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失敗は学びの入口になる:生産的失敗を授業に組み込む

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「失敗は避けるもの」ではなく、授業設計に組み込むべき学びのプロセスである。学習科学の概念「生産的失敗(Productive Failure)」は、先に一度やってみることで学びが自分ごとになり、その後の教師の語りやフィードバックが深く届くようになるという考え方だ。ただしこれは丸投げではない。けテぶれやQNKSといった学び方の型を先に手渡してこそ、「やってみる」が本物になる。学習方法は教師が先、学習内容は子どもが先——この順序が、教室の主体性を育てる構造になる。

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生産的失敗という考え方

前回の放送では「PFL(未来の学習のための準備)」を取り上げました。演習の後に説明するのではなく、活動に先に身を浸すことで、その後の学習が深まるという考え方です。

今日のテーマである生産的失敗(Productive Failure)は、それと方向性を同じくする概念です。ある研究者が2014年の論文で、学習の前に一度やってみることで学びが深まる理由として、次の4つを挙げています。

1. まず自分でやってみることで、主体性が高まり問題解決活動に取り組むようになる 2. 学習したい内容に関連する既有知識が活性化される 3. 自分で解いてみることで、既有知識とのギャップに気づく 4. 自分の解法と正しい解法を比べることで、知識の重要な部分に着目する

失敗が「宝庫」になるのは、このプロセスが働いているからです。やってみることで「自分ごと」になり、教師の後からの語りやフィードバックが、子どもの内側に刺さるようになります。

また、「自分でやってみる→ギャップに気づく→正しい解法と統合する」という流れは、単に答えに近づくだけでなく、学習の主体感を根っこから育てることにつながります。中教審が取り上げるエージェンシー(主体性)の育成も、突き詰めると「まずやってみる」というこの一点に行き着くと言えるでしょう。

「やってみる」は丸投げではない

「主体的に学ばせたい」と思ったとき、問題を渡してとりあえず解かせるだけで終わることがあります。しかしそれは、本質的な「やってみる」とは言えません。

「学ぶ」という行動を分解すると、「やってみる」と「考える」という二つの動きに分かれます。どちらも、方法や型を持って行うことではじめて成立します。

やってみる⇆考える(学ぶ)
やってみる⇆考える(学ぶ)

問題を解いておしまい、フィードバックなしでバラバラっと進める授業では、「やってみる」の本質的な部分が実現できていません。友達と話し合っているけれど、それがQNKSのどのフェーズなのかが分からないまま言葉を出し合っているだけでは、「考える」とは言えないのです。

「まずやってみましょう」と声をかけることと、子どもが本当にやってみていることは、別のことです。

そこには指導が必要です。「やり方を教えてあげていないから難しいのだ」という視点を忘れてはいけません。1回2回のイベント的な活動ならまだしも、月曜1時間目から金曜6時間目まで、全教科でこの呼びかけに子どもが答えられるかどうかは、日々の学習文化として積み上げられるものだからです。

学習方法は教師が先、学習内容は子どもが先

生産的失敗を機能させるための肝は、次の原則にあります。

学習方法については教師が先、学習内容については子どもが先。

学習方法——どうやって考えるか、どうやって学ぶか——は、教師が先に型として示す必要があります。けテぶれやQNKSがその代表です。これらの型をしっかり手渡してあるからこそ、子どもは「まずやってみる」が本物になります。型があることで、自由が放任にならず、主体的に動きながらも学びに向かっていられる。

けテぶれ×QNKS
けテぶれ×QNKS

一方、学習内容——何を学ぶか、どこまで進むか——については、子どもが先に動き、教師が後からサポートする構造にします。「分からないところはサポートするからね」と声をかけながら、子どもが先に行くことを後押しする。この順序が、学習の主体感を大きく育てます。

「好き放題・勝手放題」にならないための整え方は、教科書、単元の大まかな見通し、目的・目標・手段の共有といった枠組みで担います。その枠の中で、子どもが先に動き、教師が後から見取り、必要なところで支えるという構造が成立するのです。

教師の説明は「後出し」だから滑らない

「説明してから演習する」という授業の流れに慣れている方は多いでしょう。それを全面的に否定するわけではありません。しかし、子どもがまだ何もやっていない状態で「ノート開いて、今日は9ページからね。はい、みんなで読みましょう」と始まる全体指導は、空回りしやすいという現実があります。

子どもが先に取り組み、つまずきが教室に広がった状態で初めて「ちょっと聞いて、ここがポイントだよ」と指さしたとき、子どもの反応が変わります。「そこ、そこそこ!」という手応えが返ってくる。それは、認知的なギャップがある状態だからこそ、教師の言葉が焦点化されて届くからです。

これは前回のPFLと同じ論理です。単線型の授業が機能するのは、子どもの側に「そこが知りたかった」という状態が作られているときです。後出しだから滑らない。

教室を見回りながら状況を見取り、教科書で自己解決できている子にはそのまま任せ、解決できていない子には直接教えたり、子ども同士をつないだり、読み方を教えたりといった選択肢が浮かんでくる——その判断と関わりこそが、教師の仕事の中核です。

体育の試合から全教科へ

この構造は、体育の授業でイメージするとわかりやすくなります。

自由進度的な体育の授業で、基礎練習・ミニゲーム・試合といったゾーンを設けて、子どもたちが行き来できるようにします。こういった場で、運動が苦手で試合を避けがちな子が、自分から試合のゾーンに入っていくことがあります。

理由を聞くと「まずやってみないと、自分に何が足りないか分からないから」と答えます。試合の中でパスができないことに気づき、それを受けて練習の意味が変わる。「パスの練習をしましょう」と先に言われるよりも、自分でつかんだ課題として向き合えるようになります。練習への取り組みが、まるで別物になるのです。

また、上手な子が苦手な子に「今シュート打て」「パス出すから走って」と声をかけ始めるような温かい関係性も、こういった構造の中から自然と生まれてきます。

これは体育に限った話ではありません。算数でも、国語でも、「先にやってみる→ギャップに気づく→焦点化された練習や指導を受ける」という流れは共通しています。国語の手引きを使って自分なりの答えを作り、交流し、先生のフィードバックで解釈を深め直す。算数で繰り上がりのところで詰まり、そこで教科書を読み直したり、先生の指先を追ったりする。全教科でこの仕組みが機能するときに、初めて教育の軸足が変わっていくと言えるでしょう。

生産的失敗が機能する条件

ここまでをまとめると、生産的失敗が本当の意味で機能するためには、いくつかの条件が重なる必要があります。

  • 学び方の型(けテぶれ・QNKS)が手渡されていること
  • 「やってみる」と「考える」が本質的に行われていること(問題を解くだけ・話すだけでは不十分)
  • 教師が後から見取り、必要なところで語りやフィードバックを入れること
  • 自己解決の時間と、全体で焦点化する場面の両方が意図的に設計されていること

失敗させればいい、という話ではありません。失敗を入口にするための設計があってこそ、子どもの主体感と理解が深まります。

けテぶれが漢字の学習から始まり、やがて全教科・全場面に広がっていく実践の流れは、まさにこの「まずやってみる」文化を丁寧に育てていくプロセスでもあります。まずは自分の学級の中で、一つの単元、一つの場面から試してみてください。

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