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けテぶれの輪を無理なく広げるために大切なこと

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けテぶれ実践の輪が広がってきた今だからこそ、広げ方の姿勢を問い直す必要があります。実践が盛り上がるほど「全員を巻き込もう」という意識が強まりがちですが、発芽したばかりの芽を急いで引っ張り上げると枯れてしまうことがあります。けテぶれという名前や方法を押しつけるのではなく、同じゴールを別の言葉で目指す実践を尊重しながら、整理された言葉を共有して切磋琢磨できる仲間をつくること──それが、広げることの本当の意味です。

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5年の積み重ねが生んだ現在地

けテぶれ実践を数年来続けてきた方々が集まった交流会で、実践環境の変化が話題になりました。

始まりのころは、交流会に数人しか集まらず、入りにくい雰囲気もあったといいます。心マトリクスについて資料を探しても「どこにもない」と言われ、それでも自分で考えて、独学で作って、壊してきた──そんな骨太な実践者たちが、創世期を支えてきました。

今、その方々は「説明する」「作る」という段階まで到達しています。螺旋上昇の枠組みで言えば、習得→活用→探究のプロセスを経て、地に足のついた資料を自分の手でつくり、他者に届けられるまでになっている。どの資料を見ても「この方の考えが一回通っている」とわかる。思索と試行錯誤から結晶化された資料が増えてきた。これが現在の実践の層の厚さです。

大きくけテぶれ実践を俯瞰したとき、日本を一つの教室として見立てると、今はちょうど4月のような人数比になってきた──というのが、この時期の現在地です。様子を見ている層があり、まだ戸惑っている層もある。しかし一方で、光を放ち始める層がはっきりと顕在化しつつある。

語りが連鎖して、輪が広がっていく

なぜけテぶれの輪が広がってきたのか。その答えはシンプルです。

SNSやさまざまな場で、実践者が語り続けてくれたからです。

一人が「けテぶれいいよ」と言う。それを見た別の誰かが「二人が言っている」と受け取る。その様子を見たさらに別の誰かが「三人が言っているなら」と動き始める。

熱の広げ方
熱の広げ方

これが熱の広げ方の連鎖です。一人の語りが、別の一人の受け取りを生み、また語りが生まれる。この連鎖こそが、実践の輪を広げてきた原動力です。逆に言えば、語りがなければ続かない。誰かが言い続けてくれるから、言い続ける側も続けられるのです。

批判や違和感の声が出ることもあります。しかしそれは、正当な批判にさらされながらも説得力が残るかどうかを、見ている人たちが判断する場でもあります。それでもなお「やはりけテぶれだ」と言ってくれる人が残るから、実践は続いてきた。批判は排除すべきものではなく、実践の強度が試される場所でもあるのです。

「全員巻き込もう」という意識の落とし穴

実践が盛り上がるほど、注意が必要なことがあります。

「全員を巻き込もうとする」意識が高まりすぎることです。

全員に届けたい、のけ者にしたくないという思いは素晴らしいものです。しかし無理に巻き込まれることで、本当に嫌になってしまうケースもあるということを、想定しておかなければなりません。

種を植えて、ちょうど芽が出始めたところで「いいね」と言って引っ張り上げてしまう。根ごと土から出てきてしまって、枯れる。この事態は、教室でも職員室でも起こり得ます。

実践が盛り上がっている今こそ、「全員を急いで巻き込もうとする意識をどこまで強く持つか」を自己点検する時期です。

変化に対して強い人もいれば、苦手な人もいる。それは意欲が低いのではなく、発芽の条件がそれぞれに違うということです。温度と水分が揃った時に、それぞれのペースでポコッと出てくる。この発芽のリズムを尊重することが、信じて、任せて、認めるという関わりの核心にあります。

長期的に見れば、無理やりやらされてうまくいかず「二度とやらない」という枯れ方をしてしまっては、その人にとっても子どもたちにとっても意味がありません。豊かにほったらかすという言葉が表すように、それぞれのペースで育つことを信じる姿勢は、実践の普及においても変わらず大切です。

