岡山県津山市での校内研修を振り返りながら、全学年・全クラス・特別支援学級・専科教員まで漏れなく三本柱(けテぶれ・QNKS・心マトリクス)の実践が根付いた姿を「学校革命」として描く。先生たちが子どもの姿を大テスト結果として受け取り、自分たちの実践を大分析している構造が示された。次のステージは、その経験を言葉・文章・論・図へと結晶化し、語りの範囲を校内外・実践論文へと広げること。自由進度学習への展開では、合格後の余白を認める「ゆるアツ」のバランスが鍵になる。公教育のボトムアップ改革は、頭一つ抜けた学校が道しるべになり、異動や外部講師化を通じて改革の輪が広がることで成し遂げられていく。
全学年・全クラスで三本柱が回った日
岡山県津山市からの帰り道、この記事を綴っています。研修後のトークです。
この日は研究のまとめとして、各学年が1年間の実践を発表する場が設けられていました。4グループほどに分かれて先生たちがそれぞれの取り組みを語る形式です。そこに立ち会って、圧倒されました。
全学年が、三本柱(けテぶれ・QNKS・心マトリクス)の何らかの実践について発表していたのです。 1年生から6年生まで漏れなく。特別支援学級も漏れなく。専科の先生も漏れなく。「ミクロ・メソ・マクロの一貫性」という言葉が浮かびました。個々の学習活動のレベルから、学級・単元のレベル、そして学校全体の年間レベルまで、同じ実践の論理が貫かれている状態です。
さらに、外部から20名近くの教員が見学に来ており、その方々への実践発表でもありました。最後には質疑応答があり、「どこから始めたんですか」「どうやって広げましたか」という問いに、この学校の先生たちが自分の言葉で答えていました。
これはもう、学校革命と言っていいのではないか。そう思いました。

三本柱のそれぞれには役割があります。けテぶれが「やってみる」を駆動し、QNKSが「考える」を深め、心マトリクスが学習者の内面を地図として整える。この三つが全学年で実際に回っているという事実そのものが、その学校の到達点を示しています。どの教室でも、子どもたちが安心して「学ぼう」という姿勢で過ごしている様子が見てとれました。先生たちが学び合い、高め合っているからこそ、そのエネルギーが子どもたちに伝わる。その連鎖がここにありました。
先生自身の大分析――子どもの姿を大テスト結果として受け取る
この日、先生たちが何をしていたかというと、大分析です。
けテぶれは、子どもの学習だけに適用されるものではありません。先生自身も、日々の指導を「計画・テスト・分析・練習」のサイクルで回していきます。1年間の実践を振り返るこの場が、先生たちにとっての大分析の機会でした。
大テスト結果とは、子どもたちの姿そのものです。 テスト用紙の点数ではなく、子どもたちが授業でどう動いているか、どう語っているか、どう考えているか。それが、先生の実践の成果をもっとも正直に映し出す鏡です。
先生たちは、各学年でのけテぶれ・QNKS・心マトリクスの実践を振り返り、よかった点・難しかった点・次にやりたいことを言語化していました。個々の先生が試行錯誤を積み重ね、コツやポイントを互いに交流しながら「その学校ならでは」の感覚と知見を育ててきた。その蓄積が、今日の発表の言葉ににじみ出ていました。
知る→やってみる→使う:それぞれの現在地から一歩ずつ
実践がここまで根付いたのは、誰もが最初から完璧にやれたからではありません。それぞれの立場、それぞれの現在地から、一歩ずつ進めてきたからです。
まず「知る」ことから始まります。けテぶれやQNKS、心マトリクスについて知識として触れる段階です。次に「やってみる」。自分のクラスで試してみる。うまくいくこともあれば、うまくいかないこともある。その中で、自分なりのコツが見えてきます。そして「使う」段階へ。実践が自分のものになり、子どもたちへの語りかけ方も変わってきます。
この学校では、オリジナルのワークシートが生まれていたり、独自の取り組みが出てきていたりしました。それぞれの先生が「自分はこう実装した」という個別化・個性化を遂げている段階です。教室で言えば2学期・3学期の景色に近い。かなりそれぞれが実装し始めているという状況です。
