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学校方針にけテぶれ・QNKSを「全乗っかり」させる——東京フェスポスター発表前半レポート

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東京フェスのポスター発表前半では、特別支援教育・低学年実践・体育・私立学校の探究サイクルという多様な文脈で、葛原実践が広がっている姿が紹介されました。各発表が共通して示しているのは、けテぶれ・QNKS・心マトリクスを学校方針に対抗する独自ブランドとして押し出すのではなく、学校が掲げている方針を子どもたちが実際に回せるようにする「具体的な手段」として位置づけるという実践展開の考え方です。

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ポスター発表が示す「実践展開の型」

今回の東京フェスには、ポスター発表の立候補者が8名集まりました。呼びかけたわけではなく、自主的に名乗りを上げた方々です。この状況自体が、葛原実践の広がり方の一つの姿を表しています。中心から一方的に普及するのではなく、各現場で自律的に深まり、場があれば自然と発表へと向かう動きです。

前半4名が扱っている文脈は、特別支援教育・小学1年生・体育・私立学校の探究サイクルとそれぞれ異なります。しかしその違いを超えて共通しているのは、けテぶれ・QNKS・心マトリクスを「学校が既に掲げているものを具体的に実現する装置」として扱っているという点です。それぞれの発表を順にたどりながら、その型を読み解いていきます。

特別支援教育——実態把握と対話のレンズとして

最初の発表は、自立活動の文脈から心マトリクスとけテぶれ・QNKSの実践を報告したものです。テーマは「自立活動と葛原実践——子どもの実態把握と心マトリクス実践」。

特別支援教育の現場でけテぶれ・QNKSが使えるのかと問う方もいるかもしれません。しかし実際には、むしろ相性が高い領域だというのが、実践から見えてきていることです。特別支援学級では、見通しがあること、各種の行動・行為が明確に定義されていることが、子どもたちの「学べやすさ」を直接支えます。けテぶれの「計画・テスト・分析・練習」という構造は、まさにそのような見通しと明確さを提供するものです。

学びのコントローラー
学びのコントローラー

さらに重要なのは、これらの実践ツールが「実態把握のレンズ」として機能するという点です。発達支持的生徒指導の観点から「実態把握が大事」と言われますが、何を通して把握するのかは具体化が難しい問いです。けテぶれ・QNKS・心マトリクスというレンズがしっかりしていると、専門機関につないでいくときにも、教員間で連携するときにも、子どもたちと学び方や心について対話的に関わるときにも、共通の言語が生まれます。

けテぶれ・QNKS・心マトリクスは困難を抱えた子どもへの対症療法ではなく、実態把握と対話の基盤を作るレンズとして機能します。この視点は、特別支援教育を「困難対応」として狭める見方とは異なります。見通しや行為の明確化が学びやすさを生み、子どもの心と学び方について語りを深める土台を作るという可能性として、この領域の実践はさらに広がっていきそうです。

低学年 × 音声入力 × AIフィードバック——持続可能な自己調整学習の入口

2人目の発表者は、主幹教諭クラスのキャリアを持つベテランの先生で、小学1年生でのけテぶれ実践に取り組んでいます。実践の軸は「音声入力とAIフィードバックで自己調整学習の第一歩」です。

1年生という発達段階では、書くことそのものに大きなコストがかかります。音声入力を活用することで、子どもたちは思考や感情をまず言葉として外に出すことができます。その言葉に対してAIがフィードバックを返す。この仕組みによって、「全部一から作るのはあまりにも大変な作業をAIで効率化しながら持続可能な形で実践している」という状態が生まれています。

重要なのは、AIが教師の役割を代替しているわけではないという点です。音声入力とAIフィードバックは、子どもたちが自己調整学習の最初の一歩を踏み出せるようにするための補助であり、教師がその過程を見取り、現在地を読み取りながらかかわる余地は十分に保たれています。AIは教師を不要にするものではなく、教師が持続可能な実践を続けられるようにするための道具として機能しています。

「壊して再構築する」——年齢の問題ではなく、自己省察と更新の問題

前述のベテランの先生が葛原ゼミへの参加をきっかけにしたのは、それまで積み上げてきた指導スタイルを「全部壊してもう一回再構築する」という選択でした。同時期に、似たようなキャリアを持つ別の先生も同様の一歩を踏み出したことが紹介されました。

「ベテランには難しい、若手の方が変わりやすい」という見方があります。しかし今回の発表が示しているのは、そのような単純な世代論では捉えきれないということです。変われないのは年齢のせいではなく、「知らないから」か、「今の教育現場の状況への不安が大きいから」という場合が多い。若手であっても、実践についての知識がアップデートされていなければ認識は更新されません。逆に、キャリアを重ねた先生であっても、自己省察と再構築への意志があれば変わることができる。

