全校でけテぶれに取り組んで2年目を迎えた学校の事例をもとに、「やめない」ことの価値とその先にある重要な問いを論じます。継続は確かに強い武器です。しかし、続ける方向性を誤ると、長く続けるほど目指すべき道から離れていきます。算数など特定領域の専門スキルを磨くことを否定するのではなく、その専門スキルを学校教育全体の構造の中のどこに位置づけ、いつ使うかという判断力が今の教育者に求められています。けテぶれ・QNKSによって「学び方の見方・考え方」を更新した先には、教材研究という次の螺旋段階が待っています。
「やめないが最強」——でも、何をやめないのか
「継続は力なり」という言葉があります。やめないことの強さはたしかで、実践を積み重ねることの価値は誰も否定できません。
しかし、「やめない」こと自体を目的にした瞬間、大切なものが見えなくなっていきます。
大切なのは、何を、どの方向に、やめないのか。
方向性を問わずに継続だけを追うと、始点でのわずかな角度の違いが、時間をかけるほど致命的な乖離を生みます。最初の1度のズレも、長い距離を進めば進むほど、目指すべき場所からはるか遠くへ離れていく。継続の力はそれほど大きいからこそ、向かう方向を問い続けることが不可欠なのです。
全校実践が2年目を迎えたということ
最近、岡山県浅口市のある学校を訪問しました。その学校は全校でけテぶれ実践に取り組んで、ちょうど2年目を迎えたところです。
年度をまたぐ、というのは簡単なことではありません。人事異動があり、新しく赴任してきた先生方は実践の背景を知らないまま4月を迎えます。学級が落ち着かない時期を経て、夏休みのタイミングで方針転換が図られることも十分にあり得ます。春の段階では「2年目を迎えられた」とはとても言えなかった。どうなるか、不安を持ちながら見守っていました。
11月末に再び訪問し、全クラスを回って研究授業を参観したとき、確信しました。4月5月とは比べものにならない子どもたちの姿がそこにあった。1年目とも明らかに違う、学校の文化として確実に根づいていく手ごたえがありました。人事異動という大きな波を越えて継続した先に、誰もまだ目にしたことのない景色が生まれていたのです。
そういう事実を目の当たりにするからこそ、「やめないは最強」だと実感とともに言えます。同時に、そこからこそ大切な問いが生まれてくるのです。
継続の方向性を問う
やめないことが強いのはわかった。では、何をやめないのか。
実践を続けることそれ自体が目的になってしまうと、「何のために続けるのか」という目的・目標・手段の関係が崩れていきます。葛原学習研究所のミッションは「学校教育を改善すること」です。その目的に向かってベクトルが合っているかどうかを、常に確認しながら続ける必要があります。
中央教育審議会の答申や学習科学の知見が示す方向性——こうした外部の枠組みと実践の「ベクトル」が整合しているかを測り続けることが、継続の前提条件です。整合していないのであれば、「続けてください」と言うべきではない。実践を勧める立場にある者が、そこまで問い続ける責任を持つ必要があります。
部分を磨くだけでは蛸壺になる
実践の方向性の次に問われるのが、適用範囲の広さです。
たとえば「算数の深い学びを追求する」という方向性を選ぶことは、まったく否定しません。専門性を磨き、精緻な実践知を積み上げることは価値のある行為です。
しかし、「とりあえず算数だけを深めよう」という形でアクセルを踏み続けると、蛸壺一直線になります。算数は詳しいけれど他教科は全然ダメ、という状態に接続する入口が、そこに開いているのです。
大切なのは、その専門的な学びから抽象的なファクターを取り出し、他教科や学校全体のデザインへと活動システムを拡大し、学習の転移・転用をしていくプロセスをちゃんと描けているかどうかです。体育から始めても、道徳から始めても構いません。ただし、その実践が他の領域へ、そして学校教育全体の改善へとつながる道筋が描かれているかどうかを、絶えず問い直す必要があります。
全体のグランドデザインを描かないまま部分を極めても、全体に立ち返れなくなります。専門と汎用——この両輪が視野に入っているかどうかが、実践の射程を決めます。
専門スキルは「いつ切るか」が問われている
では専門スキルは不要なのかというと、まったくそうではありません。