同じゴールを、別の言葉で目指している

ある実践交流会の発表で、一つの比喩が語られました。

教育を球体として見ると、みんないろんな角度から同じ球体を見ている。

角度が違うから、向こうの角度と私の角度が対立しているように見える。でもよく見ると、どこから切り取っても面は球であり、結局同じものを見ている。

自立した学習者を育てたい、人格の完成を目指したい──言葉は違っても、描いているゴールはほぼ重なっています。けテぶれもその一つの角度から見た実践に過ぎません。だから、別の名前や方法で同じゴールを目指している実践を「それもけテぶれだよね」とひとくくりにするのは、避けるべきです。

そう言われると、気分が悪い。自分のやり方でやっている人にとっては、当然の反応です。

目的・目標・手段の整理で言えば、目的は共通でも手段は柔軟でよい。別の言葉で実践してきたクラスを引き継いだとき、その言葉ごと受け取って実践を続けることができる。それほどの柔軟さで、実践の輪の外縁を見ることが大切です。

職員室での広げ方──マイルドと積極的の二段構え

では具体的に、職員室でどう広げていくか。二つのアプローチがあります。

一つは、低負荷の知らせ方です。

どの職員室にもある回覧文書に、自分の学級通信や一枚要約の資料を挟んで回す。誰もじっくり読まなくても、ふと目に留まった同僚が「見ましたよ」と声をかけてくれる。そこから授業参観につながる。知るという最初の一歩は、認知的・精神的な負荷が低い形で届けるほうが、受け取ってもらいやすいのです。

もう一つは、学校の公的文脈に沿った積極的なアプローチです。

学校全体で取り組まなければならないテーマがあるとき、そこに結びつけて説明する方法です。情報活用能力を分解するとQNKSと重なる。生徒指導提要が示す自己指導力は、けテぶれや心マトリクスの考え方と接続できる。研修のデザインに、学校の公的な目標と文科省の資料を紐づけることで、「本校でやるべきこととこの実践はつながっている」という文脈が生まれます。

ここで一点、注意が必要です。ロジックが正しくても、受け止められなければ届きません。どれほど正確な説明でも、アプローチが相手に合っていなければ、むしろ距離が生まれることがある。 この点は、子どもへの関わりと変わりません。

実践の姿で語り、仲間が生まれる

知らせるだけでなく、実践の姿で語ることも大切な広げ方です。

授業を公開する。研究会で発言する。そこで「面白い」と感じた同僚と、使っている情報源や学び方の見方・考え方がつながっていく。そのつながりの中で、職員室に仲間が生まれます。

学びの階段
学びの階段

同じ職員室に、教育的に切磋琢磨できる仲間がいることは、オンラインのつながりと比べても格別に強いものです。

1日8時間、同じ地域の子どもたちを前に働く仲間と、実践の言葉を共有できるなら、それは日々の授業を深めるうえで大きな支えになります。

職員室全体で共通のビジョンを丁寧に言語化しなくても、教師として教職に就いた人がそれぞれに描いているゴールは、大きくはずれていません。目指す子ども像がほぼ重なっているなら、手段の話から入ることもできる。そのための語りとフィードバックの場として、実践の交流は機能します。

広げる目的は、切磋琢磨できる関係をつくること

けテぶれの輪を広げることの目的は、「全教師を正しい方向へ導く」ことではありません。

整理された言葉を共有して、磨き合える関係をつくること。

それぞれのペースで発芽してくる実践を見守りながら、語り、フィードバックを重ねながら、同じゴールに向かう仲間と言葉を交わしていく。その積み重ねが、実践の文化をじわじわと育てていきます。

盛り上がっているときこそ、急がない。引っ張り上げない。違う名前を尊重する。そして、正しさを押しつけるのではなく、一緒に考えられる関係を先につくる。

実践を広げるとはどういうことか。それは、整理された言葉を持つ仲間と、同じ教室で・同じ地域で・同じ時代に、切磋琢磨できることではないでしょうか。

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