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「人格の完成図」を読み解く:自分らしく輝くための教育モデル

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教育基本法第1条には、「教育は人格の完成を目指し」とあります。では、人格の完成とは何でしょうか。

それは、未完成な子どもを大人が一方的に完成させる、という意味だけではありません。もちろん、社会の中で生きていくために教えるべきこと、育てるべき力はあります。しかし同時に、子どもはそもそも本来の輝きをもった存在であり、その輝きを思い出し、磨き出していく存在でもあります。

「あなたはあなたである時、最も輝く」という言葉は、ただの自己肯定ではありません。「そのままで何もしなくてよい」という意味でもありません。本当の自分とどれくらい一致しているのか。本来の自分とどれくらいシンクロできているのか。その問いを、日々の学習や学級での経験を通して深めていくことが、人格の完成へ向かう道筋です。

学校で学べる最も大切な情報は、自分自身についての情報です。算数、国語、理科、社会、係活動、学級活動、協働的な学び。その一つ一つの経験の中で、子どもは「自分は何に反応するのか」「どこで力が出るのか」「どこで人を頼る必要があるのか」を知っていきます。

人格の完成図は、その過程を、右側の「自己理解・自己調整・粘り強さ・資質能力」と、左側の「自律・自立・協力・協働」という二重同心円の連動として描いた教育モデルです。

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人格の完成をどう捉えるか

教育の営みは、いつどの場面を切り取っても、人格の完成に向かっている必要があります。授業も、宿題も、係活動も、朝の声かけも、振り返りも、すべてがそこにつながっているはずです。

ただし、そのためには、教師自身が「人格の完成とは何か」を自分の言葉で語れる必要があります。

人格の完成を、未熟な人格を完成させていく道のりとして捉えることはできます。子どもには、まだ知らないことがあります。経験していないことがあります。社会的なふるまいや、他者との関わり方を教える必要もあります。

しかし、それだけで子どもを見てしまうと、教育は「足りないものを埋める営み」だけになってしまいます。子どもを、常に未完成で、未熟で、何かを足されるべき存在として見続けることになります。

人格の完成には、もう一つの見方があります。子どもはそもそも本来の輝きをもっている。その輝きを、経験の中で思い出し、磨き出していくという見方です。

社会生活や人間関係の中で、本来の輝きが見えにくくなることがあります。強くコントロールされ続けたり、理不尽な経験をしたり、失敗を過度に恐れる環境に置かれたりすると、子どもは自分のよさを隠してしまうことがあります。

だからこそ、「本来の自分を思い出す」という言葉が必要になります。獲得するだけではなく、思い出す。外から何かを足すだけではなく、もともと内側にあるものを磨き出す。人格の完成図の中心には、この発想があります。

人格の完成図
人格の完成図

この図の中心にあるのが「人格の完成」です。そしてその左右に、二つの同心円があります。

右側には、自己理解、自己調整、粘り強さ、資質能力。左側には、自律、自立、協力、協働。これらは別々に存在しているのではなく、互いに行き来しながら深まっていきます。

「あなたはあなたである時、最も輝く」は努力不要ではない

「あなたはあなたである時、最も輝く」という言葉は、子どもに人格の完成を語るための、わかりやすい表現です。

ただ、この言葉は誤解される可能性もあります。「自分らしくいればよい」「努力しなくてもよい」「今のままで十分だ」という受け取り方です。

しかし、ここで大切なのは、「あなたは本当にあなたですか」という問いです。

本来の自分と、今の自分はどれくらい一致しているのか。自分の奥にある力や願い、反応と、今の行動はどれくらいシンクロしているのか。ここが問われます。

たとえば、何に対しても後ろ向きになってしまう。努力を避け続けてしまう。人との関わりから逃げ続けてしまう。その姿を見たときに、「それが本当のあなたなのですか」と問い直すことができます。