魅力的な語り方、板書の構造的な組み立て、子どもに言葉をバシッと届ける力——これらは教師の必須スキルです。場の質として必ず持っておくべきカードです。

けテぶれとQNKSが示す学習空間では、子どもたちは主体的に学び、やってみる⇆考えるを繰り返しながら試行錯誤を積み重ねています。そのような空間の中で、魅力的な語りや精緻な授業技術は、全員に一律に向けるものではなく、ピン針を打つように特定の瞬間に局所的に使うスキルへとその位置づけが変わります。
旧来のOSでは、こうした「分かりやすく伝えるスキル」が学校教育の9割で発揮すべき中核的なスキルとして機能していました。しかし今、子どもたちが自ら学びゆく環境を支えるという本質的な学習空間を考えたとき、同じスキルは「局所的に使う部分的なスキル」へと意味が変わります。
大切なのはそのカードを「いつ切るか」です。いつでもどこでもそのカードさえ切ってさえいれば教室はうまくいく、という発想は勘違いです。単線型の授業が悪いわけではない。使いどころが変わった——それが「OS更新」の具体的な中身なのです。
多様な空間で「全体のデザイン」を描く
クラスの中には、さまざまな状態の子どもがいます。学習に意欲的に向かえる子もいれば、生活習慣がまだ整わず学習に向かえない子もいる。算数に対して特性があり深い探究ができる子もいれば、数字を見るだけで緊張してしまう子もいます。
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そのような多様性のある学習空間に向けて、ピカピカに磨いた「算数の深い学びカード」を一斉に切ろうとしたとき、誰が受け取れるでしょうか。算数に前向きで基礎積み上げも十分にある子にはそのカードが届きます。しかし、まだ土台を必要としている子には届かない。切り捨てるわけにはいきません。
必要なのは、多様な子どもがいる空間全体をどうデザインするか、という視点です。
上限を解放したい子には深い学びを。今は別の段階にある子には別のアプローチを。専門スキルは、全体のデザインの中で初めて機能します。個別最適な学びが求められる今、場全体を設計する力なしに専門スキルだけを磨いても、学校教育全体の改善にはつながらないのです。
教材研究へ戻ることは、後退ではなく螺旋的な発達
最後に、実践者の発達段階について触れます。
けテぶれ・QNKSにしっかり取り組み、「学び方の見方・考え方」としての公教育ボトムアップ改革の書き換えがかなり完了した先生たちが、最近こんなことを言い始めています。「教材研究をちゃんとやらなきゃいけない」「1枚のカードをキラキラに仕上げていかなきゃいけない」と。
これを聞いたとき、「元の世界に戻ってしまった」と感じる人がいるかもしれません。しかし、それは誤りです。

過去の教材研究だけをしていた時代と、今は根本的に違います。かつては、学び方の更新という問いを持たないまま教材を磨いていた。そこからけテぶれ・QNKSを軸にした「学び方学習研究」を経て、学校教育全体の構造を更新した。その上で再び教材研究の世界へ踏み込んでいく——これは後退ではなく、一段上の螺旋に乗ったということです。
専門スキルという1枚のカードをキラキラに磨く意味が、この段階では根本的に変わっています。全体構造の中のどこにそのカードを置くかという判断力を持ったうえで、精緻な実践知を積み上げていく。これが螺旋的な専門性の発達であり、教師の研究が深まるということの本当の意味です。
まとめ——続けることの先にある問い
「やめないが最強」はたしかです。しかし継続は、何を、どの方向に、どこへ向けて続けるのかが問われます。
- 続ける方向性は、学校教育改善というミッションと整合しているか
- 専門を磨く実践は、他教科・学校全体への転移まで設計されているか
- 専門スキルは「持っておくべきカード」として理解されているか、それとも「全体の中核」として誤解されていないか
- 多様な子どもがいる空間で、場全体のデザインが描かれているか
けテぶれ・QNKSで学び方の見方・考え方を更新した先に、教材研究という次の螺旋段階が待っています。そこへ進み始めた実践者の姿こそが、継続の本当の意味を体現しています。やめないことは強い。だからこそ、何に向かって続けるのかを問い続けることが、実践者としての誠実さなのだと思います。