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主体的な学びを支える動機づけと興味の育て方

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動機づけは、単に「やる気があるかどうか」の話ではありません。学習科学の整理で見ると、動機づけとは、何らかの目標に向かって自分を調整しながら課題に積極的に関わり、その関わりに有用性を感じている状態です。

ここで大切なのは、有用性を教科内容そのものだけに背負わせないことです。算数の筆算、漢字、リコーダー、跳び箱など、一つひとつの内容について「これは将来こう役立つ」と教師が毎回説得し続けるのは、かなり苦しい構造です。もちろん教科内容に価値がないという話ではありません。ただ、入口の段階でその価値を全部理解させようとすると、子どもも教師も苦しくなります。

むしろ有用性は、「目標に自分の力で向かうプロセス」に置くことができます。現在地を見取り、目標を持ち、試し、振り返り、もう一度工夫する。その学び方を学ぶ力は、全教科、全生活に広がります。けテぶれやQNKSを回す力は、一生使える学び方の筋力として位置づけることができます。

そして、興味、動機づけ、積極的関与は、ばらばらの項目ではありません。興味が動機づけを生み、動機づけが積極的関与を支え、積極的に関わることでさらに興味が育つ。この循環を、けテぶれ・QNKSの往還として設計していくことが、主体的で深い学びを育てる道筋になります。

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動機づけは「気分」ではなく、目標へ向かう自己調整です

学習科学では、動機づけを「何らかの目標を達成するために、自分をコントロールしながら課題に積極的に関わり、その関わりに有用性を持つこと」と捉えます。

この定義には、主体的な学びを考えるうえで重要な要素がかなり詰まっています。

まず、目標があります。何に向かうのかが見えていなければ、学習行動は生まれにくくなります。次に、自己調整があります。自分の状態を見ながら、やり方を変えたり、粘ったり、もう一度試したりする力です。そして、課題への積極的関与があります。これは「ただ座っている」「言われたことだけをこなす」状態ではなく、行動、感情、認知を働かせながら学習に関わることです。

この整理は、学習指導要領3観点における「主体的に学習に取り組む態度」とも重なります。粘り強さと自己調整を働かせることは、単なる評価項目ではなく、学びの中核にある働きです。

ただし、ここで難しいのが「有用性」です。子どもがその学びに価値を感じているか。ここをどう設計するかが、動機づけを考えるうえでの大きな分岐点になります。

教科内容の有用性だけで支えようとすると苦しくなる

授業では、しばしば「これを学ぶ意味は何ですか」と問われます。

漢字を書く意味は何か。筆算をする意味は何か。リコーダーを吹く意味は何か。跳び箱を跳ぶ意味は何か。もちろん、それぞれの教科内容には価値があります。しかし、すべての内容について、入口の段階で子どもが納得できる有用性を教師が用意し続けるのは、現実的にはかなり大変です。

教科内容そのものに毎回有用性の根拠を求めると、教師が意味づけを用意し続ける構造になります。

しかも、現代は知識や技能の使い方が多様化しています。「漢字が書けなくても入力できる」「筆算ができなくても計算機がある」といった反論は、子どもから見れば簡単に出てきます。そこで教師が毎回、「いや、これは将来こう役立つ」と説明し続けると、有用性の主導権が教師側に偏ってしまいます。

大切なのは、教科内容の価値を否定することではありません。むしろ逆です。教科内容の本当の面白さは、入口で眺めただけではわからないことが多いのです。

リコーダーの価値は、少し吹いただけでわかるものではありません。算数の面白さも、最初に筆算の手順を習っている段階では見えにくいものです。何度も関わり、試し、失敗し、少しずつできるようになっていく中で、後から「面白い」が立ち上がってくることがあります。

放送では、これを「噛む履歴」や「味の向こう側」という比喩で語っていました。最初からおいしさがわかるものばかりではありません。噛みしめるから、後から味が出てくる。学びにも同じことが起こります。

有用性は「学び方を学ぶ」プロセスに置く

では、有用性をどこに置くのか。

一つの答えは、教科内容そのものではなく、「目標に自分の力で向かうプロセス」に置くことです。

水泳で25メートル泳ぐ。漢字を整えて書く。音楽会に向けて演奏を仕上げる。算数の単元テストに向けて練習する。目標の中身は教科によって違います。しかし、そこに向かうプロセスには共通するものがあります。

