは教師に言われるのを待たなくなります。必要なときに必要なことを、自分で発動できるようになる。そこに向けて、毎日の個別指導を設計していきましょう。