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子どもたちが教員研修に登壇する時代へ——けテぶれ実践が生み出す新しいフェーズ

公教育のボトムアップ改革自律した学習者変容学習力

けテぶれ実践を積み重ねた子どもたちが、ついに教員研修の場で自らの学びを語り始めました。神戸・名古屋・東京と連続して起きるこの現象は、公教育のボトムアップ改革が新たな段階に入ったことを示しています。子どもたちが学びの主体者となり、大人の研修の場に影響を与えるという構造が、今まさに立ち上がりつつあります。

子どもたちが登壇する——けテぶれ実践の新フェーズ

けテぶれ実践において、画期的なフェーズが訪れました。

けテぶれを実践し、学習に深い実感を持った子どもたちが、教員研修の場に登壇し始めているのです。神戸での教員研修では、小学4年生から特定の担任クラスで過ごした子どもが登壇しました。その内容・エピソード・プロセスのすべてが、会場の参加者を圧倒するほどのものでした。

通常の教員研修というのは、「教師がこんなことをやりました」という報告にとどまりがちです。しかし、けテぶれ実践においては、その実践を受け取った子どもたち自身が、自分の言葉で学びを語り始めるという段階に達しました。

名古屋でも同じ景色が——偶然が示す必然

神戸のイベントから数日後、名古屋で行われた地区研修でも同様の場面が生まれました。

名古屋の実践者・片田さんのクラスの子どもたち3人が、ただの地区教員研修に参加していたのです。しかも彼女たちは最前列でうなずきながらメモを取り、配布されたシートにQNKSを実践するほどでした。

休憩時間には先生方がその子どもたちにインタビューする時間が生まれ、子どもたちはノートを取りに自宅に戻って再び会場に現れました。自分たちの学びの軌跡を、大人に見せたいという主体的な行動でした。

さらに、3月30日の東京でも子どもたちが参加予定です。神戸・名古屋・東京と、連続してこの現象が起きていることは、単なる偶然ではないと感じています。

直感が先か、現象が先か

葛原自身は以前から、けテぶれの万博構想として、「全国の子どもたちが1年間の成果を発表し合う場を大阪で作りたい」という直感を持っていました。しかしそれは、運営メンバーへ軽く口走った程度のものでした。

振り返ってみると、むしろこういった芽吹きの現象が先にあり、それを直感でキャッチしたのが自分だったのではないかと感じています。ムーブメントのエネルギーが先に育っていて、それを言語化したのが後だったのではないか——そのシンクロニシティが、この連続した出来事をより感慨深いものにしています。

公教育のボトムアップ改革——フラクタル構造の強み

けテぶれが目指す公教育のボトムアップ改革には、明確な構造的強みがあります。

  • 全体が動かなくても、一人の教師・一つのクラスから始められる
  • 学級 → 学年 → 学校というフラクタル構造で広げていける
  • クラス全員が火つく必要はなく、何人かが深く実感を持てばそれが改革の一手になる

だからこそ、安易な全校実践には慎重な立場をとっています。教師も子どもも納得のないまま強制すれば、うまくいかなかった時に丸ごと嫌いになってしまいます。それは全体のムーブメントにとってブレーキになってしまいます。

熱く、しかし暖かく。尖っているけれど、柔らかく。そういうチューニングで広げていくことが大切だと考えています。

コミュニティを動かす力学——凌駕する実践が生む自己批判

けテぶれコミュニティの中では、興味深い力学が働いています。

直接的な批判ではなく、圧倒的な実践がその場に置かれたとき、それを受け取った実践者たちが自発的に自己批判を始めるのです。「自分ももっとできたんじゃないか」という問いが、自ずと生まれてくる。この構造がコミュニティを前に進める原動力になっています。

かつて名古屋の会で「サバカラスさん」という実践者が登場したとき、コミュニティ全体の熱量が一気に上がりました。今回、自分のクラスの子どもが教員研修に登壇するという事実が示されたとき、他の実践者たちの心に「うちの子たちだって絶対いける」という火が灯ります。

ファーストペンギンはすでに海に飛び込みました。あとはセカンド、サードが続くだけです。

子どもが外の世界と接続する喜び

これまで葛原は、子どもたちに「皆さんのノートや思考は、全国の先生たちを驚かせる質と量になっている」と伝えてきました。しかしそれは伝聞でしかありませんでした。

これからは違います。子どもたち自身が、大人の研修に参加して、自分のノートで世界の大人を驚かせる経験ができる環境になってきました。自分の学びが外の世界と直接つながる。この体験こそが、学びの主体者としての自覚をさらに深めていくのではないでしょうか。

さらには、放課後の研究会に子どもたちも参加し、どういう学び方がより良いのかを子どもと教師が一緒に考えるという場も生まれ得ます。これほどの構造を備えた教育実践は、今まで見たことがありません。

AI時代だからこそ、けテぶれが必要

近年の研修でも、AIと教育についての話題が増えています。しかしそれでも、けテぶれの必要性は変わらない——むしろ高まると感じています。

AIが社会に浸透する時代において、学校という場は、子どもたちがAIの影響を受けずに自分自身の思考・経験を積み上げられる貴重な空間になり得ます。

こころざす思考、考える思考、やってみる思考という3つの思考を、自分の五感で体験し自分の言葉で書き綴った文章は、人生における第一次ソースです。このソースがしっかり蓄積されて初めて、AIと対等に渡り合うことができます。

あいまいなまま、まだ自分の思考が固まっていない段階でAIに触れることは、人間としての自己同一性に不純物が混入するような危うさをはらんでいます。無農薬・遺伝子組み換えなしのものを選ぶように、育ちの中でのAI侵食の有無は、今後ますます重要な問いになっていくかもしれません。

おわりに——あとは雪崩れ込むだけ

子どもたちが自らの学びを語り、大人の研修の場を動かす。この景色は、けテぶれ実践が目指してきた「子どもの権利を本気で尊重し、学ぶ場をみんなで構築する」という理想の具現化に他なりません。

今まさに、そのフェーズが目の前に立ち上がっています。流れはすでにできています。あとは雪崩れ込むだけ——そんな感覚を、この連続した出来事の中に感じています。

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