自分の現在地を知る。目標を確認する。計画する。試す。結果を見る。分析する。練習する。もう一度試す。この循環を自分で回していく力は、教科を越えて使えます。

有用性を「学び方を学ぶ」ことに置くと、全教科・全生活に広げることができます。

ここで、けテぶれやQNKSが重要になります。けテぶれは、計画、テスト、分析、練習を通して、自分の学びを自分で前に進める枠組みです。QNKSは、問いを持ち、納得をつくり、考えを進めていく側面とつながります。どちらも、単なる方法ではなく、学び方の見方・考え方を育てるものです。

やってみる⇆考える
やってみる⇆考える

この「やってみる」と「考える」の往還が、学び方を学ぶ中心になります。やってみるから現在地が見える。考えるから次の一歩が見える。そしてまたやってみる。この循環を経験すること自体に価値があるのです。

目的・目標・手段を分けると、動機づけの設計が見えやすくなる

動機づけを考えるときには、目的・目標・手段を分けて見ることが役立ちます。

目的は、より抽象的な価値です。たとえば「学び方を学ぶ」「自分の力で目標に向かえるようになる」「自分の人生を支える学習の筋力をつける」といったものです。

目標は、具体的に向かう先です。漢字テストで前回より点を上げる。リコーダーでこの曲を吹けるようにする。跳び箱で今より一段高く挑戦する。単元の問いに自分の言葉で答える。これは教科や単元に根ざして設定されます。

手段は、そのために何をするかです。けテぶれを回す。QNKSで問いを深める。最低限の明示を確認する。友達の学び方を見て取り入れる。大分析で自分の学習を振り返る。

この三つが混ざると、「この内容に意味を感じない子は動機づかない」という話になりがちです。しかし、目的を「学び方を学ぶ」に置き、目標をその子が手に取れる具体にし、手段としてけテぶれ・QNKSを使うと、動機づけの設計はかなり変わります。

点数で動かない子を「やる気がない」で止めない

「点数なんてどうでもいい」「別にできなくてもいい」と言う子がいます。

このとき、すぐに「意欲が低い」と見てしまうと、手立てを誤ることがあります。点数という目標が動機づけにならない背景には、自己効力感の問題があるかもしれません。

自己効力感とは、「自分は頑張ればできる存在だ」と思えているかどうかです。目的・目標・手段が示されたときに、「どうせやってもできない」と感じていれば、動機づけは生まれにくくなります。

つまり、点数で動かない子は、点数に価値を感じていないだけではないかもしれません。自分が成功するイメージを持てていない可能性があります。そこを見ずに、「やる気がない」と断定してしまうと、その子の現在地を見失います。

必要なのは、現在地からの一歩を設計することです。

10点の子が20点になる。漢字を一つ覚える。昨日よりも分析が少し具体になる。友達のやり方を一つ取り入れる。その一歩には、大きな意味があります。

最低限の明示は確実に示しながら、一人ひとりの現在地からの一歩に価値を置くことが大切です。

全員に同じ目標を示すことと、それぞれの一歩を認めることは矛盾しません。むしろ、両方が必要です。最低限の明示があるから、何に向かうかが見える。現在地からの一歩を認めるから、自分にも進める道があると感じられるのです。

内発的動機づけと外発的動機づけは裏表です

動機づけを語るとき、内発的動機づけと外発的動機づけがよく区別されます。

内発的動機づけは、その活動自体が楽しい、やりたい、面白いという動機です。勉強が楽しいから勉強する。けテぶれが楽しいからけテぶれをする。山に登ること自体が目的になるような状態です。

外発的動機づけは、活動の外側にある目的や報酬、必要性によって動く状態です。テストで点を取りたい。資格につながる。将来の夢に近づく。先生に言われたから始める。こうしたものです。

ここで注意したいのは、内発的動機づけを善、外発的動機づけを悪として単純化しないことです。

内発と外発は、優劣ではなく裏表です。状況に応じて使い分けるものです。

内発的動機づけは強いエネルギーを生みます。しかし、「楽しいからやる」だけに頼ると、楽しくなくなった瞬間に止まってしまうことがあります。長い学習努力や自律を支えるには、外発的な目標や意味づけも必要になります。

一方で、外発的動機づけも、ただの強制で終わる必要はありません。最初は「先生に言われたから」「テストがあるから」でも、続けるうちに「これは自分の目標に関係している」「自分の将来に必要だ」「この行為自体に意味がある」と変わっていくことがあります。

外的調整、取り入れ的調整、同一視的調整、統合的調整というように、外発的動機づけは少しずつ内側に近づいていきます。しぶしぶ始めた学びが、やがて自分の目標や価値観とつながることがあるのです。

だから、教師が設計したいのは、「内発だけを育てる授業」ではありません。外から始まったものが、子どもの内側とつながっていく道筋です。やる気が出ないときには外発的な目標に支えられ、面白さが立ち上がってきたら内発的な動きが強くなる。その両輪で学びは進みます。

