自己調整学習とは、学習者が自分の学びの状況を把握しながら計画・実行・省察を繰り返し、改善を重ねていく一連の営みです。しかし「自由にさせれば自然に育つ」ものではありません。その成立には、他者の学びを見て学ぶ観察学習の場、学び方を語るための共通言語、現在地を把握するための枠組みが欠かせません。けテぶれ・QNKS・学習力のABC+・心マトリクスはいずれも、自己調整学習を教室という集団の場で意図的に成立させるための装置として位置づけられます。
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「自己調整」の本質——モニタリングと改善の連続
自己調整学習とは何か。基本的な定義から確認しておきます。
学び手が学びに取り組む際に、それが自分にとってどれほど大変なことか、自分ができるようにするにはどうしたらよいかを自分で考え、実際に学習を展開しながら、自分の学習の出来具合をチェック・モニタリングして改善を施していく——その一連の流れが自己調整学習です。
メタ認知と似ているようにも聞こえますが、出自が少し異なります。メタ認知が主に個人の学習を内側から成立させる視点で研究されてきたのに対し、自己調整学習は「他者のモデルを参考にして学ぶ観察学習」というプロセスからも生まれてきました。この出発点の違いが、実践上の重要な含意を持っています。
自立した学習者は「一人では」育たない
自己調整学習という語感から、「個人が自分一人で学んでいく力」というイメージを持つ方も多いかもしれません。しかし研究の基盤にある発想は逆です。
自立した学習者になるためには、一人ではできない。
能力も興味関心もバラバラな30人が同じ教室に集まり、同じ活動をすることで、学びが「見える」状態が生まれます。しかし見えるのは学んでいる「様子」だけです。その人がどのような思考過程でどのように学習を進めているかは、本人が語ってくれない限り分かりません。
「あなたどうやって勉強してるの?」と問いかけても、小学生が正確に・論理的に語ることは難しい。語ることができない子も大勢います。ここに橋渡しとしてのけテぶれが入ります。
「学ぶということをこういうふうに見ましょうね、こういうふうに進行していきましょうね」という共通の枠組みがあって初めて、教室の中で観察学習が成立します。言葉と枠組みがなければ、他者の学び方を見ることができないのです。
このことは、自己調整学習が個人内の営みに閉じていないことを示しています。その成立過程には確実に他者との関係性があり、集団の中でこそそれぞれの学びが育まれるという視点が、自己調整学習研究の基盤に置かれています。最初は見て学ぶ——正統的周辺参加と呼ばれるプロセスです。学習空間に参加することで他者の営みを見ながら学んでいく、そのプロセスの起点にもけテぶれは有効に働きます。
こうした理論的背景を踏まえると、「自己調整学習を育てたいなら個人に任せればよい」という発想がいかに表面的であるかが分かります。自己調整学習とか学びに向かう力を育てようとするなら、ここまで整備してここまで戦略的に構築しないと、ただの任せっきりの学習になってしまいます。
予見・遂行・省察——3段階サイクルとけテぶれの位置
自己調整学習のサイクルは「予見・遂行・省察(自己内省)」の3段階で整理されます。
予見段階では、今からやることをどうしようかと考えます。目標設定・方略的プランニングがここにあたり、「何をどこまで、どうやって進めるか」を計画します。同時に、自己効力感や課題への関心を育てるマインドの部分も、この段階で耕しておく必要があります。
遂行段階では、実際に学習を展開します。自己制御(課題方略の選択・注意の集中)と自己観察(メタ認知的モニタリング・自己記録)がここに位置づけられます。ただし、「遂行しましょうね」と言うだけでは子どもたちはできません。語りと方略がないと、学習は上滑りするだけです。
けテぶれとQNKSは、この遂行段階を具体化する枠組みとして位置づきます。

「計画(けテぶれのけ)→テスト(て)→分析(ぶ)→練習(れ)」というけテぶれの各ステップは、自己制御と自己観察を繰り返しながら進める学習の流れに対応しています。QNKSは「Question(問い)・Nukidashi(抜き出し)・Kumitate(組み立て)・Seiri(整理)」として、思考を言語化・外在化する方略として働きます。両者が組み合わさることで、遂行段階の中身が具体的に学習者に手渡されます。
