コンテンツへスキップ
サポーターになる

真似るから作るへ:自分の言葉で教育実践を語る価値

Share

けテぶれやQNKSの実践投稿がSNS上で活発に広がっている。その動きの中で注目したいのは、他者の図や考えを単に転用するのではなく、一度自分の中に入れて再編集し、自分なりの表現として作り直す実践者たちの存在だ。「作ること」には、浅い真似とは根本的に異なる意味がある。経験と思考に根づいた言葉は、子どもにも仲間にも確かに届く。実践者の学びは子どもの学びと同じ上昇プロセスをたどり、「作るレベル」まで進んだ発信が次の層を動かしていく。その先にあるのは、個人の盛り上がりではなく、公教育のボトムアップ改革という目的だ。

🎧 この記事を聴く

SNS上で広がる「作る」実践

X(旧Twitter)でのけテぶれ実践投稿が、近ごろ盛り上がっています。多くの方が実践を発信してくださっている中で、特に印象的な動きがあります。それは、誰かが示した図や考えを自分なりに再編集し、オリジナルの画像や言葉としてアウトプットしている実践者が増えているという観察です。

たとえば、誰かが作った図を見てそのまま使うのではなく、自分で一から描き直す。あるいは、概念をもとにして自分の教室の実践に引きつけた言葉で語り直す。こういった動きが各所で起きています。この「作る」という行為には、実は深い意味があります。

真似のレベル——ピンポン玉のたとえ

真似ること自体は、学びの入口として大切なものです。誰かの実践を知ること、やってみることから始まるのは自然なことです。ただ、真似にもレベルがあります。

外から来た情報をそのままパンと弾き返す——これが浅い真似のイメージです。

ちょうどピンポン玉が壁に当たって返ってくるように、受け取った言葉や図を自分の内側に入れることなく使っている状態。それで終わってしまうと、実践としての深まりが出にくい。

これに対して「作る」とはどういうことか。それは、外から来たピンポン玉を一度自分の中に飲み込むことです。飲み込んで、自分の経験や思考・感覚の中に位置づける。そうしてから改めて自分の中から出てきたものが、「作った」表現です。

このプロセスを経ると、その言葉や図はその人の脳の構造の中にしっかりと根を張ります。借り物ではなく、自分の言葉になるのです。

根が張った言葉だけが、子どもに届く

これは教育実践において、特に重要な意味を持ちます。

教師が子どもたちの前に立ち、言葉を投げかけるとき、その言葉がどこまで深く根を張っているかは、相手には確実に伝わります。自分の中に位置づいていない言葉は、子どもたちの前では無力です。

エネルギッシュな子どもたちの前で、「その言葉がどれほどあなたの深くから根づいているか」——それによって、言葉が届くか届かないかが決まります。ちゃんと両足を踏ん張って投げられているかどうかは、その球がどこまで自分の深いところから出てきているかにかかっています。

これは発達支持的生徒指導の本質でもあると感じます。行き当たりばったりの関わりや、自分の中に位置づかないまま使う言葉では、子どもの前で崩れやすい。逆に、自分の経験をもとにしっかりと考えてきたことを語れる教師は、揺らがない。やってきたこと・見てきたこと・考えてきたこと、ちゃんと結果も踏まえて経験したこと以外は喋れないという姿勢こそが、「根が張った言葉」を育てます。

実践者の成長も、子どもと同じプロセスをたどる

学びの階段
学びの階段

子どもの学びには段階があります。知ること、やってみること、説明すること、そして作ること。この上昇プロセスは、教師や実践者の学びにも、まったく同じように当てはまります。

実践者の方も、子どもたちと同じように、螺旋上昇——説明できる、作るというプロセスをたどっています。

最初は誰かの実践を知ることから始まる。次に自分でやってみる。それを人に説明してみる。そして、いつか自分なりの図・言葉・実践として作り上げる段階に達する。

実際、けテぶれやQNKSを学んだある実践者は、参照した概念を自分の内側に落とし込み、もはや「その人自身の言葉」として語るようになっています。「けテぶれを語っているのに、その人の話を聞いている」という感覚——それは、作るレベルに達した語りの姿です。葛原の言葉ではなく、実践者本人の中から出た言葉として、けテぶれやQNKSが語られる段階が、本当に重要です。

また、各地で「やってきたことを説明してみる」機会を作るコミュニティが生まれ、習得→活用→探究のプロセスを後押しする場もできています。実践者に「ここまで登れたんだ」という自信と実感を与え、さらに深まるきっかけになっています。

「作るレベル」の発信が、次の層を動かす

熱の広げ方
熱の広げ方

作るレベルに達した実践者の発信は、遠くまで届きます。それは、「高さが出る」からです。

学びの階段でいえば、高い段に立っている人は、まだ「知る」段階にいる人からも見えます。そこから放たれる「真似していいんだよ」「やっていいんだよ」というメッセージは、強く届きます。

作るレベルの実践者が見える場所で発信することで、次の層——能力はあるけれどまだ踏み出せていない層——に「自分もやっていい」という熱が広がっていくのです。

熱量と力のある人たちが本当に自分のものとして語ることが、次の層を呼び込む。そういう発信のリツイートや取り上げが、「こんなことやっていいんだ、こういう教育をやっていいんだ」という意識を広げていきます。教師が子どもたちの教室でやってきたことが、今度は大人の実践者コミュニティの中で、同じ原理で熱の広がりを起こしているのです。

中心がいない——各所で自律的に広がる運動

教師の研究三位一体
教師の研究三位一体

この広がりに、誰かが号令をかけているわけではありません。依頼するわけでもなく、義務感でもなく、「こういう実践・こういう取り組みをしたい」という主体性から動いている人たちが各所にいます。

学校全体でけテぶれに取り組むことになった、異動先の学校でも知っている先生がいた——そんな声が各方面から届くようになっています。また、ずっと一人で「自己選択・自己決定で教育をやっていかなければ」と考えてきたある実践者は、けテぶれやQNKSの実践に出会って「全てがつながって面白くなった」と語ってくれました。もともと自分の中に根が張っていた発想が、この実践と出会って一気に花開く。そういうケースが全国で同時多発的に起きています。

中心がいない。同時代発的にいろんなことが起こっている。

DAO(分散自律組織)という言葉がありますが、まさにそういう状態です。一つの核から広がるのではなく、各地でそれぞれの火が起き、それぞれが熱を持って展開していく。これがコミュニティとしての強さになっています。小さく閉じるのではなく、各所でバーンと広がりながら展開する動きが、今まさに起きています。

個人の盛り上がりの先にあるもの

今、SNSで起きているこの盛り上がりは、内輪の称賛で終わるものではありません。

一人ひとりの実践者が自分の言葉を作り、自分の教室で語り、それが次の実践者を動かし、学校全体へと広がっていく。その運動の先にあるのは何か。

目的は、どこまで行っても公教育のボトムアップ改革です。

150年間培ってきた公教育の歴史の先に、確かにコマを進めること。そのために、一人ひとりの実践者が自分の言葉を作り、自分の教室から変えていくことが積み重なっていく。大きな旗を振る誰かがいなくても、各所で自律的に動く実践者たちが、公教育をじわじわと変えていく力になっています。

真似ることを入口にして、自分で作ることへ。そして、自分に根が張った言葉で語ること。それが子どもにも届き、仲間にも届き、やがて公教育の土台を変えていく力になっていきます。

この記事が参考になったらシェア

Share