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【子育て・教育論】指導における「圧のかけ方」の極意とは?言葉の重みを生む思考の積み重ね

やってみる(試行)思考回転数経験主体的な学び

指導において、時には強い意志で「圧をかける」ことが重要です。

圧をかける際は、子どもに逃げ道を作らせず、一貫した態度で「かけきる」状況を整える必要があります。

指導者の言葉の重みや説得力は、その分野における圧倒的な経験と「思考と試行」の積み重ねから生まれます。

はじめに:葛原実践の3本柱 このチャンネルでは、全国の子どもたちの自律的な学習力を引き出すための実践であるけテぶれQNKS心マトリクスについてお話ししています。

5月の連休に向けて、この3つの実践の柱について、その関係性や背景にある願いを1時間半かけて解説する動画を準備中です。私のすべての発信の裏側にある考え方が一本の筋として通る内容になっていますので、ぜひお楽しみにしてください。

さて、今日は子育てのエピソードから見えてきた、「指導において大切なこと」についてお話ししたいと思います。

逃げ道を許さない「圧のかけ方」とは?

先日、息子の「野菜イヤイヤ」についてお話ししましたが、その続報です。今朝、食卓にトマトが出たのですが、息子は最初「いやー、食べない」と言いました。しかし、私と妻が「え?食べられるよね?」という雰囲気で、落ち着いて促したところ、パクッと一口食べ、「食べられるよ?」という顔をして、結局すべて食べきりました。

先日、一度だけ雷を落とした(厳しく叱った)効果がまだ続いているようです。ここからは、この状態を日常にソフトランディングさせていく関わり方が大切になります。

昨日の放送で言い忘れた重要なことがあります。それは、雷を落とす、つまり「圧をかける」瞬間の重要性についてです。

「圧をかける」とは何か 教育の現場では、「これをやりなさい」「それは絶対にダメだ」と、強い意志と意図を持って子どもに関わる瞬間が必要です。これを私は「圧をかける」と表現しています。

これまで、息子の野菜嫌いに対しては、食べるべきだというメッセージは伝えつつも、本人の「嫌だ」という気持ちには正面からぶつからず、「泳がせて」いました。しかし、すべての条件が整ったタイミングで、一度だけ強く「圧」をかけたのです。

この「圧」をかける際に、最も重要なことがあります。それは、圧力の「圧」が逃げない仕組みを完全に作ってから、かけきるということです。

圧をかけきるためのポイント 一度「圧をかける」と決めたら、絶対に譲ってはいけません。子どもがどれだけ泣き喚こうが、抗議しようが、「じゃあいいよ」とは絶対に言わない。こちらの世界にカチッとスイッチを切り替えるのです。

このカードを切った以上、途中でこちらの都合で曖昧にしてしまうと、このカード自体が無効になってしまいます。これは教室での指導でも全く同じです。

重要なのは、それまでの「泳がせる」期間においても、決して考え方を譲っているわけではないということです。「食べるべきだけど、今はあなたが食べない選択をしている」というスタンスを貫き、あるべき姿についてのメッセージは伝え続けています。

このような積み重ねがあるからこそ、いざ圧をかけた時に、子どもは「あ、やっぱりこれは許されないことなんだ」と理解できるのです。

教室指導における「圧」の重要性 この考え方は、教室での指導にも通じます。

例えば、宿題をサボる子に対して「サボるならサボればいい」と言う時でも、その背景には「サボるという行為を、どうすれば自分の成長のエネルギーに変えられるか」といったメッセージを教室全体に語り続けています。

すると子どもは、そのメッセージと自分の状況を比べ、「自分は今、あるべき状況ではない」と判断できるようになります。言い訳をしながらも、心の中に「まずいな」という違和感が生まれるのです。

そして、小テストなどの「逃げられない結果」が出た瞬間に、圧をかけます。 「宿題をサボった結果が、この数字として表れているよね」と。

このように、言い訳ができない状況、つまり圧力が逃げる隙間がない構造を作ってから圧をかけることが極めて重要です。 「だって忙しかった」「別に勉強はできてる」といった言い訳が成立する状況では、圧はかかりきりません。

一度圧をかけると決めたら、途中で逃げ道を作らない。指導者として一貫したメッセージを伝え続けること。これが、効果的な指導の鍵となります。

言葉に「重み」を持たせるもの

もう一つ、妻と4歳の娘のやり取りを見ていて、非常に大切だと感じたエピソードがあります。

娘がピアノの練習で、教本に書かれた指の使い方が「いやだ」とごねたときのことです。それに対して、ピアノを14年間続けてきた妻は、こう言いました。

> 「ママはあなたよりも何十倍もピアノをやってきた。その経験から見て、この教本に書いてある弾き方は絶対に正しい。だから、やりなさい」

この言葉を聞いて、娘は「わかった」と素直に聞き入れました。

これこそが、指導において非常に重要だと感じました。それを言い切るだけの背景を持って、正しいことを正しいと断言する力です。

「先生」とは何か? 「先生」とは、「先に生きる」と書きます。

妻は、ピアノという世界において、娘よりも圧倒的に長く生きてきた「先生」です。14年間という時間の中で、ピアノを練習し、考え、動くという思考と試行を繰り返してきた結果、「これは正しい」と断言できるのです。

これは、学校の先生も全く同じです。

けテぶれQNKS心マトリクスといったフレームワークを子どもたちに教えるとき、「こうやって考えることには価値があるんだよ」と伝えます。その言葉の背景に、どれだけの思考と試行の積み重ねがあるか。

> 「私はこの世界において、君たちよりも何十周も何千周も多く考え、動くことを繰り返してきた。その経験を背景に、今これを語っているんだよ」

この構造が取れたとき、初めて人は「先生」になれるのだと思います。

逆に言えば、ただ年数を重ねただけで、その領域において子どもより先に進んでいなければ、先生とは言えません。

子どもたちは、大人が思う以上に先生のことを見ています。「この先生は、なんぼのもんじゃい」と値踏みしています。その中で、子どもたちを安心させ、導く言葉の「重み」は、私たち自身のこれまでの思考と試行の積み重ねによってしか生まれないのではないでしょうか。

圧力をかける言葉、その言葉が持つ重みは、発する主体である自分自身の思考と試行の回転数によって決まる。子どもたちに「考えること、学ぶこと、生きること」を伝える先生として、まずは自分自身が誰よりもその実践を積み重ねていかなければ、言葉は響かないのだと、改めて感じました。