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「ちゃんとやらない子」と対立しないための教育的合気道

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授業中に座らない、やらない、反抗的な態度をとる子どもと教師がいがみ合う関係になると、本当に伝えたいことは何も届かなくなります。大切なのは、学習者としての子どもと全体の学びを保障すべき教師という「立場」の対立と、人と人としての関係を切り分けることです。この記事では、対立を生まずに全体の学びを守る「教育的合気道」という発想と、信頼を育てながら線引きを保つ具体的な関わり方をお伝えします。

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対立しているのは「立場」であって「人」ではない

学級には毎年、言ってもやらない子、不真面目にする子、反抗的な姿を見せる子がいます。全体の学習権を保障するために声をかけ、他者の学びを邪魔している場合には止めなければなりません。それは教師の仕事です。

けれど、その対立の構図が強調されすぎると、教師とその子の人間関係そのものが壊れていきます。「もういがみ合っている」という状態になったとき、問題行動へのどんな働きかけも、本当に届けたいメッセージも、届くはずがなくなります。

ここで切り分けて考えたいのは、教室にいる「学習者としての子ども」と「全体の学びを保証すべき教師」という立場の対立があるだけで、あなたと私という人間的なつながりにおいてはその対立はない、ということです。あなたはあなたで素晴らしい。私は私で素晴らしい。その関係性において、二人は対立していない。このベースがないと、どんな指導も通り抜けていきます。

だから休み時間には普通に仲よく関わり合える、朝のあいさつは変わらずできる、という状態をまずは目指す。それが、あらゆる関わりの土台になります。

「教育的合気道」という発想

指導的な場面で過度に対立してしまうと、相手を打ち負かそうとするボクシング的な関わりになりがちです。相手のパンチをかわしながら自分のパンチを当てる、ノックアウトさせてやるんだ、という発想です。こうした関わりは、多くの場合、人間関係そのものを壊してしまいます。

そこで意識したいのが「教育的合気道」という発想です。相手の意欲や行動、行為意図を確実に汲み取り、その流れに沿いながら、少しずつベクトルを変えていく。 どこかのポイントでクッと力を入れると、コロンと向きが変わる。打ち負かすのではなく、流れを読んで、そっと向きを変えていく関わり方です。

座らない、やらない、ずっと手遊びをしている。そういう姿は一旦見ておく、泳がせる、でも目は離さない。相手の人としてのあり方がだんだん分かってきて、自分の存在と少しずつ調和が取れてくる感覚を目指します。これは諦め・放任とは根本的に違います。全体が破綻しない程度の最低限の線を守りながら、その中でできる限りその子のあり方を認めていく、という積み重ねです。

全体の線引きと「現在地」を認める語り

全体の学びを守るために外せない線があります。それは「人の邪魔をしない」という一点です。この線を越えた場合には、迷わず関わります。

けれどもその線の内側では、その子の自己選択・自己決定をできる限り認めるというのが基本姿勢です。鉛筆をカラカラと鳴らすくらいなら、周りが少し頑張れば受け入れられるかもしれない。この線引き自体も、その子の「あり方」をちゃんと認めてあげられるものでありたい。今この子はこの子として、一生懸命自分の気持ちと体のバランスを整えて生きようとしている。その意味では100%その子を肯定している、というくらいの認識で関わります。

熱の広げ方
熱の広げ方

そして同時に大切にしたいのが、クラス全体への語りです。特定の子だけを特別扱いしているように見えないために、全員に向けて語ります。「みんなも一生懸命生きている。それぞれに気持ちと心のバランスがあって、そのバランスが保てているから今こうして学んでいる。もしそのバランスが崩れたら、勉強なんてできない。彼は今そのバランスを取り戻そうとして、一生懸命生きている。それは否定されるべきことでは全くない。みんなも彼も、全く同じ状況なんだ。」

彼だけ特別扱いでずるい、という話ではありません。今現在地が違うから、やるべき内容が違って当たり前なのです。でも全員が、それぞれの現在地から一歩進もうとしている。 そういう場であることを、折に触れて全体に語り続けることが、一人のその子に向けても、クラス全体にとっても、学びの空間を作る土台になります。

その日を逃さないフィードバック

こうした関わりを続けていると、あるとき、たまたまその子が穏やかに一日を過ごせる日が来ます。興味のある本が見つかって、友達にちょっかいをかける気なく過ごせた。タブレットを開いて、一日気持ちよく過ごせた。そういう日です。