本来の自分には、何かに強く反応する力があります。エネルギーが湧く領域があります。けれども、それは何もしなくても自動的に開花するわけではありません。自分の中にある可能性を見つけるためには、経験が必要です。反復も必要です。試行錯誤も必要です。

「あなたはあなたである時、最も輝く」とは、努力を否定する言葉ではありません。本当の自分とのシンクロ率を高めていくために、自己調整学習を重ねていく言葉です。

あなたは最も輝く
あなたは最も輝く

この言葉を、子どもにどう語るか。どのタイミングで、どの表現で、どの経験と結びつけて届けるか。そこにも、教師自身の自己調整が問われます。

子どもにとって抽象的な「人格の完成」を、そのままぶつけても伝わりません。だからこそ、教師は言葉を選び、経験と結びつけ、日々の学習の意味として語っていく必要があります。

学校で学べる最も大切な情報は、自分自身についての情報

なぜ学校では、国語、算数、理科、社会など、さまざまな教科を学ぶのでしょうか。

「将来使わないから意味がない」と子どもが感じることもあります。実際、すべての内容を将来そのまま使うわけではありません。しかし、教科学習の意味は、将来の実用性だけでは測れません。

学校でいろいろな経験をする意味は、自分の中の反応を見ることにあります。

算数に向き合ったとき、自分はどう反応するのか。国語の文章を読んだとき、どこに心が動くのか。理科の実験で、どんな問いが生まれるのか。社会の学習で、どの問題に引っかかるのか。

自分の中身は、ふたを開けて直接見ることはできません。鏡に映すこともできません。だから、経験の中に自分を投げ込む必要があります。そして、その経験に映った自分の反応を見るのです。

学校で学べる最も大切な情報は、自分自身についての情報です。

これは、教科内容の価値を軽く見るということではありません。特に義務教育の教科は、社会の基盤となる知識や考え方として重要です。国語、算数、理科、社会には、それ自体に学ぶ価値があります。

そのうえで、もう一つの価値があります。子どもがその内容に自分で向き合い、自分で動き、自分で振り返ることで、「自分はこの領域にどう反応するのか」を知ることができるのです。

やらされる経験だけでは、本当の反応が見えにくい

ここで重要になるのが、主体感です。

教師にやらされるだけの経験では、その経験に映るのは「やらされている自分」です。すると、その教科や活動に対する本当の反応が見えにくくなります。

たとえば、算数が本当は好きかもしれない子が、教師との関係や授業の進め方によって、「算数は嫌いだ」と思い込んでしまうことがあります。内容そのものへの反応ではなく、「やらされている感じ」や「先生との相性」への反応が、教科全体への評価にすり替わってしまうのです。

これは、とてももったいないことです。

子どもが「自分として算数を学んでいる」「自分として国語に向き合っている」と感じられなければ、その経験から自分自身についての情報を得ることは難しくなります。

だからこそ、学びのコントローラーをすべて教師が握ってしまわないことが大切です。もちろん、完全な放任ではありません。必要な枠組みや目標は示します。しかし、その中で「自分でやる領域」を確保する必要があります。

自由な中で、本当の自分が顔を出します。

ある程度の自由の中で自分でやってみる。計画してみる。調整してみる。振り返ってみる。その経験を通して初めて、子どもは「これは自分に合っている」「ここでは力が出る」「ここは助けが必要だ」と感じ取ることができます。

右側の同心円:自己理解から資質能力へ

人格の完成図の右側には、自己理解、自己調整、粘り強さ、資質能力という同心円があります。

中心にあるのは自己理解です。自分のことがわかっていなければ、自己調整はできません。

自己調整学習とは、自己を調整する学びです。では、その自己について、子どもはどれくらい詳しいのでしょうか。自分が何に向いているのか。どんなときにモチベーションが上がるのか。どんなときに疲れやすいのか。どんな方法なら続けられるのか。

