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人格の完成図を読み解く:本来の自分に近づく学びの循環

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教育基本法第1条は「教育は人格の完成を目指し」と始まる。では、人格の完成とはどのような姿を指すのか。葛原メソッドが描く「人格の完成図」は、左右二つの同心円が連動する構造を通じて、この問いに答えようとしている。右側には自己理解を核として自己調整・粘り強さ・資質能力が広がり、左側には自律から協力・協働へ広がる他者との関係性が描かれる。そして二つの円が互いに深め合いながら、「自分が自分であるとき最も輝く」という状態に近づいていく——そう位置づけた教育モデルが、この図の骨格である。

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人格の完成をどう捉えるか

教室で行われるすべての取り組みは、人格の完成に向かっていなければならない。けテぶれの一コマも、朝の会も、漢字テストも変わらない。だとすれば、指導者としてまず問われるのは「あなたにとって人格の完成とはどんな姿か」という問いへの、自分なりの言語化だ。

人格の完成には二つの面がある。一つは、まだ未熟なところを社会人としての人格として育てていくという面。もう一つは、もともとその子の中にある本来の輝きを思い出させるという面だ。未熟なものを完成させるという視点だけに偏ると、関わりがどこかズレていく。 その子はそもそも素晴らしい存在であり、さまざまな経験や環境によって本来の輝きが曇ってしまうこともある——そういう見方もセットで持っておきたい。

子どもたちへの語りかけとして、「思い出す」という言葉を使うことがある。「獲得するのではなく、思い出す」というベクトルで関わるとき、自分の輝きをすでに持っている存在として子どもを見ることができる。どちらの見方が正しいというのではなく、今のその子においてどちらに重心を置いた声かけや関わり方が必要かを考えて使い分けることが大切だ。

人格の完成図
人格の完成図

もちろん、「思い出す」だけでいいわけではない。本来の自分の輝きは、努力なしに開花するものでもない。どれほどの才能を持って生まれた人であっても、反復的な経験や練習なしに花開くことはない。だからこそ「学校がある」のだ。この点は、次に述べる「あなたはあなたである時最も輝く」という言葉の理解にも直結する。

「あなたはあなたである時最も輝く」は、免罪符ではない

この言葉は、「今のままでいい」という意味ではない。

あなたはあなたである時最も輝く——ならば「あなたは今、本当にあなたですか」という問いが生まれる。本来の自分とのシンクロ率は何パーセントか、という問いと言い換えてもいい。何に対しても後ろ向きにしか考えられない、何もかもにサボってしまうという状態が、本来の自分の姿である可能性はきわめて低い。そこには「本当の君はそういう存在なのか」と問える余地がある。

あなたは最も輝く
あなたは最も輝く

先天的な特性は確かにある。しかし、それがそのまま100%開花するわけではない。自分の中に眠る宝を引き出すためには、「私が私であるための努力」が必ず必要になる。そして、自分がどんな宝を持っているかは、そもそも内側から直接見えない。開いて中身を確認することも、鏡に映すこともできない。だからこそ経験の中に自分を照射し、その反応を見る必要がある。「あなたはあなたである時最も輝く」は徹底的に問われるべき言葉であって、安心して立ち止まるための言葉ではない。

学校は自分についての情報を得る場でもある

学校で学べる最も大切な情報は、自分自身についての情報だ。

国語・算数・理科・社会をやる意味は、将来使う知識の習得だけではない。それぞれの教科・活動の中に自分を投げ込んでみることで、自分がどこに反応し、どこに熱を出せるかを確かめる機会になる。たとえその教科の知識そのものを将来直接使わなくても、「ここに自分の核があるかもしれない」という出会いが生まれる可能性がある。

ここで重要になるのが「自分でやる」という体験の質だ。先生にやらされている状態では、その経験の中に映るのは「やらされている自分」だけになる。本当の意味で「この領域に自分はどれだけ熱が出せるか」を確かめようとするとき、やらされている状態では条件が揃っていない。学びのコントローラーを誰が持っているかが、経験の質を決定づける。

指導者がコントロール権をすべて握ってしまうと、些細なきっかけ——たとえば先生との相性が合わないといったこと——で、その教科領域ごとを自分の中から排除してしまうことにもつながりかねない。だからこそ、ある程度の範囲を自分でやるという体験と、その体験を自分で振り返るという仕組みを意図的に作ることが大切になる。自由な中でこそ、本当の自分が顔を出す。

右側の円:自己理解を核とする重層構造

人格の完成図の右側には、内から順に「自己理解→自己調整→粘り強さ→資質能力」という同心円が描かれている。

核にあるのは自己理解だ。自分のことが分かっていないと、調整も粘り強さも発揮できない。どんなモチベーションの波があるか、どんな対処が自分にとって気持ちいいか——そういった自分についての知識がなければ、自分というものを操ることは難しい。乗り慣れない車をいきなり乗りこなそうとするようなものだ。

