小学3年生の担任として関わった子どもたちの卒業式に参加し、当時の学びが子どもたちの心に深く残っていることを実感した体験を綴ります。けテぶれやQNKSといった言葉が卒業文集にも登場するほど根付いていたことへの驚きと感謝、そして教師という仕事の重さと美しさを改めて噛み締めた一日の記録です。現場を離れた今も、全国の先生たちを通じてその景色を広げ続けることへの決意を新たにしました。
卒業式という場所で受け取ったもの
先日、かつて担任した小学3年生の子どもたちの卒業式に参列してまいりました。
3年生として出会った子どもたちが、今日という日を迎えたのです。式の場で子どもたちや保護者の方々に次々と呼び止めていただき、「あの時の経験が天気でした(転機でした)」という言葉を大量にいただきました。
なかでも驚いたのは、卒業文集に けテぶれ や QNKS という言葉を書いてくれた子が多くいたという話でした。保護者の方から教えていただいて、「そうなんだ」と思わず声が出てしまうほどでした。
1年間の経験が、6年後にも生きていた
たった1年間の出会いです。しかしその1年間で体験したことが、6年間を経てもなお子どもたちの言葉として残っていたという事実は、正直なところ予想以上でした。
出会った子のほぼ全員と言えるほどの子たちが、「あの時こうだった」「けテぶれをやってた」という話を自ら語ってくれました。
もちろん全員ではありません。100%ではないし、そうでなかった子もいたと思います。でも、反面これほど多くの子どもたちに、確かに何かが残っていた。
教師という仕事の重さと美しさ
式典の中で感じたことがあります。
1年というサイクルがあり、6年の最後には角(節目)で卒業式という形で送り出す。この 美しい儀式 の中で、子どもたちの学びというか、もはや命というか、人生みたいなものに深く関わり続けるのが教師という仕事なのだと、改めて実感しました。
教師はその意味で、すごい仕事です。
しかし同時に、その重さゆえに、うまくいかなかったときの削られ方も半端ではありません。信頼関係というものは脆く、疑いの種一つでどんどん崩れていく。それを大切に、大切に守りながら、「それでも信じるんだ」と言い続けて築いていく。
その脆くも儚く、そして美しいものが子どもたちと共有できたとき、本当の充実感が生まれます。
現場を離れた理由と、今の使命
「なぜ現場を離れたのか」という問いが、今日また自分の中で立ち上がりました。
こんなにも満たされる仕事を、なぜ手放したのか。でも答えは変わりません。
> この景色を、もっと広く。
現場にいれば直接子どもたちの顔が見えます。でも現場を離れたことで、全国の先生たちが目の前に現れてくれるようになりました。そしてその先生たちもまた、「人生が変わりました」と言ってくれる。
形は変わっても、本質は同じです。子どもたちに届く景色の数を増やしていく。それが今の自分の役割だと確信しています。
言葉に「重心」を乗せるということ
発信を続けていると、言葉は口先だけでもきれいに並べられてしまいます。それが怖い。
事実と乖離したきれいごとが一人歩きすると、詐欺めいたものになっていく。だからこそ、自分の言葉には必ず 実際に経験した子どもたちのリアルな声・空気感・景色 を乗せていたいと思っています。
記憶の中でも大切にしているのは、事実としての記憶よりも、その時の情動・感動・心の動き です。「あの時、本当に胸が熱くなった」という感情記憶こそが、言葉に熱を与えてくれます。
今日はその感情記憶を、たっぷり充電させてもらいました。
また走れる。来年もある。
今日、卒業式に行ったはずが、自分が送り出してもらった気分になって帰ってきました。
「大丈夫、自信持って行っておいで」「私たち、ちゃんと受け取ってるよ」と、子どもたちや保護者の方々に背中を押してもらった気持ちです。
ありがたいことに、来年も卒業式があります。3年生を2年連続で担任したので、もう1学年分の卒業生が来年を迎えてくれます。さらにその先には成人式という節目も待っています。
こうして定期的に充電スポットが訪れてくれる。その景色が見える限り、発信を続けていけると感じています。
パワー満タンになりました。また頑張って発信していきます。