自分についての情報がないままでは、自分を乗りこなすことはできません。

自己理解が進むと、自己調整が可能になります。自分の状態を見て、進め方を変える。量を増やす。減らす。休む。やり方を変える。助けを求める。こうした調整ができるようになります。

そのうえで、粘り強さが意味を持ちます。

粘り強さだけを外から求めると、自己理解や自己調整が抜け落ちてしまいます。すると、頑張り続けることが目的化し、バーンアウトや漂流につながる危険があります。

学校文化では、粘り強さや資質能力は見えやすいものです。「もっと頑張ろう」「最後までやろう」「力をつけよう」と言いやすい。しかし、それだけでは外側の層ばかりを求めることになります。

学習指導要領3観点でいう「学びに向かう力」にも、粘り強さと自己調整は関わります。だからこそ、粘り強さを単独で扱ってはいけません。自己理解を核にし、自己調整を経て、粘り強さが育ち、その結果として資質能力が伴ってくる。この順序を見失わないことが大切です。

外側から内側へ迫る教育的アプローチ

一方で、教師は子どもの内側に直接手を入れることはできません。

「今から自分を理解しなさい」と言っても、子どもはすぐに自己理解できるわけではありません。「自己調整しなさい」と言っても、何をどう調整すればよいのかわからないこともあります。

だから、教育的アプローチは外側から始まります。

まず、資質能力を示す。たとえば、漢字テストで一定の点数を目指す。算数でここまでできるようにする。文章をここまで読めるようにする。外側に見える目標を示すのです。

次に、そこに向かって粘り強く取り組む。量を積む。続ける。試す。

そのうえで、自己調整が入ります。毎日同じ量をやる必要があるのか。どこは減らせるのか。どこは増やすべきなのか。自分の結果を見ながら、やり方を調整する。

そして、その過程を振り返ることで、自己理解に近づいていきます。

ここで大分析や振り返りが重要になります。テストの結果が出たときに、点数だけを見るのではなく、「自分はどれくらい取り組めたのか」「どんな方法が合っていたのか」「どこで調整が必要だったのか」を見ます。

現在地を知ることは、自己省察の入り口です。

教師が外側から示した資質能力や量の経験を、子どもが自分の内側へ返していく。そのために、フィードバックや振り返りの場が必要になります。

左側の同心円:自律・自立から協力・協働へ

人格の完成図の左側には、自律、自立、協力、協働という同心円があります。

右側で育った資質能力は、左側の自律や自立につながります。自分で自分を動かす力が育つと、自分で考え、自分で行動できる範囲が広がります。

ここで大切なのは、自立を「一人で何でもできること」と捉えすぎないことです。

人には、それぞれ凸凹があります。得意なこともあれば、苦手なこともあります。強く尖っている部分もあれば、へこんでいる部分もあります。それが、その人らしさでもあります。

自立とは、自分の凸凹を理解したうえで立つことです。得意なところでは人を助ける。苦手なところでは人を頼る。その両方ができることです。

自分で立つからこそ、他者と関われます。自分を理解しているからこそ、人を助けることも、人に助けを求めることもできます。

その先に、協力と協働があります。

協力とは、それぞれの目標に向かって、共に進む関係です。たとえば、算数のテストに向けて一緒に勉強する。それぞれの目標は個別にありながら、励まし合い、支え合う関係です。

協働は、それとは異なります。協働は、共通の目標に向かって役割分担が発生する関係です。理科の実験を一緒に進める。社会の壁新聞を作る。係活動やPBLの中で、一つのゴールを共有し、それぞれが役割を担う。これが協働的な学びです。