そのタイミングを逃さずに、その子にフィードバックをします。「今日、嫌な気持ちにならなかったよね。なぜかといったら、先生とあなたが対立するシーンがなかったでしょ。人の邪魔をしないという一点を乗り越えなかったから。こっちの方が心豊かに、落ち着いて一日過ごせたんじゃない?」

このときの語りは、説教ではありません。あなたにとってその方が心地よかったはずだ、という事実を、その子自身に気づかせる問いかけです。こういうことを丁寧に重ねていくことで、その子の中に「邪魔しない方が自分にとっても良い」という実感が少しずつ積み重なっていきます。

信頼の兆候を読む

関わりを続けていくと、5月・6月ごろには変化の兆しが現れてきます。その兆候として特に大切にしているのが、目が合った瞬間の表情です。

目が合ったとき、その子の表情がふっと緩む。怖ばらない。微笑み返してくれる。こういった反応が出始めたとき、信頼が育ち始めているサインです。

心マトリクス
心マトリクス

この目が合ったときの表情は、関わりに手がかかる子だけでなく、学級全員に対しても大切にしている指標です。給食のとき、ぼんやりしているとき、ふっと目が合った瞬間に表情がどうなるか。そこにほほ笑みが返ってくれば、「先生は自分の自由を侵害しないし、自分という存在を否定してこない」という認識がその子に育っている状態です。さらにふざけて変顔をしてみたり、軽くノンバーバルなやりとりができるようになれば、心理的安全性という意味でその関係性は確かなものになっています。

クラス全員とこれができるかどうか。そこを一つの目安にしています。誰と目が合っても必ずほほ笑みが返ってくる、その状態が学級の場の質を表す一つのバロメーターになります。

安心した後に来る「一線を越える瞬間」

信頼が育ち、その子が安心して脱力し始めると、やがて「ふっと前重心になる」瞬間がやってきます。後ろ重心で防御に入っていた子が、力が抜けてきた後に、好き放題が許されると勘違いして一線を越えてくる瞬間です。

これはある意味で自然なことでもあります。エネルギーを押さえ込まれてきた子が「大丈夫だ」と思った瞬間、最初に怒られる前の姿に戻ろうとするのです。ずっとガードを上げて防御していたのに、あれ安心できるぞとなった瞬間、最初の好き放題が出てくる。

これが教育的合気道の核心となる瞬間です。 その子も一線を越えている自覚がある。こちらもそう判断できる。この二つが重なった瞬間に、グッと力を入れます。一撃で決めようとせず、ちょいちょいと甘えが出始めた段階から少しずつ制し、体重を前に移してはまた戻す、という時期も経た上で、確かなタイミングを待ちます。「あなたのすべてが受け入れられるということでは全くない。ここは全員が現在位置から一歩進むための場だ」という思いを、そこで一気に届けるのです。

準備した言葉で届ける

この瞬間のために、教師はあらかじめ言葉を準備しておく必要があります。

ちょいちょいと甘えが出始めたな、一線を越えるタイミングが近いな、と感じ始めたころから、頭の中でシミュレーションを重ねておきます。何のために、何の意図で、どんな気持ちでこの子の行動を見てきたのか。今までのあなたの行動が認められていたのは、あなたにとって必要だったから。あなたの心が修復されないと、本来の形は取り戻せない。そう認識していた。でも今のこの行動は、あなた本来の姿を取り戻すためのものか、それとも遊び心や甘えからの行動ではないか。——そこまでを、セリフとして、論理として、構成として頭に用意しておく。

「ガンといった時に、これが一気に再生できるように。」 この準備の積み重ねが、その瞬間を生かすかどうかを分けます。

そのタイミングが訪れ、準備した言葉が届いたとき、信頼関係は一気に深まります。そこからは1年、その関係性が学びの土台になっていく実感があります。一人との関係が結べたら、次の子、また次の子と、それぞれの現在地に応じた向き合いを積み重ねていく。それが、クラス全体の場の質を少しずつ育てていくことにつながっていきます。

おわりに

「ちゃんとやらない子」との関わりは、その子を打ち負かしたり、主従関係を作ったりするためのものではありません。人と人として対等な関係を保ちながら、全体の学びを守る最低限の線を引き、その子の現在地を認め、信頼を育てていく。 やがて信頼が深まり、一線を越えた瞬間に、教師の思いを準備した言葉で届ける。

個々のケースはさまざまで、すべてにそのまま当てはまる万能な手法ではありません。けれど多くの場合、この発想を土台に置くことで、対立を最小限に抑えながら関係を育てることができる。それが「教育的合気道」という概念が指し示していることです。

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