岡山での校内研修を振り返りながら、自由進度学習やけテぶれ実践を持続可能に広げるには、教師が問題やワークシートを用意し続けるのではなく、子ども自身が学び方を扱えるようにする必要があることを語る。「わかる」を「説明できる」として具体化し、QNKSで段階化することで、全教科に展開できる学びの階段を子どもに手渡せる。説明まで難しい子には、ゴール自体を変えるのではなく、QNKSの途中段階を小さな到達点として設定することが、持続可能な実践の鍵になる。
「語れる先生」が生まれた岡山研修
先日、岡山県での校内研修に参加させていただきました。その場には、すでにけテぶれ・QNKSを全校で取り組んでいる学校の先生方も混じっており、初めて実践に触れる先生たちに向けて、経験者の先生が自分の口で語るという展開が生まれていました。
「けテぶれとは」という説明を、葛原本人ではなく、その場にいる先生方がしてくださる——そういう状況まで、実践の広がりが来ているということに、非常に強く感じさせられるものがありました。外から呼ばれた講師が語るのとは、熱量もリアリティもまるで違います。
実践が日本中に根付いていくためには、理論を聞くだけにとどまらず、「自分でやってみて、自分でやってみた結果を自分で説明して、オリジナルの自分の実践として作り上げていく」段階に踏み出す先生が増えることが欠かせません。自分なりの学び方を見つけた先生が、校内でそれを語れる存在になっていく——そこに、実践が根付く次のステージがあります。
2時間半という長い研修でしたが、交流の時間も非常に活発で、経験者と初学者が混ざる席の配置がうまく機能していました。延長時間に入っても時計を気にする先生が一人もいないような熱量で、こうした研修の設計そのものが、実践の温度感を作る場になっていたように思います。
「自由進度学習」の見えにくい落とし穴
研修の中で話題に上がったのが「自由進度学習」の実践についてでした。発展・標準・基礎と難易度別に問題を用意しておいて、子どもたちに選ばせる——こうした形を「任せる学び」として展開することがあります。
しかし、この形には見えにくい落とし穴があります。問題をこちらが用意してあげて、それらを選ばせることで「任せた」空間を作ることは、お膳立てされた状態で自己決定感だけがくるくると回っているだけになりやすいのです。学びが地に足のついたものになっていない場合があります。
さらに現実的な問題として、この方法を全教科・全単元で展開しようとすると、教師の準備にかかる労力は膨大になります。算数ならネット上の問題を使えるかもしれませんが、国語は、理科は、社会は——それぞれの教科で難易度別の問題セットを用意し続けることは、現実的にはかなり難しい。

自由進度学習の導入期に、問題を選ばせる形から入ることで感覚をつかむという意味はあるかもしれません。ただ、それを全面展開しようとしたとき、その手立ては壁にぶつかり、どこかで捨てなければならないタイミングが来る——この視点を、実践の設計段階から持っておく必要があります。
展開できない手立ては、どこかで手放すことになる
「全教科・全単元・一年中に展開できるか」——これが、実践を評価するひとつの重要な基準です。
展開できないなら、そのアイディアは引き下げるべきだと言っても過言ではありません。なぜなら、学校教育全体をボトムアップで変えていくための「方策」になり得ないからです。一部の単元や特定の時間帯だけに有効な手立ては、それ自体に価値があっても、公教育全体の構造を変えていく実践にはなりにくい。
そして、ある手立てを手放したとき、学びの場が立ち行かなくなるとしたら、それは「足りないものがある」というサインです。足りないのは何か——結局、学び方の見方・考え方であり、それを実行するための手続き的な知識です。
子どもたちがワークシートや決められた線路の上でしか動けない状態になっているとしたら、それは学び方そのものを手渡されていないからです。「線路の外——獣道やオフロード、砂利道でも進める車輪を子どもたちに渡してあげないと、いつまでも線路の上しか動けない」——この言葉が、実践設計の核心をついています。
子どもに渡すべきは「車輪」——学び方の見方・考え方と手続き
「車輪を渡す」という比喩は、抽象的なイメージではなく、きわめて具体的な実践を指しています。「確実に、具体的にどうやるのというレベルで、手続き的な知識として子どもたちに手渡していく」——これが求められていることです。
学び方の見方・考え方だけでは、どこから手をつければいいかが分かりません。「自分で学ぼう」「考えることが大事」という抽象的なメッセージを伝えるだけでは、動けない子どもたちが出てきます。だからこそ、学び方を学ぶための具体的な手続きが必要になります。
けテぶれとQNKSは、その「手渡し」を実現するための道具です。けテぶれが「やってみる⇆考える」という行為の両輪を担い、QNKSが「説明できる」までのプロセスを細分化する道具として機能する。この二つを子どもたちが自分で使えるようになることで、学習と探究が地続きになり、あらゆる教科・あらゆる単元でサイクルが回りはじめます。
学び方を学ぶとは、特定の教科のやり方を教えることではありません。どんな場面でも使える汎用的な学びの枠組みを、子どもたちが自分のものとして使いこなせるようになることです。そこに持続可能性の根拠があります。
「わかる」を「説明できる」に具体化する