学習力とは、この「知る→やってみる→使う」のサイクルを自分で回せる力のことです。先生たちが自分の実践でこのサイクルを回してきたからこそ、子どもたちへの指導に説得力が生まれます。ミクロ(毎日の学習活動)からメソ(単元・授業・学級)、マクロ(年間・学校全体)までの一貫性が、先生たちの実践の中に自然に宿ってきていました。
思考の結晶化へ――経験を言葉に、言葉を論に
これだけの実践が育ったとき、次のステージは何か。それは、経験を言葉にすることです。
経験は、言葉になります。言葉は、文章になります。文章は、論になります。論は、図になる。このプロセスを、思考の結晶化と呼びます。
先生たちは今、実践の経験を持っています。それを3+3観点(よかった点・難しかった点・驚いた点・疑問点・やりたいこと・深い願い)で分類・分析しながら、自分の知見を論として積み上げていく段階に来ています。QNKSは「問い・抜き出し・組み立て・整理」という思考の外化を支える道具ですが、先生自身がこの道具を使って自分の実践知を形式化していくことが、まさに求められていることです。

けテぶれとQNKSは両輪です。「やってみる」を繰り返すだけでは、実践知は暗黙知のまま止まります。QNKSの「考える」がそれを言語化し、形式知として結晶化させます。授業でやってみたこと(けテぶれ的な試行)を、言葉・文章・論・図へと積み上げていく(QNKS的な結晶化)。この往還が、先生自身の実践知の深まりを生みます。1年間で見えてきたことを自分の論として積み上げていく作業は、今後の実践をさらに力強くする土台になります。
語りの範囲を広げる――校内研修から他校・実践論文へ
思考が結晶化してきたなら、次はその語りの範囲を広げることです。
この学校の先生たちは今、「心マトリクスとはどういう手立てか」「どうやって実践するか」を自分の言葉で話せるようになっています。小グループの中での実践発表から始まったその語りは、もっと広い場へ出ていけます。
まず、校内研修のデザインです。自分たちの学校の先生方に向けて、三本柱の実践について2〜3本の研修を設計する。これは十分に現実的な範囲です。次に、外部への発信です。外部の学校へ行って、そこの先生たちに伝える。この日も、外部から来られた先生方から「講師として来てほしい」という声があったようです。他校に出て語ることは、自分の言語を磨く上で本当に大切なことです。
その先には、実践論文という領域があります。自分の実践を論としてまとめ、賞を受けたという報告もいくつか届いています。論文化することは、語りをさらに研ぎ澄まし、普遍的な知見へと昇華させることです。
語りの範囲が広がるほど、実践の流動性が上がります。 一人の先生の知見が校内に、他校に、そして日本中に流通していく。自分の言葉が、自分の届かない場所で誰かに刺さる。これが、熱の広げ方の本質です。先行する実践者が道しるべとなり、その後に続く実践者が現れる。同心円が外へと広がっていく構造です。
自由進度学習への展開――ゆるアツのバランス
実践が一定の成熟段階に達したとき、次の挑戦として自由進度学習への展開があります。
具体的なイメージとして、社会科を例に考えます。子どもたちが社会の学習範囲についてQNKSで十分に情報をまとめ、けテぶれで定着を確認し、テストでも問題なく点数が取れている。この状態を「合格」とするなら、その後の社会の時間を社会以外のことに使っても、論理的にはまったく構わないはずです。
社会の時間に社会だけをやり続けることの不自然さを、真顔で子どもに説明できる環境を整える。 それが、ゆるアツの「ゆる」の側です。合格しているなら、本当にどうでもいい。残りの時間を算数に使っても、国語のドリルに使っても構わない。この「どうでもいい」という教師の構えが、逆に子どもたちに次の学びへの余白を開きます。