協力と協働は同じではありません。協働には、共通の目標と役割分担があります。

協働は自己理解へ戻ってくる

協働は、自己理解と深くつながっています。

自分は何が得意なのか。どの役割なら力を発揮できるのか。どこは苦手で、誰に頼る必要があるのか。こうした自己理解があると、役割分担は進みやすくなります。

同時に、協働することで自己理解が深まります。

他者と一緒に一つの目標に向かうと、自分の特徴が見えてきます。自分は段取りが得意なのか。アイデアを出すのが得意なのか。人の意見を整理するのが得意なのか。逆に、どこでつまずきやすいのか。

人との関係性の中で、自分が見えてくるのです。

だから、左側の同心円は、右側の自己理解へ戻っていきます。自律し、自立し、協力し、協働する。その中で自己理解が深まり、また自己調整や粘り強さ、資質能力へとつながっていく。

これが二重同心円の連動です。

学級づくりでも外側から始められる

この考え方は、学級経営にもつながります。

学級が始まったばかりの時期に、「自分で考えて自分で行動しましょう」と求めても、子どもにとっては難しいことがあります。新しい先生、新しいクラス、新しいルールの中で、子どもたちはまだ基準を探っています。

そのような時期には、むしろ協働的な活動から始めることが有効な場合があります。

たとえば、配られた教科書をクラス全員に行き渡らせる活動があります。ひもを切る子、包みを開ける子、配る子、ゴミを集める子。それぞれが状況を見ながら役割を担い、一つの目標に向かって動く。

これは、協働です。

明確な目標があり、役割分担が生まれ、子どもたちが互いの動きを見ながら活動する。こうした経験を積むことで、学級の中に協働の土台ができます。

その土台の上で、少しずつ自律的な行動が広がっていきます。最初から内側の自律だけを求めるのではなく、外側に見える協働的な活動から入り、そこから自立や自律へ迫っていく。発達支持的生徒指導の視点からも、この順序は重要です。

日々の小さな活動が人格を磨き出す

人格の完成というと、大きく抽象的な言葉に聞こえます。しかし、実際には日々の小さな活動とつながっています。

1時間目の算数の計画を立てる。今日の学習を振り返る。漢字テストの結果を見て、次の取り組み方を考える。係活動で役割を担う。友達と一つの目標に向かって動く。

その一つ一つが、人格を磨き出す営みです。

子どもが自分で経験し、自分で振り返り、自分の現在地を知る。その中で、自分の反応を見つめ、調整し、他者と関わりながら、自分の輝き方を知っていく。

教師は、その意味を語れる必要があります。

「この振り返りは、点数を上げるためだけではありません」 「この計画は、宿題をこなすためだけではありません」 「この協働は、活動を終わらせるためだけではありません」 「あなたがあなたとして、どう力を発揮するのかを知るための経験です」

この語りがあることで、日々の学習は人格の完成につながるものとして位置づきます。

人格の完成図が示す教育の循環

人格の完成図は、子どもを一方向に育てる図ではありません。

右側では、自己理解を核に、自己調整、粘り強さ、資質能力へ広がります。外側からの教育的アプローチとしては、資質能力や量から始まり、振り返りや大分析を通して内側の自己理解へ迫ります。

左側では、自律や自立が、協力や協働へ開いていきます。人を助け、人を頼り、共通の目標に向かって役割を担う中で、自己理解はさらに深まります。

そしてまた、深まった自己理解が、自己調整学習を支えます。

この循環の中で、子どもは本来の自分と出会っていきます。自分は何に反応するのか。どこで力が出るのか。どうすれば続けられるのか。どこで人とつながれるのか。

人格の完成とは、子どもを外から完成品に仕上げることだけではありません。

本来の自分を思い出し、経験の中で磨き出し、他者と協働しながら、自分らしく輝いていくことです。

そのために、学校には多様な教科があり、学級活動があり、振り返りがあり、フィードバックがあり、教師の語りがあります。

日々の小さな学びの中に、人格の完成へ向かう道筋はすでにあります。教師の仕事は、その道筋を見失わず、子ども自身が自分で歩けるように、経験と言葉と現在地を丁寧につないでいくことです。

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