興味は育つものとして見る

主体的な学びを支えるのは、動機づけだけではありません。興味も重要です。

興味は、一定の時間を通して、一定の事柄に積極的に関与している状態として捉えることができます。つまり、単に「おもしろそう」と一瞬思うだけではなく、ある対象に関わり続けている状態です。

興味には発達の段階があります。

最初は、状況的興味の喚起です。たまたま聞いたこと、見たこと、新しく提示されたことに、ふっと興味が向く段階です。たとえば、教師が「けテぶれを始めます」と言ったとき、「何だろう」と思うような状態です。

次に、状況的に維持された興味があります。授業や学級の中でその対象に関わり続けることで、興味が保たれる段階です。クラス全体でけテぶれに取り組み、毎日の学習の中でそれが扱われることで、興味が維持されます。

その次に、個人的興味の発現があります。「自分ならどうするか」「もっとよいやり方はないか」と、自分なりの問いが生まれてくる段階です。

最後に、よく発達した個人的興味があります。新たな問いを自分で立て、情報を集め、方法を比べ、他者のやり方も取り入れながら、自分の学びを深めていく状態です。けテぶれで言えば、大分析を通して「なぜ昨日はうまくいったのか」「なぜ今日はうまくいかなかったのか」と考えたり、交流会で友達の学び方を知って取り入れたりする姿と重なります。

興味は、最初から個人の内側に完成品としてあるものではありません。学習環境の中で育っていくものです。

興味を生む授業環境には、いくつかの入り口がある

興味を抱かせる要因として、新規性、挑戦性、意外性、複雑性、不確実性が挙げられます。

新規性は、「初めて見た」「何だろう」と感じることです。たとえば、子どもが自分で問題を作る「みんプリ」のような取り組みは、解くだけではなく作る側に回るという新しさがあります。

挑戦性は、「少し頑張れば届きそう」「やってみたい」と感じることです。最低限の明示を取ってみる、最高得点に挑戦する、質の高い問題を作るなど、子どもが前に出たくなる目標があると興味は動きます。

意外性は、「そうなると思わなかった」と感じることです。子どもが作った問題が実際の授業や宿題、小テストで使われるとすれば、それは強い意外性になります。

複雑性は、一見わかりやすいけれど、よく見ると奥が深い状態です。心マトリクスのように、ぱっと見て把握できる構造がありながら、実は複数の要素が絡み合っているものは、子どもの思考を引き出します。

不確実性は、結果が決まりきっていないことです。昨日うまくいったけテぶれが、今日はうまくいかない。なぜだろう。同じようにやったつもりなのに、結果が違う。そのズレが、次の問いを生みます。

これらは、派手な演出をするためのチェックリストではありません。子どもが対象に関わり続け、自分なりの問いを持つための視点です。

積極的関与は、行動・感情・認知の質として見る

積極的関与は、学習環境における情緒的な側面を含みながら、興味、動機づけ、自己調整学習と深く関係します。

ここでいう関与は、単に「活動している」ことではありません。行動として取り組んでいるか。感情として前向きに、あるいは切実に関わっているか。認知として考えを深めているか。そうした複数の側面を含みます。

たとえば、けテぶれをただ提出しているだけなら、行動はあるかもしれません。しかし、自分の結果を見て、なぜうまくいったのかを考え、次の計画を変え、もう一度試しているなら、そこには認知的な関与があります。友達のやり方に刺激を受けて、「自分もやってみたい」と感じているなら、感情的な関与もあります。

動機づけに支えられるから、関与の質が高まります。そして、積極的に関与するから、さらに興味が湧きます。

興味・動機づけ・積極的関与は循環する

動機づけ、興味、積極的関与は、三つの別々の項目として並べるだけでは不十分です。

興味を持つ。すると、「もっとやってみたい」「関わってみたい」という動機づけが生まれる。動機づけがあるから、行動、感情、認知を働かせて積極的に関与する。積極的に関与することで、新しい気づきや問いが生まれ、さらに興味が育つ。

この循環を授業の中でどう起こすかが重要です。

放送では、この循環をけテぶれ・QNKSとつないで捉えていました。興味や積極的思考は、問いを持ち、考え、納得をつくっていくQNKSの領域と重なります。一方、動機づけに支えられた積極的関与は、計画し、テストし、分析し、練習するけテぶれの領域と重なります。