けテぶれ×QNKS
けテぶれ×QNKS

変容を阻むもう一つの要因は、「新しい実践は何が起きるか分からないから危険」という認識です。しかし今まで通りを続けることにも、別の意味でのリスクがあります。子どもたちの実態と乖離した形で無理に形を変えさせようとする指導は、反発や行き詰まりを生みやすい。全授業を丁寧に準備し続けるといった不可能なことを「今まで通り」として維持しようとすること自体、判断として持続可能ではありません。

従来のやり方を踏襲することが「安全」という前提そのものを、問い直す必要があります。子どもを信じ、任せ、認めることのできる実践の枠組みを持つことは、子どもにとってだけでなく、教師自身にとっても安全な選択になり得ます。この先生が自分自身の変容を「なぜ変われたのか」という視点でもう一回自己省察的に振り返り、発表しようとしている姿は、そのことを具体的に示しています。

QNKSを支える認知科学・学習科学——手法ではなく研究の具体化として

3人目の発表は、体育でのQNKS実践を深く掘り下げてきた先生によるものです。実践の積み重ねの中で、QNKSがなぜ有効なのかを学問的な観点からも接続しながら発表が行われました。

QNKSは単に授業の手順として便利だから使うのではありません。「その裏側に認知科学とか学習科学っていう領域において言われている内容とかなり符号する」という通り、QNKSは学習研究の具体化として位置づけられます。学び方の見方・考え方として、なぜこのサイクルが学習を深めるのかを理解していること——それが、実践者として子どもたちに関わる幅を広げます。

子どもが「めんどくさい」「できない」という現在地にいるとき、その子にどう関わるかは、背後にある理論・理屈があることで変わってきます。現在地を読み取り、その子が何につまずいているのかを捉えるためのフィードバックの仕方も、理解の深さに応じて精緻になっていきます。

教師自身が学習研究をし、それを実践に落とし込んでいく——この姿勢が、QNKSを手法として使うことと、研究の具体化として使うことの違いを生みます。体育という教科を舞台に、そのような実践が着実に深まっていることが今回の発表から伝わりました。

学校の探究サイクルへの「全乗っかり」——具体的な手段としての位置づけ

4人目の発表者は私立学校に勤める先生です。学校が独自の探究サイクルを推進している文脈の中で、けテぶれ・QNKSをどう位置づけるかという問いを一緒に考える過程から実践が生まれました。この先生も、葛原との語りを往還する日々の中で、自分の悩みと実践を少しずつ深めてきた方です。

その学校が掲げている探究サイクルは、「願いや思いがあって→考えを広げ→構築し→実装・実践し→振り返る」という構造です。これはよく見ると、けテぶれやQNKSと重なる部分が多い。

ここで問われるのは、その「似ているもの」をどう扱うかです。「これはけテぶれと同じだからけテぶれやっとけ」という押し出し方では、学校方針と競合する形になります。推奨されるのはその逆です。「学校の方針・目標・プロセスに全部乗っかる」という立場で実践することです。

主体的対話的で深い学び
主体的対話的で深い学び

具体的にはこういうことです。探究サイクルの中に「考える」というフェーズがあるとします。目的・目標・手段の整理でいえば、学校が掲げているゴールが「目標」であり、QNKSはその目標を実現するための「手段」です。「考える」という指示だけでは子どもたちはなかなか実際に考えることができません。QNKSは、その「考える」を子どもたちが具体的に実行できるようにする構造を提供します。「学習の基盤となる資質能力を、学校が掲げているサイクルの中で発揮する」という構造が、こうして自然に成立します。

けテぶれ・QNKSの強みは、その内容の精緻さにあります。単なるサイクル図ではなく、各過程で何を考えるのか、どのような思考が求められるのか、具体的な方法論まで含めて揃っている。だからこそ、PDCAでも探究サイクルでも、学校の掲げる枠組みの「具体的な実現手段」として全乗っかりすることができます。

「けテぶれをやります」と宣言することが目的ではありません。学校が大切にしているものを子どもたちが実際に回せるようになることが目的であり、そのための手段としてけテぶれ・QNKSという選択がある。この位置づけが明確になると、実践者は学校文脈の中で動きやすくなります。

各現場で広がる実践の姿

前半4名の発表は、特別支援教育・低学年・体育・私立学校という異なる文脈でそれぞれの実践が積み重なっていることを示しています。葛原実践が広がるとは、一つの正解を全国に普及させることではなく、各現場の文脈に根ざした形で実践者が自律的に動き始めることを意味します。

ポスター発表という場は、その動きが可視化され、互いに受け取り合える場所です。自主的に立候補した方々が、自分の文脈で深めてきた実践を発表する——その積み重ねの中に、公教育がボトムアップで変わっていく具体的な姿があります。

実践の具体をていねいに積み上げながら、学校文脈に全乗っかりで動いていく。その姿勢が、今回のポスター発表前半を通じて伝わってくるメッセージです。後半4名の発表もまた、多様な文脈からの実践が共有される場となります。

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