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なぜ「できる子」へのアプローチが重要なのか

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けテぶれ学習法において、学力下位層の子どもたちは1問から2問、3問へという「現在地からの一歩」を着実に感じられます。一方で、学力上位層の子どもたちは、ドリルや教科書を難なく終えてしまうため、その先の学びの世界が見えにくい。この記事では、「できる子」をそのままにしておくことの構造的なリスクと、上位層に「できるのあとは説明できる、説明できるのあとは作る」という次の段階を示すことの重要性について考えます。

今回の力点:上位層の問題

けテぶれを実践する中で、多くの先生が最初に目を向けるのは「やらない子」「できない子」への対応です。それは当然大切なことです。しかし、より深く考えなければならないのは、学力上位層への向き合い方です。

学力下位層の子どもたちは、けテぶれのテストで10問中1問しか解けなかったとしても、それが2問、3問、4問と増えるごとに、自分の学習の充実感を持つことができます。これがまさに「現在地からの一歩」です。ドリルを使えば、自分の位置から着実に前進していることが実感できる。学力が低い子どもたちがけテぶれを通じて覚醒していくというのは、決して珍しいことではありません。

ところが、上位層ではそうはいきません。

上位層が直面する「見えない先」

ドリルを渡しただけで100点が当たり前という子どもたちに対して、その先にどういう学びの世界があるかを示すことが難しいのです。「これ以上やることがない」と感じさせてしまいやすい。教科書をやり終えたら、あとは何をすればいいのか。

この問題の根っこには、「与えられたものを効率よくこなす」という学習観があります。現在地からの一歩を自分で踏み出すのではなく、誰かが準備したものを上手くこなすことを学習だと捉えている場合、その枠組みからは抜けにくい。「なぜそんなしんどいことをやらなきゃいけないの」という感覚になってしまうのです。

学びの循環
学びの循環

「できる」ということは、学びの入口に過ぎません。学びの循環でいえば、「できるのあとは説明できる、説明できるのあとは作る」という段階があります。しかし、この先の世界を上位層の子どもたちに見せることは、教師にとって一つの大きな課題です。与えられたものをこなすことに最適化している子ほど、この先の段階へ進む意味を自分で見出しにくく、ここを耕していかないと、上位層の学びは止まったままになってしまいます。

放置が招くリスク

「分かっているんだから待っときなさい」「分かっているなら教えてあげなさい」程度の働きかけで終わってしまうとき、何が起きるでしょうか。

賢く、エネルギーを持ち、敏感な子どもたちが、学校で学習に絶望する。子どもたちにとって、学校は初めて接する社会です。学習に絶望するということは、社会そのものへの失望へとつながっていく可能性があるのです。これはロジックとして想定できる連鎖であり、断定はできませんが、考えておく必要があります。

内側に向かう力が強い子は、考えれば考えるほどネガティブな方向へ深まっていく。パワーを持て余した子どもたちが、自由を渡されるほど不穏な方向へ動いていく。「ある種妥当」な理由づけをしながら、本来あるべきでない行動を正当化して実行してしまうようなことも起こり得ます。そしてそれは、学級全体の雰囲気にも影響を及ぼします。

能力が高く、賢い子だからこそ、そのパワーが向かう方向が問われます。学力的には満足のいく成績を出していながら、実は吹きこぼれてしまっている子どもたちが、このような状況と接続していくベクトルを持ちやすいとしたら、放置することの代償は小さくありません。

薄い語りは見抜かれる

上位層の子どもたちは、教師の言葉をよく見ています。

「1ページなんだから1ページやりましょう。理由は分かりません。やれと言ったらやれ」——こういった薄い理由づけや一方的な押し付けは、賢い子どもたちには即座に見抜かれます。「この先生は、本気もなく自分の決めたことを他者に押し付けているだけだ」と判断されてしまう。語りに深みと誠実さがなければ、信頼は生まれません。

こうなると、賢くてパワーのある子どもたちとの歯車が噛み合わなくなります。学級生活はしんどくなり、子どもたちの学びを語る余地すら失われていきます。語りの質が、場の質を左右するのです。

大分析の視点
大分析の視点

学習を振り返るとき、どんな動きをしているか、どんな感情を持っているかを丁寧に見ることで、上位層の子どもたちが何に詰まっているかが見えてきます。「できている」という結果だけでなく、その子の現在地から見た景色を捉えることが、次の語りにつながります。上位層に向けた語りが薄くなるのは、教師がその子の現在地に十分に向き合えていないからでもあります。

自由だけでは足りない

「できる子には自由を渡せばいい」という単純な処方はうまくいきません。

自由を渡せば渡すほど、上位層のエネルギーが不穏な動きへと向かう可能性があります。自由の先に学びの構造がなければ、それは放任と変わりません。必要なのは自由そのものではなく、自由の中で子どもが進む方向性と、その意味を支える語りです。

「信じて、任せる」ということは大切です。ただし、それは丸投げではありません。自由の先に「説明できる・作る」という道筋を示し、その子の学びが教室の中で循環するような構造をつくることが、教師の仕事です。自由をそのまま渡して、あとは個人任せでは、上位層のエネルギーはうまく機能しません。

「できる」の先へ——説明できる、作る

では、上位層の子どもたちに何を示せばいいのでしょうか。

答えの一つは、「できるのあとは説明できる、説明できるのあとは作る」という段階を見せることです。「できる」は学びの出発点です。それを「説明できる」に変えていくことで、理解の深さが試されます。さらに「作る」へと進むとき、子どもたちは自分の学びを他者と共有できる形へと変換していきます。

熱の広げ方
熱の広げ方

ここで重要なのは、熱がどこへ向かうかです。その子の賢さが一人で突っ走る方向ではなく、教室の誰かの助けになる構造をつくることが鍵になります。入試問題を一人でどんどん解き進んでいく、という形ではなく、「説明できる・作る」というプロセスを通じて、その子の知識と力が教室の中に循環していく仕組みをつくる。賢い子が一人で頂上へ駆け上がるのではなく、その足跡が誰かの一歩の助けになる——そういう場の質をつくることが、上位層と教室全体の双方にとって意味を持ちます。

これはとても難しいことです。しかし、この構造なくして、上位層の子どもたちが学習の面白さと難しさに出会い、その賢さが教室全体の力になっていくことは難しいでしょう。

おわりに

学力上位層の子どもたちは、「問題のある子」ではありません。賢さや敏感さ、パワーを持っている子どもたちが、その力を生かせる学びの場に出会えていないとき、教室の歯車がずれていきます。

下位層への支援と同様に——いや、見落とされやすいぶんだけ丁寧に——上位層に「現在地からの一歩」を見せること、そして「自分で自分を一歩前に進める感覚の尊さと面白さ、難しさ」に出会わせることが、教師に求められています。

できる子を放っておかない。その子の賢さを、教室の誰かの力にしていく。それがけテぶれを通じた学びの場づくりの、一つの核心にあります。

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