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けテぶれチルドレンが拓く、公教育のボトムアップ改革

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葛原学習研究所の発信は今、広く浅く届けるフェーズではなく、濃い情報を受け取れる熱量の高い人たちと出会うフェーズにあります。けテぶれは単なる学習手法にとどまらず、子どもたちが学びを語り合うための言葉でもあります。けテぶれ・QNKS・心マトリクスを学習者として経験し、納得した子どもたちが、やがて教育界に入ってきます。彼らは従来型の学校経験を無意識に再生するのではなく、自分で学ぶ教室のイメージをすでに体験として持っています。公教育のボトムアップ改革のボトムは担任教師だけでなく、子どもたちにまで——さらには家庭にまで——及んでいます。

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今の発信フェーズ——「濃くて強い人たち」と出会う時期

葛原のVoicy発信は、早口で情報量が多いスタイルです。それでも毎週1000人以上のリスナーが聞き、サブスクリプションの退会もほとんど起きていません。これが意味するのは、今この場に集まっている方々が「このレベルの情報をキャッチできる人たち」だということです。

広く浅く届けるよりも先に、濃い情報をそのまま受け取れる熱量の高い人たちと出会うことが、今の段階では最も大切なことです。

地方でくすぶっていた、パワーを内包している実践者。既成の教育観に疑問を持ちながら「これだ」という言葉に出会えていなかった教師。そうした方々に、けテぶれの主張がバチッとはまって、一気に実践が加速する——そういう出会いが、今まさに起きています。サロンプラスのDiscordでは毎日会議室が開かれ、深夜まで誰かが語り続けているような状況だといいます。

熱の広げ方
熱の広げ方

「熱の広げ方」の理論がそのまま体現されているのが、葛原学習研究所の今の現在地です。最初に火がついた人が、周囲に波及させていく。広げ方の起点は、薄く広くではなく、深く濃くです。まずそうした出会いの質を高めることが、ミッションを前進させる核心にあります。

けテぶれは手法であり、言葉である

けテぶれについて語るとき、大切なのは「手法」としての側面だけではありません。けテぶれには、子どもたちが学びを語り合うための共通言語になるという力があります。

「計画・テスト・分析・練習」というサイクルを共有した子どもたちは、「じゃあ、けテぶれでやってみよう」と言い合えます。それは単なるツールの話ではなく、学びへの向き合い方を言葉として持てるということです。言葉があるから、友人と話し合えます。言葉があるから、自分の学びを振り返れます。言葉はものすごく強い。 けテぶれという言葉を受け取った子どもたちは、それを使って自分たちの学びを形にし、語ることができます。

学び方の見方・考え方をそのまま体得する——これがけテぶれやQNKS・心マトリクスを通じた学びの本質であり、それが「言葉として持てる」ところまで届いたとき、子どもたちの中で何かが変わります。

実践者が最初にぶつかる壁——「イメージがない」

けテぶれやQNKS・心マトリクスを新しく取り入れようとする実践者が、最もよく口にする困難があります。それは「理論は分かった。でも、どんな教室になるのか、イメージが湧かない」というものです。

「今までの授業のあり方と全く違うことをやりましょう、という提案をしたとき、何が正解か分からない」という感覚。この感覚の裏には、理論の不足ではなく、実際にそうした教室を見たことがない、という経験の空白があります。

だから模擬授業の依頼が多くなります。「葛原先生の授業を見てみたい」という声の本質は、「見本が欲しい」ではなく「イメージが欲しい」です。けテぶれ・QNKS・心マトリクスを全て回したクラスを、子ども時代に見た人も、教師になってから丸ごと見た人も、まだほとんどいません。だから「分からない」のは当然であり、責められることではありません。

しかし、ここから状況が変わっていきます。

けテぶれを経験した子どもたちが、教育界へ入ってくる

葛原が実践を始めておよそ6年。当時6年生だった子どもたちは、今ようやく18歳ほどになります。その中には、けテぶれとの出会いによって「自分は先生になる」と決めた子もいます。医師を志していたのに進路を変えた子、卒業式の場でそう宣言した子、時を経て遊びに来て改めてそう語ってくれた子——一人ではありません。弟が高校1年生で「やっぱり先生になりたい」と言う、そういう話も届いています。