自己理解が深まってくると、それを調整できるようになる。自己調整学習とは、まさに「自己を調整する」ことである。そしてその調整の上に初めて、粘り強さが育つ。

自己調整を欠いたまま粘り強さだけを求めるのは危険だ。 エンジンの状態を無視してアクセルを踏み続けるようなもので、バーンアウトに直結する。学校でいい子を演じさせられ続けたまま、自分のモチベーションの乗りこなし方も学び方も分からないという状態で社会に放り出されてしまうケースは、自己調整・自己理解という層が育っていないことに起因することが多い。

指導者として子どもたちに関わる際、外側から見えやすい「資質能力」や「粘り強さ」だけに注目してしまいがちだ。しかし、その内側にある自己調整・自己理解という層が育っていなければ、真ん中がぽっかり抜けたまま外側だけが積み上がっていくことになる。

では外側から、どうアプローチするか。自己理解のような内的状態に直接手を差し伸べることはできない。だからこそ外側からのアプローチは、まず資質能力を示すところから始まる。けテぶれで言えば、「漢字テストで合格点90点を取りましょう」という目標を示すことが、最も外側の出発点だ。そこから量として粘り強く取り組み、次に質(自己調整)を考え始める。大分析を通じて「自分はどれくらい粘って、どれくらい調整しながら、どれくらいの結果が出るのか」という現在地を把握することで、自己理解の核に迫っていく——これが外側からのアプローチの流れだ。

左側の円:他者との関わりが自己理解を深める

自覚〜協働
自覚〜協働

人格の完成図の左側には、「自立→協力→協働」という同心円が描かれている。こちらは、個人の力が他者との関係に開かれていく構造だ。

資質能力が育まれると、その子が自律的に動ける範囲が広がる。自立心は「性格の問題」ではなく、技能・資質能力の問題として捉えたい。仲良くするスキルが育っていないから協力できないのだとすれば、「性格が悪い」ではなく「スキルが育っていない」という視点で見ることができる。そうすることで、教育的な手立てが見えてくる。

自立の次に現れてくるのが、他者との協力と協働だ。この二つは似ているようで異なる。

協力とは、それぞれが自分の目標を持ちながら共に進む関係だ。 たとえば「一緒に勉強しよう」という関係で、自分の取り組みが相手の目標達成に直接影響するわけではない。

協働とは、共通の目標と役割分担を持って進む関係だ。 理科の実験をみんなで行う、クラスで壁新聞を作るといった活動がそれにあたる。PBLや係活動も、この協働の範囲に入る。役割分担が発生するのが協働の特徴で、それぞれが自分の得意・苦手を活かして一つのゴールに向かう。

この協働の中でこそ、自己理解が深まる。目的に向かって役割分担をしながら他者と協働的に働くことで初めて、「自分ってこういう存在だったんだ」「こういうところに得意・苦手がある」ということが本質的に見えてくる。人との関係性の中で自己像が浮かび上がってくる、という側面を、この左側の円は描いている。

逆に、自己理解が深まっていると役割分担が進みやすくなる。自分の得意・苦手を把握しているから、「私はこれをやります」と言えるわけだ。右側の円と左側の円は、このように互いに深め合う関係にある。

二つの円が連動する

この図の核心は、右側と左側の円が「連動している」という点にある。

右側で自己理解・資質能力が育まれると、左側の自律・協力・協働の範囲が広がる。協働の中で他者と関わることで、右側の自己理解がさらに深まる。この往還が繰り返されることで、本来の自分とのシンクロ率が高まった状態——「自分が自分であるとき最も輝く」という状態——に少しずつ近づいていく。

学級経営の実感として、子どもたちが本当に自律的に動き始めるのは2学期後半あたりになることが多いが、それはこの二つの円の連動が時間をかけて積み上がっていく過程と重なる。4月の立ち上がり時期は、まず外側(協働的な活動)から始めるのが現実的だ。クラス全員が見える共通目標を設定し、役割分担が自然に生まれるような活動を作ることで、左側の円が外側から動き始める。右側はけテぶれ・生活けテぶれを通じて資質能力ベースの取り組みを積み上げる。この両輪が同時に動くことで、二つの円の連動が少しずつ実感されるようになる。

実践者として語れることを探す

人格の完成は、難解な教育哲学の概念であり、そのままの言葉で子どもたちに伝えることはできない。だからこそ、指導者は「人格の完成をどんな言葉で、どんな状態として子どもたちに示すか」を絶えず考える必要がある。「あなたはあなたである時最も輝く」という言葉も、その一つのチューニングの結果だ。

この図が示していることは、日々の算数の時間も、漢字練習も、グループ活動も、すべてが人格の完成に向かった一つひとつの営みとして位置づけられるということだ。どの一コマも切り捨てられるものではなく、子どもたちの本来の輝きを削り出し、磨き上げていくための大切な経験として語ることができる。

そのような語りを持てる指導者が増えることが、この図の存在意義でもある。「人格の完成とはどんな状態か」——まずはあなた自身の言葉で、問い直してみてほしい。

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