「わかる」という状態を、子どもたちにどう示すか——これは実は非常に難しい問題です。「わかる」の本質を問い詰めていくと、数学者が著書で深く論じるような世界にまで広がっていきます。
しかし、小学校2・3年生の子どもたちが「わかった」と実感できる入り口と、世界的な学者が語る「わかる」の深みは、別の世界であっても、地続きの世界でなければならないという点が重要です。入り口が、その先の本質的な「わかる」感覚に繋がっているかどうか——そこを見ておく必要があります。
「わかる」は抽象的に議論するだけではなく、子どもが経験できる入り口として「説明できる」に具体化する——これが、ここで提案されていることです。「説明できる」は最終到達点ではなく、学びの螺旋上昇の入り口として機能するものです。

「できる」と「わかる」のどちらが先かという議論は、言葉の上では続けられますが、大切なのはそこに時間をかけることではありません。「できたら説明できる」というプロセスを、実行可能な形で子どもたちに示してあげること——その先に、本質的な「わかる」感覚への地続きがあります。
学びのステップとして「知る→できる→説明できる→(作る)」という流れを全教科共通の枠組みとして示すことで、教科の違いに関わらず「今自分はどの段階にいるか」を子どもたちが自分で判断できるようになります。
QNKSで「説明できる」へのプロセスを細分化する
QNKS(Question・Nukidashi・Kumitate・Seiri)は、「説明できる」に至るプロセスを細分化した道具です。「問い」を立て、関連する内容を「抜き出し」、それらを「組み立て」て、「整理」する——この流れを踏むことで、子どもは自分の言葉で説明できる状態に近づいていきます。
つまり、「説明できる」=「QNKSを整理(Seiri)まで完成させられる」と言い換えることができます。論理構造図としてきれいに組み立てられ、文章としてノートに書けること、もしくはそれを見ながら自分の言葉で説明できること——これを当面の「わかる」の指標として設定することが提案されています。
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QNKSは特定の教科のためのツールではありません。「できる」という状態の後に、なぜできたのかを問い、必要な要素を抜き出し、組み立てて整理する——この行為は、算数でも国語でも理科でも、同じように適用できます。さらに、整理した後に他者と交流して新たな問いを見つけ、探究的なサイクルへとつないでいくことも可能です。こうした学び方を学ぶことで、習得から活用、探究へと地続きになっていきます。
ゴールはぶらさず、QNKSの途中段階を小さな到達点にする
研修でよく寄せられる質問のひとつに、「説明することが難しい子への対応はどうするか」があります。説明できるというステップの手前に、別のゴールを設定すべきかという問いです。
これに対するひとつの考え方が、ゴールそのものを変えるのではなく、QNKSの途中段階をより細かく刻むことで対応するというものです。
別のゴールを設定してしまうと、教師が教科別・単元別に個別の目標を都度示し続けなければならなくなります。子どもたちは「次は何をすればいいの?」と聞かざるを得なくなり、目標設定の根拠が見えないまま指示に従うだけの状態になりやすくなります。その結果、子ども自身が次のステージを自分で描けなくなり、展開可能性が失われていきます。
では具体的にどうするか。QNKSの各段階を、それぞれ小さな到達点として設定します。
- N(Nukidashi)到達点: 箇条書きで3つほどアイデアを抜き出せたら合格
- K1(Kumitate初段階): 抜き出した内容を線で繋げられたら達成
- K2(Kumitate完成): 接続詞を使いながら論理構造図として整えられたら次のステップ
- S(Seiri): 図を見ながら一つひとつ言葉で補いながら話せたら「説明できる」達成
書くことが難しい子には話す形で、話すことも難しい子には書いたものを見せながら——子どもの特性に応じた柔軟な対応が可能です。重要なのは、この段階設定が全教科・全単元で一貫して使えるという点です。教師が範囲ごとに別々のゴールを設定しなくてよく、子どもたちも「今自分はQNKSのどこにいるか」という共通の枠組みで自分の位置を把握できます。
「説明できる」というゴールをぶらさずに、そこへ向かう階段を細かく設定していく——このアイディアがあれば、教師があらゆる教科・あらゆる範囲で個別のゴールを提示し続ける必要がなくなります。
持続可能な学びに向けて
今回の岡山研修を通じて見えてきたのは、ひとつのシンプルな問いです。「その手立ては、子どもたちが自分で使えるものになっているか」。
教師がお膳立てをし続けることで成り立つ学びは、準備の限界を迎えたとき、その手立てを手放さなければならなくなります。一方、子ども自身が学び方の見方・考え方と手続きを手に入れた学びは、教科が変わっても、単元が変わっても、自分でサイクルを回し続けることができます。
けテぶれとQNKSは、そのための「車輪」です。汎用的で、全教科に展開でき、教師の準備をほぼ不要にする——そこに、実践の持続可能性と展開可能性があります。
実践がただの活動に終わらず、子どもたちが学び方そのものを学ぶ場として機能するために。岡山での研修で語られた問いと応答は、日常の授業設計を見直すひとつの起点として、多くの場面で活きてくるはずです。