つまり、考えることとやってみることが往還する中で、興味、動機づけ、積極的関与も循環していくのです。

学びのコントローラー
学びのコントローラー

この循環を子ども自身が少しずつ扱えるようになると、学びのコントローラーが子どもの手元に戻っていきます。教師がすべてを意味づけ、すべてを管理するのではなく、子どもが自分の現在地を見て、次の一歩を考え、試し、また考える状態に近づいていきます。

主体的な学びが育つと、深い学びも立ち上がる

なぜ、動機づけ、興味、積極的関与が重要なのでしょうか。

それは、深い学びを促す学習環境をつくるためです。深い学びは、単に知識量が多いことや、精緻な知識構造を持っていることだけを意味するのではありません。自分の内側から接続された興味や問い、行動によって学びが構築されているかが問われます。

主体的な学び、対話的な学び、深い学びは、分断して対策するものではありません。STFトライアングルを三つのチェック項目としてだけ扱うと、「主体的な活動を入れる」「対話を入れる」「深い問いを入れる」というように、ばらばらの工夫になりがちです。

しかし実際には、主体的な学びが育つと、深い学びは立ち上がりやすくなります。自分の問いを持ち、自分の方法を試し、他者の学び方を取り入れ、もう一度自分の学びを更新する。その過程には、自然に対話的な学びも含まれます。

主体的対話的で深い学び
主体的対話的で深い学び

分けて考えることには意味があります。動機づけ、興味、積極的関与。主体的、対話的、深い学び。けテぶれ、QNKS。これらを分けることで、見えやすくなるものがあります。

ただし、分けた後にはつなぐ必要があります。分けたままチェックリストにしてしまうと、学びの全体像を見失います。主体的に学ぶ子どもの中では、興味も、動機づけも、積極的関与も、対話も、深まりも、往還しながら一体化していきます。

教師が設計したいのは、現在地から一歩進める学習環境です

動機づけを「やる気」の問題として見ると、教師のまなざしは子どもの内面評価に向かいやすくなります。「この子は意欲がある」「この子はやる気がない」と見てしまう。

しかし、学習科学の視点で捉えると、動機づけは環境設計の問題として見えてきます。

目標は見えているか。現在地は見えているか。最低限の明示はあるか。その子が一歩進める余地はあるか。成功できる自己像を持てているか。学び方を学ぶプロセスに価値を感じられるようになっているか。興味が喚起され、維持され、個人的な問いに育つ環境があるか。積極的関与が行動だけでなく、感情や認知にも広がっているか。

こうして見ると、教師の仕事は「面白い内容を用意して子どもを引きつけること」だけではありません。もちろん、教科内容の面白さを味わえるようにすることは大切です。しかし、それだけに頼ると、教師が毎回意味づけを用意し続ける構造になります。

むしろ中心に置きたいのは、子どもが自分の現在地から一歩進み、そのプロセスに意味を感じられることです。

10点が20点になる。昨日より分析が具体になる。友達の方法を一つ取り入れる。うまくいかなかった理由を考える。もう一度試す。そうした一歩を、学び方を学ぶプロセスとして価値づけていく。

そこに、主体的な学びの土台があります。

けテぶれ・QNKSは、主体的な学びを支える具体の道具になる

けテぶれやQNKSは、単なる実践方法ではありません。動機づけ、興味、積極的関与を循環させるための具体的な道具として捉えることができます。

けテぶれは、目標に向かって自分を調整するプロセスを支えます。計画し、試し、分析し、練習することで、子どもは自分の学びを前に進めます。

QNKSは、問いや納得を通して、興味と思考を育てます。「なぜうまくいったのか」「なぜ今日は違ったのか」「次はどうすればよいのか」と考えることで、学習は単なる作業ではなくなります。

この二つが両輪として回ると、やってみることと考えることがつながります。行動の質が高まり、思考の質も高まります。そこに動機づけが生まれ、興味が深まり、積極的関与が育っていきます。

最初は外から始まってもよいのです。先生に言われたから始める。テストがあるから取り組む。最低限の明示があるからやってみる。そこから、自分の結果が変わる。自分の工夫が効く。友達のやり方が面白い。もっとよくしたい。そうやって、外から始まった学びが少しずつ内側につながっていきます。

そのために必要なのは、子どもを「やる気があるかないか」で判断することではありません。現在地を見て、一歩をつくり、その一歩の意味を認めることです。そして、学び方を学ぶプロセスに価値があることを、授業の中で何度も経験できるようにすることです。

主体的な学びは、子どもの内側から突然湧いてくるものではありません。興味が育ち、動機づけが育ち、積極的関与が育つ環境の中で、少しずつ立ち上がってきます。教師が設計するのは、その循環です。

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