「けテぶれチルドレン」という言い方があります。ただ、この表現には注意が必要です。葛原自身も「あまり好きじゃないけど」と述べているように、それはある世代を整然と括るラベルではありません。体験と納得を積み重ねてきた子どもたちへの、期待を込めた呼び方にすぎません。

けテぶれ×QNKS
けテぶれ×QNKS

けテぶれ・QNKS・心マトリクスを学習者として何年もかけて経験し、体験として納得した子どもたちが、もうすぐ教育界に入ってきます。この「納得」がなぜ重要なのか。それは、彼らが教師になったとき、従来型の学校経験を無意識に再生しないからです。自分で学ぶ教室の具体的なイメージが、すでに体験として刻まれています。経験の蓄積が納得を生み、その納得が「再生するときにイメージが湧かないということがない」という状態を作ります。

現にある学校では、前の担任がけテぶれを実施していたクラスを中学校の先生が引き継いだとき、「子どもたちの方が知っている」という状況が生まれました。先生はイメージがついていないのに、子どもたちは去年からバキバキにやってきている。あと4〜5年後には、こうした状況が各地でさらに増えていきます。

改革のボトムは、子どもや家庭にまである

「公教育のボトムアップ改革」という言葉を葛原はずっと使い続けています。ここでいう「ボトム」とは何でしょうか。

通常、ボトムとは「最前線で教育に当たっている担任教師」だと理解されます。それは正しいです。しかし、そのさらに下があります。 子どもたちです。

子どもたちが「私たちの学びはこういう学びだ」と言葉で表現できるようになれば、それを受け取れる先生が増えてくるかもしれません。自立した学習者として育った子どもが、教室の文化をつくる側に回っていく——これがボトムのさらに下からの改革です。

そして、ボトムはそこでとどまりません。家庭も含まれます。 保護者が子どもを通じて「こういう学びがある」と知り、その保護者を通じて教育へのベクトルが生まれます。「家庭から子どもへ、子どもから教育へ」というベクトルまで含めたとき、公教育のボトムアップ改革は究極の形になります。サロンプラスに保護者の方が入ってきてくださっているのも、この流れの現れです。

単線型の授業の技術は、否定されない

ここで、誤解されやすい点を押さえておきたいと思います。

子どもたちに学びを任せるスタイルに移行するということは、従来型の授業技術が不要になるという意味ではありません。全員を集めて一斉に指導する場面では、教師がメッセージを伝える力や語りの技術が要ります。任せる学びの教室でも、それは変わりません。どちらに軸足を置くにしても、教師として子どもにメッセージを伝えるスキルは、任せたとて絶対に必要なものとして残り続けます。

信じて、任せて、認めるという姿勢の中にも、教師の語りや場づくりは生きています。その技術を高める機会は、任せる学びの教室でも必ず訪れます。「子どもたちに任せる」ことと「教師として場を支える」ことは、矛盾していません。単線型の授業と複線型の授業は、対立するものではなく、どちらの中でも磨かれるべき技術が共通してあります。

次の一手——子どもたちへ直接届く媒体へ

こうした大きなビジョンを実現するために、今構想されている具体策のひとつが、子どもたちが教室でそのまま使えるYouTube動画です。担任教師だけに届けるのではなく、子どもたちへ直接届く媒体です。ボトムのさらに下を見据えた発信のかたちです。

子どもたちが動画を通じて自分たちでけテぶれやQNKSを始められるようになれば、「担任がどんな先生か」に関わらず、子どもたちの側からも学びが動き出します。それは、学校という場の改革を、外側から押すのではなく、内側から——しかも最も深い内側から——動かすことを意味します。

公教育の改革を教師の努力だけに委ねるのではなく、子どもたちの学びの経験と言葉が担っていく。葛原学習研究所のミッションは、その最深部から動かそうとしています。

今、実践の現場に立っている教師の方へ。けテぶれを経験した子どもたちが、やがてあなたの同僚として教室に立つ日が来ます。保護者がけテぶれを理解して子どもを送り出してくる日が来ます。そういう時代が、もうすぐそこまで来ています。今この時期に実践を積み重ねることは、目の前の子どもたちを変えるだけでなく、その子どもたちが担う次の教育をつくることにもつながっています。

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