省察段階では、「今回の学習はどのような原因で成功・失敗したか」を振り返ります。ここで重要なのは、失敗の原因を「自分の能力」ではなく「自分の行動」に帰属できるかどうかです。能力に帰属すると「自分はできないから失敗した」となり、改善の方向が見えなくなります。行動に帰属することで「どうすれば良かったか」という実践的な問いが生まれます。そのための見方として、心マトリクスが機能します。
自己効力感と自己肯定感——混同注意
ここで、混同しやすい2つの概念を整理しておきます。
自己効力感とは、「この課題に対して、自分はきっと乗り越えられる」という感覚です。成功の見通し、自分の能力への信頼と言い換えてもよいでしょう。
自己肯定感とは、「自分は自分であるとき最も輝く」という、根本的に自分を肯定する感覚です。
この2つは似ているようで、指している内容が違います。自己調整学習の文脈で特に育てたいのは自己効力感です。 そしてここにも、けテぶれとQNKSの設計上の強さがあります。
「あれもこれもけテぶれで解決できるんじゃないか」という感覚が生まれるとき、それがそのまま自己効力感につながっています。領域を問わずどこでも使える汎用的な学び方の枠組みを手渡すことで、未知の課題に出会ったときに「けテぶれ・QNKSの発想で乗り越えられる」という見通しが持てるようになる——これが意図された設計です。

けテぶれは知識を無意識へと身体化していく方向へ、QNKSは無意識の中にあるものを知識として形式化する方向へと働きます。この往還を続けることで、学び方が体に染み込んでいきます。
汎用性を明示することが鍵です。 「この単元の学び方」として教えるのではなく、「学校でも人生でも使えるスキル」として手渡すことで、自己効力感が育ちやすくなります。特定の教科・場面にしか使わない枠組みとして渡してしまうと、その枠組みが汎用スキルとして定着することは難しくなります。一方で、「自己決定性を高めれば自己効力感が高まる」という単純な発想では不十分です。意図的な構造化と明示的な手渡しがあって初めて、自己効力感は育まれます。
現在地・目的・目標・手段——主体感を作る環境設計
自己調整学習が成立するには、自由な学習環境だけでは不十分です。学び手が自由にコントロールできるためには、何をどこまでどのようにやればよいかが見えていなければなりません。
「何をいつまでどのようにやればいいのか」——目的・目標・手段が子どもたちにちゃんと手渡されているか。これが主体感を育てる環境整備の核心です。
教室のモニターに1年分の時間割り表を表示し、単元のテスト日程まで見通せるようにしておく。その情報を自分で読み取り、自分の学習を調整する権限が子どもたちにある——こうした環境があって初めて、「自分が学びの主体である」という感覚が育ちます。自らが学習の主体であると感じられるような環境を提供することが、自己調整学習の前提条件です。
ここで注意したいのは、支援と環境整備は別物だということです。環境整備が整っていない状態で支援だけを積み重ねても、環境整備によって本来乗り越えられるはずの問題が解決されないまま残ります。まず情報と枠組みを徹底して子どもたちに渡す。その上で、伴走的な関わりが機能していきます。
この環境整備は、特定の単元・1時間の自由な学びを試してみる、という局所的な実験とは性質が異なります。主体感は教科領域を限定して育てるものではなく、4月の教室立ち上げから始まる学習空間全体のデザインとして変わってくるものです。
学習力のABC+——自己調整を見る視点
自己調整学習が成立しているかどうかを振り返る視点として、学習力のABC+があります。
A(やる・やり切る)は動機づけにあたります。まずやることでモチベーションが上がっていく、行動が先であるという考え方がここに含まれています。B(自分を知る・自分を見つめる)はメタ認知にあたります。自分はどうやっているのかを観察する根っこです。C(より良い方法を工夫する)は行動方略にあたります。そして+(人を頼る・人の真似をする)は他者との関係性です。
ジマーマンの定義する「メタ認知・動機づけ・行動における自己関与」をそのまま教室に持ち込もうとすると難解です。ABC+という枠組みは、この定義を日本の公教育・小学生の言語に翻訳したものです。
注目したいのは「+(人を頼る)」です。自己調整学習の成立過程において他者との関係性が基盤にあると述べましたが、ABC+はそれを明示的に枠組みに組み込んでいます。他者を頼ることは依存ではなく、学び方を高める重要な方略として位置づけられています。
単元スケールの大サイクル——大計画・大テスト・大分析
1時間の授業という小さなサイクルと同じ構造が、単元スケールにも当てはまります。これがけテぶれの大サイクルです。