単元内自由進度、教科内自由進度、そして全教科をまたぐ学習空間へ。範囲の広げ方にはグラデーションがあります。「広げる」とは、単元の枠を超え、教科の枠を超え、やがて学びそのものを子どもたち主体の場へと開いていくことです。「深める」とは、その中でそれぞれの子が本当に深い学びを実現していくことです。
ただし、ここに大きな注意があります。自由を与えれば、必然的に「ばらける」危険があるのです。 自由な学びの空間は、一瞬でばらけてしまいます。探究的な学びの場で「自分のやりたいことをやりましょう」と言っても、個々の学びがその日その日でばらけてしまい、結局何をやっているか分からない状態になりやすい。これは、公教育のアンチテーゼとして作られた「自由な学校」が陥りがちな根本的な問題です。
一方で現在の多くの公教育は逆の極にあります。子どもたちを押し込めすぎて、潰れてしまう。「潰れるかばらけるか」という二極の間に、本当の自由進度学習の道があります。好きなことをそれぞれに進めながら、それが1年間、6年間、9年間という長いスパンで練り上がっていく。このデザインを両立させることは、教育実践の中でほとんど実現されていない困難な問いです。そのデザインを支えるのが、学び方の見方・考え方を持った子どもたちであり、けテぶれとQNKSで育まれる学習力です。
「どうでもいい」と言える教師が主体性を引き出す
ゆるアツのもう一面、「アツ」の側についても触れておきます。
「合格しているなら、どうでもいい」という教師の構えが「ゆる」だとすれば、「やるんだったら、どこまでも付き合う」というのが「アツ」の側です。この両面のバランスが、自由進度学習を成立させます。
2週目・3週目の深い探究をしましょうと強く促すほど、子どもたちはやらなくなります。「勉強しなさい」と言えば言うほど勉強しなくなるのと同じ論理です。子どもたちは、教科書の内容を学習することに納得しているからこそやります。しかしその先、「できているのに、なぜもっと深めなければならないのか」という問いには、強制の言葉よりも「どうでもいい」という誠実な構えの方が、はるかに子どもの心を動かします。
教師がいかに緩く構え、「どっちでもいい」と思えるかによって、子どもたちの行きたい方向は変わってくる。
その上で、「やりたい」という子どもへの上限の解放が起こります。学習・探究・研究という方向への深まりに、どこまでも付き合う。子どもたちの姿を取り上げて広め、フィードバックする。そのフィードバックは、教科の成績だけでなく、人生レベルの視点まで含みます。
こうして、学校は「先生に何かを教えてもらう場」から、「学び方の見方・考え方が学びを紡ぎ出す場」へと変わっていきます。学び方の見方・考え方を持った子どもたちが自らの学びを組み立てていく、この主体感こそが、今日本の学校教育が根本的に向き合うべき課題への回答ではないかと思います。
公教育のボトムアップ改革――頭一つ抜けた学校が道しるべになる
この日に見た学校の姿は、一校で完結する話ではありません。
頭一つ抜けた学校が、他の学校の道しるべになっていく。その学校で活躍した先生が、外部の学校に講師として呼ばれる。キーパーソンとなった先生が異動先でまたゼロから場を立ち上げていく。こうして改革の輪が広がっていく。これこそが、熱の広げ方の学校版であり、公教育のボトムアップ改革が成し遂げられていくプロセスです。
けテぶれ・QNKS・心マトリクスは、自己調整学習や自由進度学習、探究的な学びなど近年注目されている多くの教育論と、十分に対話できる実践です。三本柱の実践が根付いた学校や先生が、こうした広い文脈の中で語れるようになっていくことで、影響の範囲はさらに広がります。
それぞれの立場、それぞれの現在地から一歩ずつ進める。信じて、任せて、認める。変化はボトムアップに起こる。公教育の改革は、一人の先生の一歩が積み重なり、学校全体に、そして日本中に伝わっていくことで実現されていくものだと、この日の姿を見て確信しました。
葛原学習研究所は、そのビジョンを持ち続けながら、みなさんと一緒に日本の公教育をよくしていくことをミッションとしています。