単元の冒頭で大計画を立てます(予見)。教科書をざっくり見渡し、何を・どこまで・どのように学ぶかを計画します。その後の単元時間が遂行段階にあたり、けテぶれとQNKSを駆使しながら小さな自己調整サイクルを繰り返します。単元末には大テストで結果を可視化し、大分析で自分に原因帰属しながら省察します。
なぜテストを「見える化」として使うのか。自己内省は難しいからです。「うまくできているか」を自分で判断するには、現在地を示すものがないと判断できません。テストの点数は、自分に返ってくる指標として渡されたとき、大分析へとつながる道を開きます。テストを点数競争や外部評価の道具として見るのではなく、自分の現在地を自分で確かめるための手段として位置づける——この発想の転換が、大サイクルを成立させる鍵です。
また、けテぶれの「テスト(て)」という言葉に込めた意味がここにあります。学校でやる先生主導のテストと、自分で自分をやってみるけテぶれのテストは、本質的に同じです。自分の現在地を自分で確かめることができる——その意識を持てるようにするために、「テスト」という言葉を使っています。
振り返りを成立させる道具立て
省察段階、振り返りは意外と難しいものです。枠組みがなければ、「なんとなくよかった・悪かった」で終わってしまいます。
振り返りを成立させるためには、以下を組み合わせる必要があります。
- 現在地の可視化:テスト・大テストで数値として返ってくる指標。小テストを日常的に行うことで、自分の学習状態を継続的に把握できる
- 心マトリクス:感情や行動を構造的に捉えるための見方。自分の感情を構造的に把握しながらコントロールするには、まずそれを見る枠組みが必要
- 学習力のABC+:動機づけ・メタ認知・行動・他者関与の視点で自分の学習を振り返る
- けテぶれシート:学習の記録を蓄積していくポートフォリオとして機能する。記録し、語り、他者と交流することで質的な変容が見えてくる
- フィードバック:学び手の見方を受け入れながら適切に返すこと。コメントで全て対応することが難しければ、枠組みを示す方針のフィードバックでも機能する
ここで重要なのは、「算数の振り返りにしか使えない枠組み」では意味がないということです。心マトリクスも学習力のABC+も、全教科・全領域でいつ何時でも使えるものとして手渡すことで、子どもたちの中に本当の意味で定着していきます。特定の場面限定の振り返りツールをいくら精緻に作っても、それが汎用的な学びの見方として子どもたちに根づくことはありません。
語りと交流——学習文化を集団で作る
自分の学習を記録し、語り、交流することで、学習集団全体が変わっていきます。
他者はどのように学んでいるか。それを交流しながら、「学ぶとはこういうことだ」という認識が教室の中で積み上がっていきます。こうなると、個別最適な学びも協働的な学びも、考えなくても自然に成立している状態が生まれます。
ただし、これは何年もかけて作り上げていくものです。4月の教室立ち上げから学び方を語る場面を意図的に設け、枠組みを渡し続ける。けテぶれシートを蓄積し、ポートフォリオとして互いに見合う機会を作る。記録が語りを支え、語りが他者の学びを可視化し、それがまた観察学習の起点になる——このサイクルが回り続けることで、教室は教師がいなくても動き続ける学習空間へと変わっていきます。
自己調整学習は、学習内容を学ぶと同時に、学び方自体を改善していく営みです。その両方が重なるとき、子どもたちは教科の知識だけでなく、どこでも使える学び方そのものを手に入れていきます。
まとめ——「任せっきり」でもなく「管理的」でもない教室へ
自己調整学習をめぐる実践上の落とし穴は、「任せっきり」と「全て管理する指導」の二項対立に陥ることです。
任せっきりでは、共通言語も枠組みも現在地も渡されないまま子どもたちが動き続けます。一方で、全てを教師が管理し指示する形では、主体感が育ちません。
枠組みを渡す。現在地を共有する。自己効力感を育てる設計を持つ。フィードバックを適切に返す。そして子どもたちが自分の学びを語り、交流できる場を作る。これらをシステムとして組み合わせることで、自己調整学習は「意欲的な個人だけが身につける力」から、教室という場で集団として成立するものへと変わります。
けテぶれとQNKSをその中心に置くことで、実践の見通しがより具体的になります。 理論だけを追うのでも、やり方だけを模倣するのでもなく、なぜその道具がその場所に位置づくのかを理解することが、実践を続ける力になるはずです。